フラット・ホワイト 01

 ある日大学に行くと、門の前に犬飼三咲が立っていた。今が盛りと咲き誇る桜の下、メイド服のようなヒラヒラのエプロンワンピースを着て。
「嫌がらせか仮装大会か」
「仕事よ、仕事!」
 口笛を吹く有川とは対照的に呆れる俺に、犬飼はビラの入った籠を掲げて見せた。
「新年度が始まって、今なら学生がよく登校してるだろうから、店の宣伝に行って来いって」
 たしかに、普段よりは校門前が賑っている。そして犬飼の服は、彼女の勤める洋菓子店で、ウェイトレスが着ていたものだった。しかし。
「犬飼ってパティシエ見習いで、コックコートみたいの着てなかったっけ?」
「宣伝行くなら可愛い方が効果あるから、こっちで行けって」
 よけい客が逃げるんじゃねーのと言う俺を叩いて、有川はデレデレと相好を崩した。
「いや、とっても可愛いよ、犬飼さん」
「ありがと、有川くん。じゃ、うちの店に遊びに来てね」
「うん。行く行く」
 犬飼は俺の高校の時の同級生で、有川は大学の同級。二人は今が初対面なのだが、まるでキャバクラのねーちゃんと常連客のようだ。
「有川、今の発言、箱辺さんに言うぞ」
 箱辺さんは有川の彼女だ。有川は慌てて、
「やだわぁ、蒔田くん。箱辺と行くんじゃないの」
 どうやら尻に敷かれているらしい。
 犬飼は犬飼で、客は多い方がいいとばかりに、ビラを二枚、有川に押し付けた。
「可愛い女の子連れならサービスしちゃう」
「犬飼、そろそろ仕事に戻らなくていいのかよ」
 他の学生達が、俺たちを遠巻きにしながら門をくぐって行く。しかし犬飼は気にする風もなく、「今も仕事してるし」とヘラヘラしている。
 なんとなく嫌な予感がして、あっそとその場を立ち去ろうとすると、案の定、腕を掴まれた。
「で、彼女さんは今日来るの?」
「知るか!」
 犬飼が俺たちに執拗に話しかけている目的。それは彼女の店に俺が連れて行ったとある人物で。しかし彼女は大きな勘違い――といっても、あの場合仕方ないんだけども――をしており、本当のことに気付かれるのは、非常にまずいのだ。だからさっさと立ち去りたいのだが。
「え? 彼女って何? 俺は聞いてないぞ」
 諸悪の根源、とまではいかないが、その一端を担っていた有川までもが邪魔をする。
「聞いてないもクソも、そんなもんいねぇ! さっさと行くぞ」
 俺は有川を引っ張って歩き出そうとした。その時。
「あー、俊平くん、良かった会えて」
 背後から聞こえてきた声に、俺は愕然とした。大学で会うことなんてまずないのに、なんで今日に限っているんですか。
「あ、グンジ先輩」
 有川が振り返って手を振る。
 声の主は犬飼の言う『彼女さん』であり、俺の同居人である中戸さんだった。






