炭焼 01

 コンピュータ教室での講義の後、パソコンの電源を落としていると、渡加部さんという女生徒に話しかけられた。
「蒔田くん、三回生の中戸先輩と暮らしてるってホント?」
「ああ、うん。そうだけど」
「ね、どんな人? ホントに付き合ってるの?」
「まさか。俺、女にしか興味ないし」
「じゃあ、中戸先輩が男にしか興味ないっていうのは?」
「いや、違うんじゃないかな。女の子も好きだって言ってたし」
 そう言っていたのは事実だが、俺の見解は違う。中戸さんは、男にも女にも特別な興味――つまり一定以上の好意を持つことができないのではないか。それが俺の見解だ。
 でも、そこまで彼女に言うのは憚られた。
「じゃあじゃあ、私にもチャンスあるかな」
「あるんじゃない?」




 そんな会話をしたのが一週間ほど前。
 単発で入った泊りがけのバイトが思いがけない時間に終わって、予定より二時間ほど早く帰宅すると、キッチンに渡加部さんの姿があった。
「え? あ、もうそんな時間!? ごめん。蒔田くんが帰ってくるまでには出ておこうと思ってたんだけど」
 スッピンの顔を真っ赤に染めながら、俺に言葉を発する隙すら与えずに、渡加部さんは中戸さんの部屋に駆け込んだ。彼女が着ていたのは、明らかに中戸さんのセーターだった。
 行動はえーなー。
 彼女の行動力に感心すると同時に、中戸さんの節操のなさに呆れもしつつ、俺は荷物を置いて用足しに行った。
 まぁこれで、俺らが同棲しているわけではないのだと、世間も納得してくれるだろう。俺にも彼女が出来やすくなるというものだ。出来るか出来ないかは別として。
 トイレから出ると、中戸さんがフィルター式のドリップコーヒーを淹れていた。俺を見止めてすまなそうな表情になる。
「ごめん。昨日、彼女と飲んでたら終電がなくなっちゃって。俊平くんは泊まりのバイトだって言ってたから、うちに泊めちゃったんだ」
「いや、いいですよ。俺も予定より早く帰ってきちゃったんで」
 精一杯の愛想笑いで応じる。
 どういう経緯か知らないが、ついこの間、佐渡という元恋人が乗り込んできたばかりだというのに、よく女の子を連れ込めるものだ。俺に同居話を持ちかけてきたことといい、この人、実は考え無しなんじゃないだろうか。
 俺は中戸さんが淹れてくれたコーヒーを断って、自室に戻った。なんとなくムカムカする気持ちを抱えながら、布団にもぐりこむ。早く帰れた時間だけ、睡眠を取ることができるのだ。
 だが、微かに漂って来るこうばしいコーヒーの香りや、甘えたような渡加部さんの声、それに、俺に気を遣うような中戸さんの抑えた足音などを聞いていると、よけいに目が覚めてきてとても眠ることなんてできなかった。






 あの日から、マンションで渡加部さんと鉢合わせするようなことはなかったが、二人はうまくいっているように見えた。たまに講義で一緒になる渡加部さんはいつもウキウキしていたし、みるみる綺麗になっていった。中戸さんは相変わらずだったが、時々女の子の好きそうな店などを訊いてきた。三年もいるのに、この辺りの土地勘て、あんまないんだよねーなどと、情けなさそうに頭を掻きながら。俺はそのたびになんとなくムカついたが、男同士の惚気を聞かされるよりはマシかと自分を宥め、以前真衣と行った場所で、彼女に好評だったところを紹介した。




