アメリカン

 人から淡白だとよく言われる。
 そのせいかどうかは分からないが、真衣に振られた。
「シュンって何考えてるか解んない。……出てって」



 彼女と同時に、俺は住処も失った。






 「というわけで有川、今晩泊めてくれ」
「えー、やだよ。今日俺んち、箱辺さん来るんだもん」
 あ、これ他の奴らには内緒ねと、有川は酒で赤くなった顔をにやつかせて付け加えた。当の箱辺さんを見ると、たしかに大きめのバッグを脇に従えて、少しそわそわしているようだ。時折こちらを伺うような視線を送ってきていたのはそのせいか。
 当座の生活用具だけを詰めたスポーツバッグをひっかけ、俺は有川のサークルの飲み会に紛れていた。こっそりただ飯を食うついでに、有川のところに泊めてもらおうと思ったのだが。
 ちっ。友達甲斐のない奴め。
 俺は頭の中で、財布の中身と相談した。結果、野宿か野宿か野宿。
「この寒い時期に野宿は嫌だなぁ」
 溜息と共に口をついて出た言葉に、後ろに座っていた先輩らしき男が反応した。可愛らしいというか何というか、やたらキレイな顔をしている。
「なにキミ、今晩寝るとこないの?」
「はぁ……まぁ」
 今晩てか、この先ずっとなんすけど。
「そうそう、こいつ、彼女にアパート追い出されたんすよ」
 有川がバシバシと俺の背中を叩いて笑う。この野郎、すっかり出来上がってやがる。しかし、男の次の提案には、有川も俺と一緒に固まった。
「へぇー、んじゃうちくる?」
「はい?」
「相方がマンション出てっちゃって、俺一人で家賃どうしようかと思ってたんだ」
 家賃や光熱費など詳しい話を聞いてみれば、今までより若干かかるがやっていけない額ではなかった。しかし、どこの馬の骨とも分からない俺なんか同居人にしちゃっていいのか、この人。今は酔って気が大きくなってるだけで、明日になったら全部忘れてるなんてことないだろうな。
「あのぉ、酔ってます?」
「いんや。切実にルームシェアしてくれる人を捜してる。俺今日、あんま飲んでないし」
 たしかに彼は、酩酊状態には見えなかった。人の好さそうな顔で、にこにこしている。しかし、あっちのテーブルってさっきからかなり酒のピッチが早かったような気がするんですけど。
「グンジ先輩、こいつは止めた方がいいですよ。すぐ散らかすし、料理なんかできないし、協調性って文字はこいつの頭にはないっすから。共同生活ができるような奴じゃないですって」
 有川は何を思ったのか、今度は必死になって男を止めに入っている。
 まぁ、協調性がないのは認める。が、この話を逃したら、俺は今晩どうすればいいのだ。おまえが泊めてくれないから、俺は今、木枯らしの吹きすさぶ晩秋に野宿することになりそうなんだぞ。
 そうだ野宿だった。とりあえず今晩だけでも宿が確保できれば。明日の朝には忘れられていたとしても、明日は明日の風が吹く、だ。
「蒔田俊平です。どうぞよろしく」
 俺は有川を押し退けて、男に右手を出していた。






