本気ですか 02

 「なんっっっじゃこりゃあああ!」
「何って素人の書いたネット小説」
 俺の叫びに、野間先輩がしれっと応えた。俺が引き裂きそうにしている紙束を取り上げ、ソファにかけている俺の後ろから覗き込んでいた中戸さんに渡す。
「ネットの友達に、以前グンジくんのことを話したの。ゲイ嫌いの後輩と同居してるバイの子がいるって。そうしたら友達が、実際はこうだったら面白いのにって、さらさらっと書いてネットにアップしてきたってわけ」
「そんなのちっとも面白くないですよ! ネットにアップって、不特定多数の人が見てるかもしれないってことですか!? 削除してください、今すぐ!」
「そんなこと言われても、アップしたのは友達だし」
「じゃあ何でわざわざ俺らに見せようと思ったの。俊平くんまで部室に呼び出して」
 中戸さんが件の紙束を捲りながら野間先輩に問う。俺は彼の手からそれをひったくった。
「中戸さん! 読まなくていいです!」
 つか、読まないでくれ。こんなのを中戸さんに見られたら、俺はもう終わってしまう。
 しかし、中戸さんは顔色ひとつ変えることなく言い放った。
「後ろから見えたから、もう読んだ」
 俺、終わった。
「面白くないっていうか、有り得ないね」
 俺はもう中戸さんの方を見れなくてうなだれていたが、彼は声音にも一切動揺の色を滲ませてはいなかった。何故あれを読んでそんなに平然としていられるのかと問い質したくなる。
 野間先輩の友達が書いたというネット小説の登場人物は、名前も現在のプロフィールも、まんま中戸さんと俺なのだ。そしてなんと、俺ら二人がデキてしまうというトンデモ話なのである。しかし、トンデモじゃない点がひとつあって、友人の有川にしかバレていないはずの俺の気持ちはしっかり書かれてしまっていた。作中ほど断定的には宣言できないが。でも、たとえ俺の気持ちがこのとおりじゃなかったとしても、こんなのがネット上に晒されてると知れば、誰だって削除しろと要求したくなるだろう。
「で、何でこんなの読ませたの、俺らに」
 中戸さんが、野間先輩に再度問いかけた。野間先輩は、こうべを垂れる俺の手から紙束を取り返し、
「それを書いた友達が、一応二人に名前の使用許可を貰ってほしいって言うから」
「んな許可、誰がしますか!」
 俺はすかさず言い放った。
「作り話だからって、何書いてもいいってもんじゃないですよ! 俺ら一緒に住んでんですよ!? それをこんなっ、こんなの書かれたら……っ!!」
 寝顔にキスとか洒落にならない。俺はこの先、中戸さんにどう接していけばいいのだ。中戸さんだって、俺をどうこうなんて話を作られて、俺への対応に困るに違いない。だいたい普通は逆だろう! なんで俺が中戸さんに掘られなければならないんだ。とは、作中の中戸さんのセリフを思い出すと言えないけれども。
「なまじ俺がバイなだけに、生活に支障を来たしそうだよね」
 興奮しすぎてぜぇぜぇ言っている俺の後を引き取るように、中戸さんが言った。
「知り合いが読んで俊平くんが誤解されても困るし、名前くらい変えてもらってよ」
「そうね。普段仏頂面しかしない蒔田くんが酸欠になるほど嫌がるなら仕方ないか」
「普通嫌がると思うよ。野間さんだって、中戸とか入江って名前のキャラクターに、自分と同じ名前のキャラが奴隷みたいにこき使われる話とかあったら嫌でしょう。まぁ、俺の方はそのままでもいいけど」
「え、グンジくんはいいの?」
「本気ですか!?」
 俺はソファの背から身を乗り出すようにして、中戸さんを振り仰いだ。野間先輩まで意外そうな顔をしている。
「だって、寝顔が『神様が間違えて魂を与えてしまった美術作品みたい』って、どう考えても俺とは別人じゃん」
 それで別人と思う人がいるかどうかは微妙なところだが、この人の場合、よく涎を垂らしながら寝ているので、寝ている時が一番人間らしく見える気がするのも事実だった。
「それだと蒔田くんだって、グンジくんが好きっていう設定からして別人だけど。まぁ、グンジくんがいいなら、蒔田くんの名前だけ適当なのに変更してもらうように言っとくわ」
 野間先輩は意外とあっさり引き下がり、ソファの傍らに置いていた鞄にあの紙束を突っ込んだ。グンジくんと噂のあった久松くんあたりがいいかしら、などと言いながら、鞄を肩に引っかけて立ち上がる。
「蒔田くんもそれでいい?」
「俺は……」
 両の拳をぎゅっと握る。
 良いわけがなかった。






