ラッテ 01

 俺の同居人は噂話の絶えない人だ。頭がいいだの足が速いだのという栄誉なものから、男たらしだのやくざと関係があっただの、元恋人に刺されそうになったのという耳を疑うようなものまで。
 最初は信じてもいなかったそれらの噂も、その人と暮らすうちに、あながち嘘ばかりでもないような気がしてきた。走っているのは見たことがないから俊足かどうかは分からないが、頭がいいのは確からしい。そして男たらしは言いすぎだとしても、節操がないところはあるような気がする。刺されかけたという話に至っては、俺自身がその場に居合わせた。噂はその前からあったから、ひょっとしたら刺されそうになったのは一度や二度ではなかったのかもしれない。
 ちなみに同居人である中戸さんは、男たらしの異名を持ってはいても、戸籍上は男である(確認したことはないが)。本人は女の子も好きだと言っているが、俺はどちらも好きではないのではないかと睨んでいる。
 とはいえ、人好きのする可愛らしい容姿に、いつも浮かべている柔らかい笑顔は、性別関係なく人を魅了するところがある。かくいう俺も、年末はちょっとやばかった。わけの分からない感情に飲み込まれそうになり、このままでは未知の世界の扉を開けてしまいそうで、同居を解消することまで考えた。
 しかし、そんな感情も、同窓会と称して地元で行われた忘年会で、年とともに忘れた。久しぶりに高校の同級生達と再会し、急に大人びた女の子たちと話しているうちに。前の彼女と別れてからしばらく振りに触れた、女性の肌の温もりとともに。残念ながら、彼女は現在彼氏のいる身で、俺とは昔好きだった記念に一回だけという前提の下での行為であったのだが。
 なにはともあれ、やっぱり俺は女の子の方がいい。いくら顔が綺麗でも笑顔が可愛くても、女性のそれに敵うはずはないだろう。
 たとえ中戸さんが、一昨年のミスコン(もちろん女性限定)の優勝者だとしても。






 実家に帰る時とは百八十度違う、晴れ晴れとした気持ちでマンションに戻ってくると、中戸さんにサークルの新年会に誘われた。中戸さんのいるサークルは、俺の友人の有川も入っているのだが、俺は所属していない。
「でも、前に来ない方がいいとか言ってませんでしたっけ? それに俺、あんなことしてたし……」
 俺は以前、そこの飲み会に紛れてタダ飯を食っていた。コッソリやっていたつもりだったが、どうやらそれは部員達にバレバレだったようで、有川や中戸さんの手前、どうにも行きにくい。
「ああ、あんなのみんな気にしてないよ。だって俊平くん、残ったの食べてただけで、ほとんど飲んでもいなかったでしょ。俺が言ったのは、俺と住んでるといろいろ言われるだろうと思ったからで、今は誤解も解けてるからいいかと思って」
 男関係がユルイと言われる中戸さんなので、男の俺と暮らしていても、周囲からは同居ではなく同棲と思われている節があった。それが先月、少しの間だけど彼がある女子学生と付き合ったことで、俺とは何でもないと、周知徹底できたというわけである。
「臨時収入あったから、今回は俺が俊平くんの分も出すよ」
 たぶん中戸さんは、先月の飲み会で酔っ払って帰ってきた時、俺に絡んだことを気に病んでいるのだろう。そんなこと、さっさと忘れてくれて構わないのだが。しかし。
「松の内は過ぎたけど、お正月だからお年玉代わり」
 にっこり笑ってそう言われ、年明け早々に散財して懐の寂しかった俺は、喜んで参加させてもらうことにした。






