コンパナ 02

 同居してるのに携帯番号も知らないのかと有川に呆れられながら中戸さんに連絡を取り、俺たちは大学の最寄り駅で落ち合った。構内では人の眼がありすぎる。
 駅に着いたのは軽く夕方の六時を過ぎていたが、中戸さんはまだ女の子のままだった。誰から借りたのか、ワンピースのようなチュニックにスキニージーンズをブーツインし、ミニタリー風のコートを羽織っている。襟元を埋めるクシュッと皺加工のしてあるマフラーも女性物のようだ。素足は一切出ていないし、他の人達もみんな厚着でもこもこしているので、肩幅が多少あってもあまり違和感がない。惑わされる者はあっても、気付く者などいなさそうだった。その証拠に、俺達が駅に着いた時、中戸さんは大学生らしき二人組にナンパされていた。
 一日中この格好でいたのだろうか。それっていろんな意味で、危ない人だったんじゃないかと思うんだが。
「なんかね、この格好でいるのも条件の一つなんだって」
 困ったような笑顔を浮かべる中戸さんに、有川は「その格好での方がいいと思いますよ」と紙片を差し出した。
「その他の条件です。オプションはやらなくても結構ですが、一つクリアにつき一万円アップ。ただし、証拠写真撮ってくださいね。偽造はナシで」
「あー、うん。たしかに男の格好じゃ無理あるな。あ、オプションはナシでいいや」
 紙を開いて、中戸さんが言う。
「いいんですか? いつだったか、オプション全部やって十万近く儲けたって聞きましたよ」
「おいおい。有川は友達変態にしたいの?」
「いやぁ、どっちかっていうと、グンジ先輩の変態っぷりがどれほどのもんかと興味が湧きまして。その時の写真は残ってないから、てっきり嘘かと思ってたんすよね、俺。でも、今朝の様子見て、こりゃやってるかなと」
「何だよ、オプションて?」
 俺が紙を覗き込もうとすると、中戸さんがそれを制した。二枚あるうちの一枚だけを俺の手にのせ、もう一枚を有川のポケットに突っ込む。
「ご想像にお任せするよ」
 にっこり笑って言うと、中戸さんは右手を差し出してきた。俺の手の中にある紙を見ると、条件その一として『外を歩く時は必ず手を繋ぐこと』と記されていた。






 条件は、手を繋ぐことの他にもいろいろあった。最低三時間はデートを続けること。時間証拠のため、始まりと終わりに写メを撮ること。プリクラを一枚は撮ること。などなど。
 通常、相手に賭けのことは教えないのだから、これらは中戸さんが誘導してこなさなければならない課題ということだったのだろう。しかし。
「別れ際にホッペにチューなんて、誰が考えたんですか」
「うーん、よく知らないけど川崎先輩か部長あたりじゃない?」
 中戸さんはマフラーに口許を埋めて、もぞもぞと答える。
「こんなのに沿ってデートなんかするから、変な噂が絶えないんじゃないですか」
「そうかも」
 全く、これをやられる身にもなって欲しい。今回、終わりにはまた有川が立ち会うことになっている。あいつの前で、こんな格好の中戸さんにホッペにチューされるって。どうすりゃいいんだ、俺は。
 外気は身が凍りそうなほど冷たいのに、中戸さんと繋いでいる手に、汗が滲みそうだ。
「中戸さんも、仕送りあんまないんですか? こんなことまでしちゃって」
 ふと思って訊いてみる。有川は以前、中戸さんは結構稼いでいるはずで、もっとお金を持っていてもおかしくないんじゃないかというようなことを言っていたのだ。
「んー、ないわけじゃないけど。手はつけないようにしてる」
「でも、適当に引っ掛けた男に『ホッペにチュー』とか『何でもいいからアーンと言って食べさせる』ってのをやるよりは……」
 俺はこの条件の紙片を見た時、有川たちのサークルに入らなくて良かったと、心底思った。そして少し、自分の中の中戸さんの認識を改めていた。卑猥な噂の多いわりに、本人は結構まともだと思っていたが、とんでもない。あのサークルは変態の掃き溜めだ。その中でも、今、俺と手を繋いで歩いているこの人は、かなりの変態だろう。変態の中の変態といったところか。オプションの紙に何が書いてあったのか、考えるだに恐ろしい。
 中戸さんは低い声で、またもや俺の認識を覆すようなことを呟いた。
「仕送りに手つけるくらいなら、女子高生の格好して援交する」
 卑猥だの淫乱だのと言われていても、そんな風には決して見えなかったのに。しかも二十歳過ぎた男が、女子高生の格好って……。
 でも、この格好で制服って、別の意味で洒落にならない気がしてくるからやめて欲しい。
「セーラー服じゃ肩幅隠せないと思いますよ」
「どのみち脱いだら隠せない」
 ……だから、そういうこと言わないでくださいって。
「あの、寒いですか? ずっとそうやってると、マフラーに口紅付いちゃいますよ」
 俺は、なんとか話題を変えようと努めて口を開いた。歩き始めてからずっと、中戸さんはマフラーに顔を埋めるようにしていて、何か喋ってもくぐもって聞き取りにくいのだ。それに、中戸さんの手はとても冷たかった。
「ああ、これ」
 中戸さんが空いている手でマフラーを引っ張って、顔を出す。
「格好はこれでも、声聞いたら男だって周りにバレちゃうでしょ。こんなことして歩いてるし、なるべく分からないようにしようと思って」
 『こんなこと』のところで、中戸さんは繋いでいる手を少し持ち上げた。今日は金曜日で、街路には人通りが多い。肩同士が触れるほどではないにしろ、隣や後ろを行く人の話し声は、さして大きくなくても耳に入ってくる。
 中戸さんは再びマフラーに顔を埋めると、窺うように上目遣いで俺を見た。
「ごめん。家賃が安くなるとはいえ、こんなことに付き合わせちゃって」
 大きめの瞳が、マスカラとアイラインのせいで、よけい大きくぱっちりとして見える。
 やばい。めっちゃ可愛いんですけど。
「いや、それは構いませんけど。条件のことは知らなかったんで」
 俺は中戸さんから視線を外して答えた。
「俺も失念してた。申し訳ない」
 でも、前回はホッペにチューなんてなかったんだけど。
 言い訳がましくぼやく中戸さんの声を聞いて、前はしなかったのかとちょっと安心すると同時に、前回という言葉が引っ掛かった。そういえば前回はオプションもやったとか言っていたが……。
「そういえば、オプションて何だったんですか?」
「そこでプリクラから済ませようか」
 俺の問いを軽くスルーして、中戸さんは通り沿いにあるゲーセンへと俺を引っ張っていった。