 目が覚めると、見知らぬ部屋の見知らぬベッドで寝ていた。モノトーンで纏められた部屋。グレーのカーテンが光を孕んで、日が既に昇っていることを告げている。
 起き上がると、頭が少し痛かった。
 昨夜はあの男が奢ってくれるというので、かなり飲んだ気がする。店を出る時、有川が「本当にいいのか?」としつこく俺に訊いてきたのまでは憶えているが、その後の記憶がさっぱりない。たぶんここは、あの男のマンションなのだと思うが、俺はどうやってここまで来たのか。
「やべぇなぁ……」
 俺はパイプベッドの下に丁寧に畳まれたセーターとジーンズを見て呟いた。それらの意味するところ、それは人が介抱してくれたということだ。昨夜の状態の俺なら、絶対に投げ散らかしている。畳まれた着衣の横には、俺のスポーツバッグも置いてあった。
 やっぱりあの先輩だろうかと、人の好さそうな顔を思い浮かべながら衣服を身に着ける。モノトーンの部屋を出ると、やはりあの顔がこちらを振り向いた。
「起きたんだ。大丈夫?」
「はぁ、えっと、俺……」
 言いながら部屋を見回す。そこはダイニングキッチンのようだった。南側は一面掃きだし窓になっていて、その東端にテレビ、西側に観葉植物が置いてある。
「あ、憶えてない? 昨日、俺とルームシェアリングしようって話してたんだけど。きみ、あの後だいぶ飲んでたからなぁ」
 男は何故か、ダイニングチェアの上に三角座りをしてコーヒーを啜っていた。
「や、それは憶えてます。ただ、どうやってここに来たのかが……」
 全く記憶にないのだ。
 相手は目を丸くした後、体を折るようにして笑い始めた。
「店からここまではタクシー使ったけど、エントランスからこの部屋まではすごいしっかりした足取りで歩いてたよ。顔こそちょっとボーっとしてたけど。俺が『今日はあの部屋使って』って言ったら、自分でさっさと入ってったし。きみ・・・・・・俊平くんだっけ? あんま飲まない方がいいよ。見た目じゃ全然分かんないから、酔ってる時の言動まで真に受けられるよ」
「俺、何か言ってました?」
「様子見に行ったら、俺の手首掴んで『行かないで』って。彼女と別れたばっかだって聞いてなかったら勘違いするとこだったよ」
 男の話によると、俺は三十分ほど、その手を頑なに離さなかったそうだ。仕方がないので、彼は片手で俺の脱ぎ散らかしていた服を畳み、それでも俺が手を放す気配がないので、毛布引っ張ってしばらくベッドの下でうつらうつらしていたと。
 ……マジかよ、俺。
 それってもしかして、もう少しで再び野宿決定になるとこだったんじゃねーか?
「すいません!! や、あの、そっち方面の人間じゃないんで安心してください。いくら先輩がカワイイ顔してるからって、間違っても襲ったりしませんから!」
 俺は慌てて弁解した。危険人物と思われて、同居の話を抹消されたらかなわない。
「あはは。分かってる分かってる。ま、俺はどっちでもいんだけどね」
 どっちでもってあんた……。
 でも、どっちでもというより、どうでもいいという感じで笑っている男を見ていると、俺も気が楽になってきた。同居相手は、なるべく無関心であってくれる方が望ましい。お互い深入りしない方がうまくやってけそうだもんな。女と違って。(いや、女にも深入りしすぎたから追い出されたのか)
「俺の方の自己紹介まだだったよね? 中戸群司です。どうぞよろしく」
 男は昨夜の俺を真似るように右手を差し出すと、にっこりと微笑んだ。






 午後から大学へ行くと、何故か有川が心配顔で寄って来た。
「おまえ、大丈夫か?」
「ああ、同居のこと? なんとかなるんじゃないか? 中戸サン、いい人そうだし」
 酔っ払った俺に自分のベッドを貸してくれた上、寝ている人間に手首を掴まれて離してもらえなかったからって、起こさずじっと耐えてくれる人なんて、なかなかいるもんじゃない。しかも深入りしてこないし。急に転がり込んだというのに、真衣のことを訊いてくる様子も全くないのだ。断片的には有川から聞いてるみたいだけど。
 自己紹介の後、なんだか寮みたいだから先輩はやめて欲しいと言われたので、俺は彼を中戸さんと呼ぶことにしていた。周囲からは専ら名前の方で呼ばれているらしいが、それだとやっぱり先輩を付けたくなってしまうので。
「相変わらず他人事みたいな言い方するな。まぁ、グンジ先輩たしかにいい人なんだけどな……」
 有川は語尾を濁して、そわそわと周囲を見回した。そこそこに日当たりのいい階段教室。講義開始までまだ二十分もあるだけに、人はまばらだ。
 俺がなんだよ? とせっつくと、忙しなく動かしていた目玉がぎょろりと俺の上で停止した。何か覚悟を要求してくるような視線が俺に注がれる。しかし、それはすぐに外された。それも、「どうせ他人事だろうからいっか」というセリフ付きで。
「これ、割と有名な話なんだけどな、グンジ先輩ってゲイなんだよ。しかも、来る者拒まずって噂。それで同棲してた奴が出てったって」
「ふぅん……」
 有川の情報は多少衝撃的ではあったが、やはり他人事だった。中戸さんは、同居人がいるのに部屋に男を連れ込むようなタイプではなさそうだから、嗜好なんてどうでもいい。却って、だから『どっちでもいい』だったんだなと納得した。俺に深入りして来ないのも、自分も探られたくないからなのかもしれない。
 しかし、それならば今朝の俺の弁解は、かなり間抜けだったのではなかろうか。来る者拒まずのゲイの人に、ゲイじゃないから安心してくださいって……。
 そこまで考え、俺はあることに気付いて青くなった。





 ひょっとして、手首を掴んだ俺の行為は、かなり危険なものだったんじゃないだろうか。




「有川、ありがとな」
「はぁ? 何が」
「いや、」





 おまえのお喋りのおかげで貞操を守れたかもしれないとは、とても口にする気になれなかった。










inserted by FC2 system