 中戸さんに関することなので、大学に二人の仲が知れ渡るのも速かった。
「グンジ先輩って、女もイケたんだな」
 あの翌日には、有川がそんなことを言っていたくらいだ。
 俺は友人知人に、本当に同棲ではなく同居だったんだなと口々に言われ、自分が周囲からどう見られていたのか、改めて認識している最中だった。だからどうということはないのだが。
「グンジ先輩ってさ、てっきり男だけかと思ってた」
 有川は、心底意外だというように学食のフライを突ついた。他人のことなのに、よく勝手に決め付けられるものだ。
「別にそんなこともないらしいな。本人は性別にこだわらないだけだみたいなこと言ってたし」
 ついでに相手にもこだわらないんじゃないだろうか、あの人は。
「けど俺、あの噂は真実だと思ってたんだけどな」
「あの噂?」
 俺は一緒に暮らすようになるまで耳をすりぬけていたが、中戸さんに関する噂はありすぎて、どれがそれなのか分からない。俺はカツ丼をかき込みながら首を傾げた。
「グンジ先輩がおまえに惚れてるってやつ」
「ぶっ、ぐ」
 カツが喉に詰まり、俺は慌てて水に手を伸ばす。こいつは急に何を言い出すんだ。
「ありえねーだろ、俺だぞ」
 自慢じゃないが、俺の容姿は十人並みか、それ以下だ。中戸さんのように人好きのするような顔でもなければ、特別男らしいわけでもない。特に太ったり痩せたりしているわけではないが、目の保養になるような容姿でないという自覚はある。性格も好かれるようなものではないが、話したことはなかったのだから、知るはずもなかっただろう。
「でもおまえ、真衣先輩の時だって向こうから告ってきてたじゃん。同棲しようって言ったのも真衣先輩の方だったし。母性本能くすぐるなんかでもあるんじゃん?」
「母性本能って……。中戸さん男だぞ」
「あの人ならあるような気、しねぇ? 俺、サークルの部室でミスコンの写真見てから、時々先輩が女に見えるよ」
 ミスコンの写真とは、去年だったか一昨年だったかの学際で、中戸さんが審査員には内緒で女装して出たら優勝してしまったというあの時のものだろう。ただの噂かと思っていたが、写真が残っているということは、事実だったらしい。
「げー、やめろよな」
 俺はカツ丼を抱えて椅子ごと身を引いてやった。しかし脳裏には、風邪を引いた時、母親のようにてきぱきと世話を焼いてくれた中戸さんの姿が思い出されていて。うん、あの人なら母性本能もあるかもしれないなんてことをチラリと思った。
 有川は、写真を見れば絶対納得するってと力説して、一生懸命弁解している。
「今度部室から拝借してきて見せてやる! おまえ度肝抜かすぞ」
「へーへー。せいぜい楽しみにしてますよ」
「度肝のついでに、あれで抜くなよ」
「抜くかアホ」
 そんなことを返しつつ、同居人でそういう話をするというのは、それだけでもうオカズにしているようでなんとなくうしろめたかった。そこで俺がなんとか話題を変えようと思案していると、急に有川が黙り込んだ。フライが喉に詰まったのかと思い、水を差し出そうとする。と、奴は大きな息を吐いて椅子の背にぐったりと凭れた。
「あー、でも、ほんと俺の取り越し苦労だったみたいで良かったよ」
「取り越し苦労って?」
「いや、今回の同居もグンジ先輩から誘ってたじゃん。あの人、滅多に自分から人に声掛けるようなことしないから、おまえに気があるんじゃないかって、噂聞く前から思ってたんだ。だいたいいくら高いマンションでも、グンジ先輩が家賃払えないってのが信じらんないんだよなー」
「でも、あんま金持ってなさそうだぜ。バイトは掛け持ちしてるみたいだけど、そんなに遊びまわってる様子はないし、用事のない時はひたすら部屋に篭ってるっぽいし。そういや、煙草も金かかるから吸わないって言ってた」
 そもそも、元恋人が出て行ったのに、新たな同居人を掴まえてでもあそこに住み続けようと中戸さんが考えたのは、引越し費用の捻出がしんどかったからだ。本人がそう言っていた。
「ばーか。そりゃ部屋でも稼いでんだよ、きっと。こっち使う仕事でな」
 有川は自分の頭を箸で指し示した。
「あの人あれで、かなりできるらしいからな。この前なんかの雑誌に載ったっていう矢城の論文、あれ、グンジ先輩が代筆してるって話もあるくらい」
 そういえば、矢城教授を言い負かしたという話もあったような。あの、のほほんとした風貌からはイマイチ想像がつかないのだが。あ、でも、佐渡という元恋人を追い返した時の冷徹さなら、分かるかもしれない。












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