 「本当にあれで良かったの?」
 野間先輩に呼び出されていた部室を出て、サークル棟の出口へ向かいながら、中戸さんが訊いてきた。すれ違う学生がことごとく俺たちを凝視していくような気がするが、きっと野間先輩に見せられたもののせいではなく、中戸さんがこの大学で有名人だからだろう。
「良くはないですけど。でも、言われてみれば、たしかに俺も名前が同じなだけで中身は別人だなと」
 俺はあの後、野間先輩に、俺もそのままでいいと申し出たのだ。我ながら馬鹿だとは思うが、たとえ架空の話でも、別の名前の奴が中戸さんの相手役として据えてあるなんて、あの話が存在すること以上に我慢ならない気がしてしまったのだから仕方がない。
「だけど、俺の場合と違って、外から見ただけじゃ違いが分かり辛いと思うけど」
「でも、よくよく考えてみれば、誤解ならとっくにされてるから、今更なんですよね」
 中戸さんのサークルの人たちには、何故か俺はホモ嫌いだと思われているが、その他の同級生にはホモになったと思われている節がある。ルームメイトが男の先輩でも同居でなく同棲だと思われることは、バイセクシュアルの中戸さんと暮らすと決めた時点である程度覚悟していたので、大した痛手ではなかった。もっとも、自分が本当にホモになってしまったっぽいのは、大きな誤算だったが。
「それに、中戸さんが気にならないって言うのに、一人だけ気にして騒ぐのもなんだかなって」
「うわー、なんか悪かったな。俺は自業自得だからいいけど、俊平くんは完全にとばっちりなのに。ごめん」
「別に謝ることじゃないですよ。中戸さんが気にならないなら、俺も気にする必要ないんですから」
 基本的に俺は、この人に嫌がられなければ、他の誰に気持ち悪がられようと構わないのだ。
「二人とも気にしなけりゃ、生活に支障も出ないわけだし」
「まぁそうだけど。でも、頭で分かってても気分的に落ち着かないことってあるんじゃない? 今は平気でもさ。俺はいいけど、俊平くんはほら、扱いもちょっとアレだったし」
 階段に差し掛かり、下から上がって来た学生とすれ違ったせいもあってか、それまで隣を歩いていた中戸さんは、俺の後ろから下り始めた。先に気にしないと言った中戸さんの方が、気にしているみたいだ。
「中戸さんはあの登場人物、俺に見えます?」
 振り向いて問いかけると、彼は間伐入れずにかぶりを振った。「まさか」と笑って、再び隣に並びかけてくる。
「洗濯してくれるところとかは俊平くんぽいけどね。でも、万一俊平くんがあんなこと言い出したら、俺は真剣に地下シェルター建設を考えるよ」
「どういう意味ですか」
「だって、俊平くんが男を、しかも俺をなんて、絶対天変地異の前触れだもん」
「……すごい決めつけですね……」
 俺のこの気持ちが世界情勢や自然界までをも動かすなら、この人の心くらい簡単に振り向かせられそうな気がするが。
「そうかな。経験と洞察に基づいた正しい見解だと思うけど」
 中戸さんは真面目な顔で言ったが、それは己の洞察力のなさを露呈するようなもので、俺はしばし呆気に取られた。
 玄関に着くと、中戸さんが先に立って扉を押し開けた。夕空を見上げて、うわぁと感嘆の声を上げる。
「今日の空、ちょっとすごいね」
「なんか、異様ですね」
 空だけではない。風景すべてが蛍光色に浸されているみたいだった。空一面を覆い尽くした不気味なまでの蛍光オレンジ――という表現が正しいかどうかすら分からない色――が、空気の色まで変えているかのようだ。空は昼間より確実に暗くなっているのに、目に映る景色が昼間並みに明るいのも奇妙だった。
 中戸さんが、放心したように上を向いたままうなずく。
「うん。綺麗だけどちょっと怖い」
 魂を抜き取られたような、でも整ったその横顔は、不思議な色に染められているのも相まって、不穏だけど美しい絵画か彫刻のようにも見えて。
 俺は心の中だけで、天変地異の前触れかもしれませんよと呟いた。










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