シーツ

 慣れない羽根布団の中で寝返りを打つと、頭に貼り付けていた冷却シートがペロリと剥がれ落ちた。だるい腕をもそもそと動かし、額に貼りなおす。物がいいのだろう。同居人の布団は軽く、鉛のリストバンドをしているかのように重い腕でも、出し入れがするりとできた。しかし、身体に掛かる重みが少ないのは、重量のある布団に慣れている俺には、少々心許ない。ベッドで寝るのも久しぶりすぎて、床からの高さに戸惑いを覚えた。元気な時にはなんともなかったと思うのに。熱のせいもあるのか、自分の位置が掴みにくい。
 アイスでも頼めば良かったかな・・・・・・。
 小さく溜息を吐いて、かさかさに渇いた唇を湿す。
 同居人の中戸さんは、風邪を引いて寝込んでいる俺のシーツを洗ってくれるため、コインランドリーに出掛けていた。シーツをはがされた俺の布団は、ベランダで太陽の恩恵を受けている。そして自分の布団を寝汗でぐしょぐしょにした俺は、中戸さんの布団を借りて寝ているのだった。
 枕元に置いていた携帯を見ると、もう三時が近かった。そろそろ布団を取り込まないといけない。昼過ぎに出て行った中戸さんは、まだ帰ってきていないようだった。
 すぐ帰るって言ってたのになと思い、それは夢の中に出てきた人物の話だったと思い直す。必ず帰ってくると言ったのだ、中戸さんは。
 俺はかすかに湧いてきた不安を振り切るように身を起こした。まだフラフラするが、熱はもう、微熱程度しかないだろう。早く入れなければ、せっかく乾いた布団が湿ってしまう。
 俺はスウェットの上から、布団の上に掛けていたパーカーを羽織ってベッドから降りた。何気なく辺りを見回して、ちょっと苦笑する。全体的にモノトーンで纏められた中戸さんの部屋の中で、布団だけが文字通り異彩を放っていたのだ。敷布団と枕はグレーなのに、掛け布団だけが何故か薄いブルーのマーブル模様。どちらかといえば、その浮いた部分の方が中戸さんのイメージに合っている気がして笑えてしまう。同居していてもまだよく分からないことばかりの人なのだが、俺の接した限りでは、シックでシンプルなモノトーンというより、ほんわかしていて掴みどころのないマーブリングといった感じなのだ。ブルーみたいな寒色よりは、黄色やオレンジなどの暖色の方が似合いそうだが。
 大きく伸びをして、冷却シートを貼ったまま部屋を出ると、ちょうど玄関の扉が開く音がして、中戸さんが帰ってきた。荷物を運ぶのお手伝おうと玄関まで迎えに出たら、病人には手伝わせられないと断られた。
「でも、すごい荷物じゃないですか。何買って来たんです?」
 中戸さんは、洗濯物を入れているらしい紙袋の他にも、コインランドリーの近くにあるスーパーとドラッグストアの袋と、少々離れた場所にあるホームセンターの袋を提げていた。帰りが遅いと思ったら、買い物に行っていたらしい。
「う・・・・・・ん、何か食べやすいものと思って、ゼリーとプリンとヨーグルト買って来た。あと、市販の風邪薬」
 中戸さんは、俺がヒーターを点けている間に、どれでもどうぞとダイニングのテーブルにスーパーの袋の中身を広げた。しかし、その物言いはどうにも歯切れが悪く、顔には笑みがない。まだよく知らない人だけど、にこにこしている彼しか目にしたことのない俺には、ひっかかるものがあった。
 それでも礼を言ってゼリーを手に取ると、中戸さんは「あ、布団!」と小さく叫んで、ベランダに走っていった。彼が掃き出しの戸を開けると、ひやりと冷たい風が入ってくる。そのせいか、軽く咳き込んでしまった俺の、手伝いますという申し出は当然のごとく却下された。
 しかし、ゼリーを食べ終えて自分の部屋に入った俺は、驚いて目をむいた。和室の中央に敷かれた布団には、見たこともないモスグリーンのシーツが掛けられていたのだ。
「ごめん。俺の不注意でシーツがとんでもないことになっちゃったから、これ使って」
 布団を整えていた中戸さんが、ばつが悪そうに俺を見上げる。怯えているようにも、甘えているようにも見える上目遣い。それは、どこか儚げな印象を与える彼の端整な容姿に、若干の憂いを含ませて。
 俺は、眩暈に似た感覚に襲われた。
「これって新品じゃないですか。悪いですよ、そんな」
 クラクラするのは熱のせいだろうが、汗が出るのは焦りからだ。あれこれと介抱してもらって、シーツを洗ってきてもらった上、それに失敗したからと新品を買ってもらったのでは、甘えすぎになる。
「とんでもないことになったって、使えなくなったわけじゃないんでしょう? 俺、少々どっか破けてても構いませんから、この新しいのは中戸さん使ってください」
「いや、あれはちょっと・・・・・・。あ、俺があれ貰うから、俊平くんは気にせずこれ使って。交換ってことで、ね」
 中戸さんは取り繕うような笑みを見せて、和室から出て行こうとする。俺は先にダイニングへ戻ると、テーブルの脚に凭せかけてあった紙袋に手をかけた。
「新品と交換じゃ合わないですよ。その前にどうなったのか・・・・・・」
 見せてくださいという俺の訴えは、紙袋の中身によって吸い取られた。自分の使っていたと思しきシーツを掴みあげたまま、しばし固まる。
「シーツのついでに、友達の海外旅行土産に貰った真っ赤なTシャツも一緒に洗ったら、そんなになっちゃって・・・・・・」
 申し訳ない。
 中戸さんはすまなそうに俺の手からシーツと紙袋を回収すると、そろそろと後退しはじめた。
「破れてはいないけど、さすがに使うの嫌でしょ? 俺、色とか気になんないから使うよ。実は前にも同じことやって、その時も交換したから気にしないで」
 あれだけ統一感のある色に部屋を纏めておきながら、色を気にしないというのは嘘だと思ったが、「大丈夫、自分で使います」とは言えなかった。代わりに出た言葉は、
「それって、あの掛け布団・・・・・・」
「そうそう。人のシーツと自分のジーンズ一緒に洗っちゃって色付けちゃったんだよねー」
 細やかな気配りを見せるわりにズボラな同居人は、取って付けたようにはははと笑って、自室の中に消えていった。
 だからあんなマーブル模様だったのか・・・・・・。
 俺はモノトーンの部屋で浮いていた薄いブルーの掛け布団を思い出て納得した。そして、様変わりしてしまった元俺のシーツで眠る中戸さんを想像し、何故か誤って春画でも見てしまった子供のようなうしろめたさを覚えた。おそらく、モノトーンやブルーよりも似合いそうだからいけないのだ。そして、あの色と、マーブル模様というのがいかがわしさを誘うのだ。きっとそうに違いない。



 かつては真っ白だったはずの紙袋の中のシーツは、淡いピンクでマーブリングされていた。








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