 意外にも、男同士でプリクラを撮るなんて初めてだという中戸さんとゲーセンを出ると、まだ始まってから十分も経っていなかった。声を出さずに時間を潰せるところと考えて、映画を観ることにする。
 駅前の映画館に行くと、ちょうどニコール・キッドマン主演のホラー映画が始まるところで、俺たちはチケットと一緒にポップコーンを購入して劇場に足を踏み入れた。映画館の暗がりの中で、『アーン』を済まそうという魂胆だ。
 屋内では手を繋がなくても良いという条件にしたがって手を放すと、少し肩の力が抜けた。異性ではないとはいえ、中戸さんは先輩だ。はやり緊張していたらしい。
 予告が始まって場内が暗くなると、隣から腕を引っ張られた。横を見ると、犯人の中戸さんが「さっさと済ませちゃおう」とポップコーンの容器と携帯を掲げている。俺は、周囲に写メを撮っていることを極力悟られないよう身をかがめて、口を開いた。
 映画はあまり観ないが、ニコール・キッドマンは好きな女優だ。彼女はどんな役を演じていても美しいと思うのだが、コメディやラブストーリーよりも、サスペンスやホラーの時の方がより綺麗に見えるのは気のせいだろうか。評判の良かった『アザーズ』というホラー作品など、途中で先が分かってしまって俺はつまらなかったのだが、彼女を眺めているだけで幸せだった。
 それなのに、今日はどうして映画の内容も彼女の顔も、頭に入ってこないのだろう。スクリーンで緊迫した表情を見せるニコールよりも、隣がどんな様子でいるのかが気になって仕方ない。そのくせ、そちらを見ることもできないのだ。中戸さんとの間にある肘あてに置いたポップコーンにも、俺は最後まで手を伸ばせなかった。






 映画館を出た俺達は、どうしようかと途方に暮れた。映画で二時間は潰れたものの、条件ではまだ一時間近く残っている。何か買う物とか行きたい所とかある? と訊かれて、俺はちょっと悩んだ。時間的に食事でもいいのだが、人前で喋らないようにするとなると、ちょっときつい。人と一緒に食べるのに黙々とっていうのも味気ないもんな。反対に、前回はどうやって時間を潰したのかと訊いてみると、言ったらこの場でリタイヤされるから言わないという答えで、その後はどんなに問い詰めても、中戸さんは決して口を割らなかった。
 日は完全に落ちており、金曜夜の人の足は少し浮き足立っている。スーツの人も普段着の人も、少しだけお洒落に見える。OLらしき三人連れの女性が、高い声で騒ぎながら、歩道沿いの店に吸い込まれていく。その先を見て、俺は妙案が浮かんだ。
「あの店に入っていいですか? 高校の時の同級生が働いてるらしくて、一度来てみてくれって言われてたんです。でも、あんなところに一人で入る勇気もなくて……。今の中戸さんと一緒なら、不自然じゃないですよね」
 女性達が入って行ったのは、例の少女趣味な外観の洋菓子店だった。お菓子の家みたいな入り口を見ただけで、甘い匂いが鼻腔に忍び込んでくるような気がする。
 中戸さんはそれならちょっと待っててと言って、目の前のコンビニに飛び込んでいった。しばらくして、マスクをはめて出てくる。
「これなら喋らなくても、風邪引いて声が出ないって思われるでしょ」
 俺が元同級生に変に思われないよう、考えてくれたらしい。顔の大半がマスクで覆われていて表情は掴みにくいが、目を細めて微笑んでいるらしい中戸さんに礼を言って、俺は店の方へ歩き出した。












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