カプチーノ 02

 ジューサーミキサーや炊飯器の並びに、コーヒーメーカーはあった。ミルが付いているものやエスプレッソもできるもの、保温機能や持ち運びできる魔法瓶のサーバーのものなど、いろいろある。
「コーヒーメーカーって結構するんだな。五千円くらいあればいいかと思ってたけど。サーバーがガラス製のなら安いのもあるのにな」
 そのガラス製のものだって、ほとんど五千円は下らない。
「保温しないといけないの?」
 値札を睨んで思案する俺の視線の先を見て、犬飼が言った。値札では『保温機能付き ステンレスサーバー仕様』と謳われている。
「いや、そういうわけじゃないんだけど。前のコーヒーメーカーが、去年あった地震で落下してサーバーにヒビが入ったからさ。そういう心配がないほうがいいかと思って」
「なるほど」
「でも、こんなに種類が豊富だと迷うな。みんなどうやって決めるんだろ」
「普通、味の好みで決めるんじゃない? 多少、製品のメーカーによって味が合う合わないがあるらしいよ」
「つっても、俺んじゃないし」
「頼まれ物?」
「や、いろいろ世話になってる人へのお礼。前のコーヒーメーカーが壊れて落胆してたから、ちょうどいいかと思って」
 例の彼女だとバレるのは避けたいが、全く説明しないのも怪しまれそうで、俺は正直に答えた。
「ああ、壊れたのって、蒔田くんのじゃなくて、その人のだったんだ」
 そんなにコーヒー好きそうには見えないもんねと、犬飼は得心顔をする。言外にガキだという意味が含まれていたようにも聞こえたが、外れではないので腹も立たない。俺はうんと頷いた。
「犬飼の店って喫茶もやってたじゃん。おまえ、どの製品がいいとか分かんないの?」
「わかんないよ。あたし、製菓の方だもん。コーヒーあんま興味ないし。あ、でも、このメーカーのやつはうちの店でも使ってるよ。業務用のだけど」
 犬飼は、目に付き易いところにポップ付きで置いてある、ちょっと小洒落たデザインのものを指差した。象印や松下ではない、聞いたことのないメーカー名が入っている。しかし、展示の仕方からして、コーヒーメーカーの分野では、わりと有名な会社なのかもしれない。
 これなら、サーバーがステンだからいいかも。でも高いな。一万弱か。
「うーん、予算オーバーだけど、これにすっかなぁ。犬飼んとこのコーヒー、中戸さん結構うまそうに飲んでたし」
「え? お礼の相手って、彼女さんなの!?」
 財布の中身を思い出しながら俺がブツブツ言っていると、犬飼が奇声を上げた。
「は!? ばっ、なんでそうなるよ?」
「だって、蒔田くんがうちの店のコーヒー飲んでるとこ見た知り合いって、彼女さんだけじゃん」
「うっ」
 こいつ鋭い。犬飼の指摘に俺は詰まった。あとで考えれば、この時点で弁解の余地はまだまだあったのに、自分の反応のせいですべての否定材料をおシャカにしてしまったような気がする。
 犬飼はにやにやしながら肘で俺の腕を突いてくる。
「へーえ、中戸さんていうんだぁ。下の名前は?」
「知るか」
 そんなもの、言えるわけがない。イクミとかミズキとか、中性的な名前ならともかく、中戸さんの下の名前は群司。どうしたって女の名前には思えない。
「へへへー、顔赤いよ? やっぱり好きなんじゃん、蒔田くん。こんなに予算オーバーしてるのに買ってあげようとするなんて」
「うっさい。金が浮いたのもあの人のおかげだから、仕方なくだよ」
「仕方なく、ねぇ」
「家賃半額浮いたし、ドイツ語の追試も助けてもらったからな。何もしないのも気持ち悪いだろ」
「蒔田くんて、意外と義理堅かったんだー」
「うっせ」
 犬飼の目は、不二家のペコちゃんを通り越して、えんどコイチの昔の漫画に出てきたアホ教師みたくなっている。俺は弁解をやめて店員を呼びに行った。ここでガラス製の安い方にしたら、それはそれでまた勘繰られると思ったのだ。