 「なんで大学に来てるんですか」
「俺がここの学生ってこと忘れてない?」
 がっくりと肩を落とす俺に、中戸さんは苦笑して一枚の紙を差し出してきた。見るとそれは大衆浴場の割引券で、俺はまたビラの類かと溜息を吐いた。
「なんすか、これは」
「なんかうちの風呂水漏れしてるみたいで、俊平くんが出てった後、下から苦情が来たんだ。で、修理するまで使えなくなったからあげる」
「げー。修理代かかるんですよね」
「いや、それは多分大家さんが負担してくれることになると思う。とりあえず不動産屋には電話して、明日業者に見てもらうことになったから。今日は俺も講義あるし」
 中戸さんはごめんと、すまなそうに頭を掻く。
 俺は、中戸さんのせいじゃないからと言おうとしたのだが、あっさり犬飼に先を越された。
「そんなの、あなたのせいじゃないんだから、謝ることないですよ!」
「え? あ、うん」
 中戸さんは突然の割り込みに驚いていたが、ふっと表情を緩めて、ありがとうと微笑んだ。
 俺に言わせれば、それがいけなかった。犬飼のスイッチが入ってしまったのだ。
「うわー! かっこいー!! てか、かわいー!! あの、あたし、蒔田くんの高校の時の同級生で、犬飼三咲っていいます。ぜひ、彼女にしてください!」
「はい?」
 奇声を上げて恋人に立候補し始めた犬飼に、さすがの中戸さんも眼が点になっている。
「あ、ひょっとして、もうすでにいます? 彼女」
「いや、いませんけど……」
「ちょっと待て、犬飼」
 中戸さんが流される前にと、俺は間に割って入った。
 中戸さんは『来る者拒まず』というレッテルを貼られるほど告白に弱い。告白というか、好意に弱い。好きだと言われると、ついオーケーしてしまう人なのだ。断るのが罪悪だとさえ思っているような節もあるくらい。俺はよく知らないが、下手をすれば、特定の相手が居ても、一夜限りの申し出なら受け入れてるんじゃないだろうか。
 普通なら告白される機会自体がそこまで多くないから少々弱くても問題ないのだが、この人の場合、外見のせいか性格のせいか、男女問わず人を吸い寄せてしまうところがあるので、外聞も悪いし始末も悪い。一応、ボーダーは決めているらしいのだが、それだって酩酊状態になるとどうなるかわからないという、俺から見ればとても曖昧なもので。
「犬飼、おまえにこの人は無理。犬飼は鋭いから泣きを見るぞ」
「そうそう、グンジ先輩はやめた方がいいって。この純真無垢な顔に騙されちゃいけない。この人こう見えて、超エロの変態よ?」
「あたし、エロい男の人好きー!」
 俺のみならず、有川にまで止められても、犬飼は全く怯む様子がない。しかし、中戸さんでも、引き止める人間が二人もいれば流されないようで。
「うーん、俺も犬飼さん泣かしたら俊平くんに怒られそうだからやめとくよ」
「えー、あたしが泣いたって、蒔田くんは怒ったりしませんよ。だって蒔田くん、すっっごい可愛い彼女がいるんですよ」
「え? そうなの? 俺、一緒に住んでるのに全然気付かなかった」
「俺もなんすよ。ったく、いつの間にそんな……」
「だから違うって!」
 中戸さんも有川も、すっかり犬飼の言葉を信じているようだ。俺の訂正には耳も貸さない。
 犬飼はホントホントと人差し指を立て、
「一度うちの店に連れて来たんですけど、もうラブラブって死語かもしれないけど、まさにそんな感じで。この間も、その彼女にあげるんだって、すごい真剣にコーヒーメーカー選んで・・て・・・・」
「だー! 違う!」
 俺は慌てて、マシンガントークを繰り広げる犬飼の口を塞いだ。
「俊平、それはセクハラだろ」
「セクハラもパワハラもねぇ! とにかく違うっつーの!」
 有川の注意に、俺の絶叫が飛ぶ。
 中戸さんは何か察したのか、クスクスと笑い出した。コーヒーメーカーあたりで気付いたのかもしれない。
 やばい。そこはかとなくやばい。真剣に選んでたのはお礼のためだからで。決して他意はなく。相手が中戸さんじゃなくても人のものを選ぶのに適当ってわけにはいかないからで。
 中戸さんは、俺を振りほどこうと暴れる犬飼に近寄ると、目線を合わせて微笑んだ。
「こんな可愛い子の申し出断るなんて勿体無いけど、やっぱりやめとく」
「俺なら怒りませんよ。犬飼泣かしても」
 勘違いされないように、殊更素っ気無く言う。それにちょっと笑って、中戸さんは続けた。
「うん、それもあるけど。俺、好きな人いるし」
 それはとても自然に出てきた言葉だったけれど。
 えーっと泣きそうな声を上げる犬飼を放し、俺は呆然とした。
「中戸さんでも人を好きになることあるんですか」
「俊平、この前までとっかえひっかえほぼ切れ間なしだったグンジ先輩に、そりゃないだろ」
「……なんかどっちもひどくない? 言い返せないけど」
 中戸さんは情けなく肩を落とし、犬飼は急に思案顔になった。有川の『とっかえひっかえほぼ切れ間なし』で、考えを改めたか。
 しかし、犬飼が考え込んでいたのは別のことで。
「中戸さんって……、たしか蒔田くんの彼女さんもそんな名前じゃなかったっけ……?」
 俺が蒼白になった瞬間。
「ぶっ!」
 有川が噴いた。
「ぶふーっ!! なんだ、犬飼さんの店に行ったのって、あの賭けのデートの時かぁ?すっごい可愛い彼女って、グンジ先輩!?」
「……っ、だー! そうだよ! だから違うっつったんだ!」
 ここまできたらしょーがない。俺は開き直った。てめーら変態サークルのせいだろーが! と腹を抱えて笑う有川の背中をどつく。
「え? え? どういうこと?」
 犬飼は俺たちの会話についていけず、一人取り残されたように戸惑っている。そんな彼女に、中戸さんがペコリと頭を下げた。
「俊平くんの『彼女さん』の中戸群司です。その節はケーキをご馳走さまでした」
「……っ、えええええええーーっっっ!?」
 一拍あってから、犬飼の絶叫が校門前に響き渡った。








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