 新年会と言っても、要はただの飲み会である。学生御用達の安い居酒屋の広めの座敷。大勢いても、わりと仲間内で固まってグダグダ喋り、飲み食いする。俺も三年の中戸さんではなく、友人の有川のいる一年生ばかりのテーブルで、課題の愚痴や冬休みにあったことなどを語り合っていた。だいたいの奴が実家に帰っていたようで、居酒屋メニューに混じって、土産の煎餅やら饅頭やらまで流れてくる。俺も何か買ってくるべきだったかなぁと思いつつ、それらをもそもそと腹に収めた。
 そして全員がだいぶ出来上がってきた頃。どういう思考の経緯があったのか、あちこちでコロニーを作ってしまったバラバラの面子をまとめようと、一人の男が立ち上がった。最初に乾杯の音頭を取っていた人だから、多分サークルの部長だろう。
「えー、新しい年も始まったことですし、親睦を深めるため、全員で王様ゲームを始めたいと思います」
 何故今更という声が、あちこちから上がる。特に女性陣の反応は冷たかった。年は変わったが、学生が年を改めるのはやはり年度変わりだろうというのだ。
 しかし、こういう席での言葉に理屈など通用しないのが常というもの。あるのは酒とノリと勢い。反対の声以上に、ヤレヤレ! という酔っ払い達(特に男)の拍手がすさまじく、あっけなく全員強制参加にされてしまった。
 あとで聞いた話だと、この日の参加者は俺のような部外者が比較的大勢来ており、『あわよくば』と思った男性陣が、つるんで企画したらしい。どうりで前にもぐりこんだ時より、遥かに人が多いと思った。
 全員参加といっても人数が多いので、まずはグループ分けがなされた。一応、男女がほぼ均等になるように、五、六人ずつに分かれる。俺は、ほとんどが上級生のサークルメンバーばかり、唯一の知り合いは有川だけという、なんとも不安なチームに配され、盛り上げ役は有川に任せて、適当に逃げようと心に決めた。
 籤が回されて王様が決まると、それはいきなり有川で、奴が初っ端から出したふざけた命令に当たったのが、運悪く冷めた様子の女の先輩だった。やべぇという男性陣の心の声を裏切らず、彼女が思い切り有川の頬を張ったので、うちのグループは周囲に一瞬注目され、その後早くも白けムードが漂った。
 うちのように、白けて潰れていくグループが増えていく中、だんだんと盛り上がっていくところもある。中戸さんのいるところがそうだった。
 そこは有川並みのお調子者らしき川崎という四年の男の先輩がいる上、女性陣もノリノリだった。王様になった女の子が、「じゃあ、五番と八番がポッキーゲームー!」などと言っている。それに当たってしまった女の子も、相手になったのが川崎先輩だったせいか、乗せられるようにケラケラ笑って実行する。
 実行する者がいれば命令が過激になるのは自然の流れで。俺は嫌な予感を覚えた。
 次にそこで王様になったのは、川崎先輩。彼は座敷に響き渡るくらいの声でがなった。
「十番が王様とちゅうー!」
 うちのようにさっさとゲームを放棄していたグループのみならず、続行していたグループの者たちまでもが、動きを止めてそちらに注目する。掛け声も待たず、十番誰だー? という声が飛び交う。籤は男性陣にも平等に配られているわけで。みな川崎先輩が、女性とうまく絡めるか、それとも野郎相手に冷や汗を掻くか、わくわくしながら見ているのだ。もちろん、グループ外の男共のほとんどが後者を希望しているに違いない。
 しかし、結果は微妙なものだった。
「あ、俺だ」
 そう言ったのはたしかに男なのだが。
「なんだ、中戸かよー。つまんねーな」
「グンジじゃ女と変わんないし、面白くねーじゃん」
「まだ女のが盛り上がるよなー」
「俺で悪かったな」
 周囲のブーイングにしかめ面をしているのは、どうみても俺の同居人で。
 こんなことになるんじゃないかと思ったんだ。
 それでも、このまま場が白けて流れてくれれば問題はなかった。だが、そうは問屋が下ろさないのが世の常で。
「要は盛り上げりゃ文句ないんだろ? 盛り上げてやろーじゃん」
 川崎先輩は得意満面にそう言い放つと、何故かファイティングポーズを決めて、
「行くぞ! グンジ!」
ときた。中戸さんも中戸さんで、おうよ! なんてノっている。
 そのせいで下がり気味だった場も急にまた活気付き、どうせなら濃厚なのだの、ベロチューにしろだのと野次が飛ぶ。そしてしまいには、ほぼ全員が「ディープ! ディープ!」と手拍子を始めた。ディープディープって、ここは何年か前のイブの中山競馬場かっての。
 「行っきまーす!」という川崎先輩の掛け声とともに、睨み合うようにしていた二人の顔が近づき、上背のある川崎先輩の手が中戸さんの肩にかかる。それが合図のように中戸さんが瞼を伏せていって……。





 だめだ。無理。





「俺、ちょっと便所」
 俺は有川にコソッと耳打ちして、音を立てないように座敷を出た。
 襖を閉めた瞬間、キャーッという女性陣の何故か嬉しそうな悲鳴と、オオーッという男性陣の揶揄するような雄叫びが、中で弾けた。












inserted by FC2 system