マキアート 04

 「昨日はごめんね。俊平くんに変なこと口走った上に、おかしな話聞かせて」
 食卓についてしばらくしてから、中戸さんが申し訳なさそうに口を開いた。
 口走ったというのは、やはりあの言葉のことだろうか。あの時の中戸さんはかなり惚けていたから、憶えていないかと思っていたのだが。
「いや、俺の方こそ、なんかいろいろ失礼なことしてすいません」
 中戸さんも気まずそうだが、昨夜の話を持ち出されると、俺も顔を上げられなくなる。
「俺、実家が絡むと時々ああなっちゃうみたいなんだよね。何やってるか分かんなくなって、気付くと人に縋ったり迫ったりしてるみたいで」
 傍迷惑な奴ですみません。
 中戸さんは手にしていたトーストを皿に戻して、ペコリと頭を下げた。
 それはまさか、だれかれ構わず、あんなことを言うということだろうか。
「それ、かなり危なくないですか?」
「そだね。酔った時と違って、気が付いたら知らない人とってパターンばっかだから、よく今まで病気にならなかったなって思う」
 中戸さんは滅多に酔わないらしいが、酔うと人に絡むことがある。それが過ぎて、なんでもない知り合いと一発やってしまった、ということが何度かあるらしい。しかもそれは状況証拠で分かるだけで、本人に記憶はない。しかし、今度はそれが知らない人ばかりときた。
 俺は頭を抱えたくなると同時に、あることを思い出した。
「ひょっとして、一昨年のクリスマス頃にも、似たような状態になりませんでした?」
「あー、うん。十二月の半ばに義父が最初の入院したから、見舞いに行ったのがその辺かも」
「それで、五人もの人間にあんなこと言って回ったんですか」
「さすがに五人はないよ。せいぜい三、四人だったと……って、え、なんで分かるの」
 中戸さんには、一昨年のクリスマスに五人切りをやって、それを知った恋人に刺されそうになったという噂があるのだ。彼は卑猥な噂が多いわりに、普段の実物にはそういった雰囲気はほとんどない。節操無しなところは確かにあるが、そこまで乱れた人間でもないようなので、さすがにガセかと思っていたのだが。まさか事実だったとは。
 俺は簡単に噂の内容を説明した。
「それで命の危険を感じて、年末年始はどっかに隠れてたって」
「命の危険!?」
 中戸さんはトーストをもそもそと齧りながら聞いていたが、俺が話し終わると噴き出した。
「しかも五人切りって……すごい言われよう」
 いや、一人減ったくらいじゃあまり変わらないと思いますよ。とは、さすがに言えない。
 中戸さんは笑いの発作が治まると、気を取り直したようにコーヒーに口をつけてから、弁明した。
「なんであんなこと言っちゃうのか、自分でもよく分かんないんだよね。別にしたいわけじゃないのに」
 どうやら酔った時と違って、おかしくなった時のは記憶が全くないわけではないらしい。断片的には残っていて、自分が誘った憶えはなくとも、相手におまえから誘ってきたのだと言われたことは記憶している。それも一人だけではないから、きっと本当なのだろうと思うだけの話だ。
「実家から戻ってくる時はよくなるんだけど、あの時は特にひどくて、まだら惚○になったんじゃないかって思った。時々正気に戻ってゾッとするのに、一人になるとまた別の人間の服の裾を掴んでる」
 最初は軽い調子で笑みさえ交えて話していた中戸さんは、終いには両肘を抱いて俯いてしまった。
 中戸さんは、どうしてあんなことを言ってしまうのか分からないと言ったが、俺にはほんの少しだけ、分かるような気がした。ただの勘違いかもしれないけれど。
 いたたまれなくなった俺が話題を変えようとした時、中戸さんが先に口を開いて笑顔を見せた。
「ごめん。朝からこんな話」
 それは全くいつもののんびりした調子で。俺は何も言えなくなってしまった。
 それから中戸さんは思い出したように、
「あ、でも、年末年始は別に隠れてたわけじゃないよ。実家に呼ばれて行ってただけ。誰にも言わずに行ったから、雲隠れしたみたいに思われたんだろうけど。それに、クリスマス頃のことがそん時の相手にバレたのは、もっと後だから」
「じゃあ、刺されそうになったのは本当なんですか?」
「いや、殴られただけ」
 でも、バレてひと悶着あったのは事実なのか。
「なんでそんな後になって……」
「一晩に行きずりばっか何人もだったから、さすがに怖くなって年明けに病院行ったんだ。それで、検査してもらってきたら相方に結果の紙見られて、何してたんだってなって。全部陰性だったから、気が緩んで放置しちゃったんだよね」
「放置って……」
 俺は頭痛がしてきた。この場合の検査結果というのは、おそらくアルツハイマーなどではなく性病のだろう。放置すんなよ、そんなもの。
 どうやら中戸さんは、実家のことはその時の恋人にも黙っていたらしい。それで行きずりの男と関係を持ったことだけが一人歩きして、五人切りの話が広がったようだ。
「なんか、俊平くんには変なとこばっか見せちゃうね。今まで人と暮らしてても、こんなのバレたことなかったんだけど」
 ごめん。
 そう呟いて申し訳なさそうにうなだれる中戸さんに、俺はテーブルの下で拳を握って怒鳴った。
「中戸さん!」
「はい」
 俺の怒声に、中戸さんが顔を上げて身を強張らせる。
「今度から、実家に帰った時と飲みすぎた時と……とにかくデカいショックを受けた時には、真っ直ぐここに帰ってきてください! 気を確かに持って、絶対に寄り道はしないこと! いいですね!?」
 あとはどうなっても俺が引き受ける。俺もやばいが、病気だけは持っていない。
「俊平くんて……」
 唖然としたまま中戸さんが口を開く。俺は眼光も鋭く返した。
「なんですか」
「保護者みたい」
「俺が中戸さんの保護者だったら、絶対外になんか出しませんよ。鍵かけて部屋に閉じ込めときます。こんな危なっかしい人野放しにしたら、心配で身がもたない」
 憤然と言って、気を静めるためにコーヒーを口に含む。すっかりぬるくなってしまったそれは、少し苦味が増していた。
 中戸さんは俺の剣幕に圧倒されていたようだったが、ふっと笑ってそれもいいかもと呟いた。
「そしたら迷惑掛けることもないしね」
「迷惑とかじゃなくて……あ、今回も病院行かなきゃなんてことないでしょうね!?」
 俺は思い出して問い詰めた。俺に言った時はすぐに正気に戻ったが、帰ってくる途中で何もなかったとは限らない。
「ああ、うん。今回はここに着くまで正気保ってたから。気が抜けたのか、着いてすぐあやふやになっちゃったけど。ほんとごめん」
「いや、外でおかしくなんなくて良かったです」
 きっと中戸さんは、実家で張り詰めていた気が抜けることで、『上の空』が表出するのだろう。あの言葉は、他人とすることで血縁者としたことを消し去りたいのかもしれない。
「ありがとうね」
「え?」
 突然掛けられた感謝の言葉に、今度は俺がぽかんとした。
「たぶん俺、あの留守電メッセージがあったから、昨日はここに真っ直ぐ帰ってこれた」
 静かな微笑とともに発せられた言葉。それは俺に、今更のように恥ずい留守録を残したことを思い出させた。



――俺、待ってますから。



「中戸さんがこのまま帰ってこなかったら、俺また住むとこ探さないといけなかったんで」
 俺はぶっきらぼうに言って、火照る身体を冷ますため、野菜サラダを思い切り頬張った。








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