 犬飼は単に暇つぶしをしていただけのようで、俺が電気屋を出ると一緒になってついてきた。その間も、俺をからかって遊ぶのはやめない。しつこいと言うと、
「だって蒔田くんが狼狽するのって珍しいから面白いんだもん」
と返された。
「それにさ、蒔田くんが彼女さん……中戸さんだっけ、とうまくいってくれれば、あたしもまた会えるしぃ。これでもハッパかけてあげてんだよ」
「そういうんじゃないから嬉しくないから有り難くないから」
 ありがたいと思えと言う犬養に、無表情に答える。すると、彼女は歩道橋の上でバカ受けした。通行人の視線が痛い。
「そういう反応が面白いっていうんだよ。蒔田くんはそんなつもりないんだろうけど、めちゃくちゃらしくないもん」
 どういうのが俺らしいっていうんだか。
 俺を他所に勝手に盛り上がっていた犬飼はしかし、急に肩を落としてうなだれた。
「でも彼女さん、あれから店に来てくれないんだよね。気に入ってくれたんじゃなかったのかなぁ。あたしのケーキをあそこまで嬉しそうに食べてくれた人、初めてだったのに」
 犬飼が自信を失くすのは珍しい。俺はここぞとばかりに反撃してやった。
「へへへん。あの人がうまそうに食ってたのは、犬飼のケーキがうまかったんじゃなくて、人と一緒だったからだよ。人と同じ空間で同じ時に同じ物を食うとおいしいねって言ってたからな」
 俺は、犬飼がますますしょげ返るのを期待して見ていたのだが、彼女は俺の予想に反して勢いよく顔を上げた。心なしか、目が輝いているような気がして、嫌な予感がする。
「なんだ、やっぱり脈あるじゃん」
「は?」
「蒔田くんと食べたから、あたしのケーキがおいしく感じたって言ったんでしょう? 彼女……中戸さんは」
「俺に限らず、誰でもだろ。あの人最近、人と物を食うってことしてなかったみたいだし」
 よくそういう楽しい発想ができるものだ。犬飼の八十パーセントは『好都合』でできているのかもしれない。
 しかし、次の彼女の言葉には、一理あるような気がした。
「でも、少なくともうちの店に来てた時は、心ここに在らずじゃなかったってことだよ。じゃないと、『人と一緒に食べたからおいしい』なんて言えない」
 それはそうかもなんて思ってしまう。しかしそれはたぶん、俺ではなく別の人の影響で。
 ――時々、あの詩みたいな気分になることがある。
 俺が帰省している間に起きたであろう、中戸さんの心の変化。誰といても一人でいるのと同じだった中戸さんが、一緒にいても寂しいと思うようになった相手。きっと俺は、その誰かのお零れに預かっただけなのだ。
「バレンタインは? チョコ貰わなかったの?」
「貰うか、バカ」
 本当は貰った。貰ったといっても別に中戸さんが買ってきたわけではなく、中戸さんが貰ってきたものを食うのを手伝った。いくつが義理で、いくつが本命なのかは不明だが、中戸さんは女にもモテるようで(男にモテるのが異常なんだけど)山のように貰っていたのだ。二人とも甘いものはあまり得意ではないので、マンションのキッチンにはまだいくつか転がっている。
「そっかぁ。じゃあやっぱり蒔田くんの方が頑張るしかないね。応援してるから、頑張って落として、うちの店に連れてきてよ。じゃないとあたし会えないし」
「無理言うなよ」
「なんで無理?」
 脈ありなのは俺じゃないし。第一そんな女の子存在しないから。とは言えないけども。
「なんでそんなに会いたいんだよ? あの時みたいに犬飼のケーキうまそうに食うとは限らないだろ。だいたい、『上の空』のうまそうな顔かもしれないんだぜ?」
 今さっき落ち込まなかったのは、やはり俺の嫌味が通じていなかったせいかもしれない。犬飼の中には、前向きな感情に悪影響を及ぼすものは通さないというろ過器でもあって、落ち込むような言葉は通さないようになっているのではないかと疑ってしまう。
「あたしの好みなのよ!」
「は?」
 犬飼は、これまた周囲が振り向くようなハイテンションで力説した。
「ああいうホワホワした女の子、めっちゃ好みなの! あーもう、彼女さんがケーキ好きなら、店で残って持って帰る分、毎日持ってって餌付けするのに!」
 ……え、餌付けって……。
「言っとくけど、あたしノン気だからね」
 言うだけ言って気が済んだのか、それとも適当な時間になったのか、あれだけしつこくまとわりついてきた犬飼は、じゃあねと手を振って颯爽と去っていった。呆気に取られている俺を残して。
 ……犬飼と中戸さんを再会させるのは避けたい。
 足取りも軽く去っていく彼女の後姿を見送りながら、俺は強く思った。






 コーヒーメーカーを渡すと、中戸さんはもの凄く喜んでくれた。それはもう、今にも踊り出しそうな勢いで。
「ほんとに貰っちゃっていいの!? ありがとう! 大事に使うね」
 早速取り出して粉をセットしながらお礼に今度奢るという中戸さんを、それではキリがなくなるからと説得して、俺は気になったことを質問した。
「今も、『上の空』なんですか?」
 飛び跳ねんばかりの喜びようを見せ、いつも以上にニコニコと笑顔の花を咲かせる中戸さん。これでも中戸さんの心は、どこか遠くを見ているのだろうか。
 中戸さんは笑顔を引っ込めて、きょとんと首をかしげた。
「何で? こんなに嬉しいのに、上の空でいられるわけないじゃん」
 それからまた相好を崩してコーヒーメーカーに向き直る。
「ああ俺、とうぶん何があってもヘラヘラしてそう」
 その様子は本当に嬉しそうで、嘘ではないのだろうと思える。
 以前、同じ質問をした時にははぐらかされた。そして今回は、はっきりとした否定。
 それなのに、何故か俺の心は沈んでいて。





 そんな風に、嬉しいと思えるようになったのは、感情を伴った行動ができるようになったのは、例の人のせいですか?





 俺はその質問を、差し出された熱いコーヒーで飲み下し、舌を火傷した。












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