カフェ・コン・ジェラート

 バイトから帰り、部屋で明日帰省するための準備をしていたら、珍しく同居人の中戸さんが声を掛けてきた。
「俊平くん、今から実家帰るの?」
「いや、明日ですけど」
「良かった。バイト先でケーキ貰ったんだけど、食べない?」
 ダイニングに出てみると、テーブルの上にはデコレーションケーキの箱が置いてある。しかも側面にはいっぱいにポケモンのイラスト。
「なんでピカチュー?」
 というか、二人でこんなデカイのを食べるなんて、無理がないだろうか。いや、中戸さんは甘党で、ケーキなんていくらでも食べられるのかもしれない。マザーグースの、女の子はなんでできてる? とかいう歌じゃないけど、外見だけだと、なんか甘そうなもんばっかで構成されてそうだもんな、この人。
「今日のバイト先、小学生の子がいて前から親御さんがクリスマスケーキの予約をしてたらしいんだけど、突然親戚がケーキ買ってきてくれちゃって、ダブったんだって」
 そういえば今日はクリスマスイブだった。俺のバイト先にもカップルがたくさん来て、この後デートの予定がある奴を除き、みんな少々やっかみムードだったのだ。
 中戸さんは水屋から皿とフォークを出してくると、対面キッチンの向こうから俺に渡してきた。
「バイトって、何なんですか?」
 一般家庭にお邪魔するバイトって何だろうと思って訊いてみる。一緒に住んでいても、私的なことなんてほとんど知らないのだ。
「んー、今日のは家庭教師」
「で、その家の子が好きなのが、ポケモンなんですか」
 促されてケーキを出すと、真ん中にサンタの帽子をかぶったピカチューの砂糖菓子が乗っていた。
「そういうこと。甘いもの得意?」
「や、あんまり……」
「あちゃ。俊平くんもか。じゃ、コーヒー思い切り濃くしとく」
 中戸さんはげんなりしながら、カップにセットしたろ過器にコーヒーの粉を足した。
「え、中戸さん、得意だから貰ってきたんじゃないんですか?」
「いや、断れなかっただけ。誰かに流そうと思ったんだけど、好きな奴はすでにケーキ買ってて」
 そりゃイブだもんな。そこまで好きじゃない奴だって、ケーキ屋の前でつい立ち止まるような日だ。
 ケーキの箱の中にはロウソクも入っていた。どうしますかと問うと、中戸さんは面白がり、せっかくだからとロウソクを立て、火をつけて電気まで消した。
「どうせならシャンパンでも買ってくりゃ良かったか。ビールも切れてるしなぁ」
「男二人でそれは寂しいでしょう」
「あ、普通はそうだよね」
 そういえばこの人はバイなんだった。去年のクリスマスは五人切りをやったとかいう噂だからそんなことはないかもしれないが、一昨年あたりは男の恋人と二人で過ごしていたのかもしれない。今年はマンションにいるあたり、今はフリーなのか、相手の都合が悪いだけなのか。
「やっぱコレ、せーので吹き消します?」
 ロウソクの火を見て言う。いいトシをして少々恥ずかしいが、やっぱり吹き消すしかないだろう。
 しかし中戸さんは、自分だけ逃げやがった。
「俊平くんどうぞ」
「え? 俺だけ?」
「なんか願い事してみたら? 叶うかもよ?」
「それ、なんか違いません? てか、中戸さんすればいいじゃないですか」
 自分で点けたんだから、責任持って消して欲しい。誕生日じゃないんだから、一人で『ふーっ』なんて恥ずかしいじゃないか。
「俺はいいよ。もう叶ったし」
 甘い匂いが、より一層強くなる。ロウソクの灯りの中、幸福そうに微笑む中戸さんは、ちょっとどころじゃなく可愛く見えて。
 たぶん、ロウソクの灯りだけってのがいけないんだ。ここは早く蛍光灯に復帰してもらわないと。
 来年のクリスマスは女の子と過ごせますようにって頼んでみたらと提案され、さっさと元の状況に戻したいのと、そうすればこんな変な感覚になることもなくなるかもしれないという思いから、俺は渋々一人で吹き消した。
 ロウソクが消えると、中戸さんが手を叩いて電機を点けた。なんか子供に戻ったような気がする。ケーキを囲んで家族でクリスマスなんて、いつ以来だろう。別に中戸さんは家族じゃないけど。
 ケーキを切り分け、互いに大きいほうを押し付け合って皿に取る。サンタピカチューも勧められたが、こればかりは固辞させてもらった。けれど、間に苺の挟んであるケーキは、思ったより甘くはなく。
「わりといける」
「うん。思ったより食べやすいね」
 それでも、二口三口と食べるうちに、どろどろに濃いコーヒーをとてつもなく美味しく感じるようにはなったのだが。
「デコレーションケーキってとうぶん食べてなかったけど、昔食べてたのとちょっと違う気がする」
「昔ってさ、もっとバターって感じの気持ち悪くなる味だったよね」
 中戸さんは、バターのところを強調して笑った。
 この人は何を願い、何を得たんだろう。あの至福の表情から推測するに、よほど良いことがあったんだと思うんだけど。
「そういえば、中戸さんの願い事ってなんだったんですか?」
 甘みでぼわっとなった口の中を、コーヒーで引き締めてから問うと、やはりコーヒーを口にしていた中戸さんは、ああ、と顔を上げた。
「今の生活が続けられますようにって」
「へ? そんなこと?」
 思わず、ケーキを口に含んだまま問い返してしまう。
「だって、先週まで俊平くんは出てくもんだと思ってたから。いくら顔合わせること少ないって言っても、次に来る人によって、生活ガラッと変わるでしょ」
 中戸さんは平然と言って、皿の上の最後の欠片を口に入れたが、俺は身動きが取れなくなってしまった。
 それはつまり、俺が出て行かないようにっていうのが願いだったと、そういうことなんでしょうか。願いが叶ったのは、俺がここに住み続けることにしたから?
「俊平くん、口の端にクリーム付いてるよ」
 茫然としながらも、口だけ動かしてケーキを咀嚼していると、ふいに向かいから手が伸びてきた。顎にひやりとした感触があったかと思うと、親指の腹が左の口角を掠める。
 熱は一拍遅れてやってきた。中戸さんの手は冷たかった。なのに、微かに触れた顎が、左の口角が、熱い。
 上がってきた熱を必死で追い払う俺をよそに、中戸さんは親指のクリームをペロリと舐めた。形の良い唇から、赤い舌がチロリとのぞく。その様はひどく扇情的で。
 ……って、今この人、何した!?
「やっぱクリームだけじゃ甘いや」
 そりゃ当たり前……じゃない! いや、それは当たり前なんだけど、突っ込みどころはそこじゃない。いや、そこも十分突っ込みどころなんだけど。そうじゃなくて。
 ……そのクリームがついてたのは、たしか俺の口の端で……。
 更なる熱に襲われる俺のことなどどこ吹く風。中戸さんは涼しい顔で苦いコーヒーに口を付けた。











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