コレット 01

 課題の資料を探して図書館に行くと、とある詩集が目に留まった。柄にもなく、北原白秋の『思ひ出』。
 同居人が白秋の詩を諳んじていたのを思い出し、手にとってぱらぱらと捲ってみる。詩なんて全く解さない人間なので、ほとんどが意味不明な言葉の羅列にしか見えなかったが、しんと心の奥底に落ちていった一篇がある。


  薄らあかりにあかあかと
  踊るその子はただひとり。
  薄らあかりに涙して
  消ゆるその子もただひとり。
  薄らあかりに、おもひでに、
  踊るそのひと、そのひとり。


 その詩を目にした時、俺は春先に見たある光景を思い出した。
 舞い落ちる桜の花びらと、それを受けて佇む人。
 ぽおっと淡い光を放つ花びらと戯れるように桜の樹を見上げていたのは、俺の同居人である中戸さんだった。






 軽やかに手を振り長い茶髪をなびかせて去っていく後姿を茫然と見送っていると、有川に背中を叩かれた。バシンとテレビのコント並みの音がする。
「おーおー、やるじゃん、俊平。どうすんだよ?」
「どうするって……。長谷川さん綺麗だしいい人だし、断る理由がない」
「ってことは、オーケーするんだな?」
「うん、まぁ、それもいいかと」
 突然だが、春がやってきた。
 いや、春はとっくにやってきていたのだが、俺に、やって来たのである。
 長谷川世里は、二か月ほど前からうちのバイトに入ってきた、俺より一つ年上の大学生だ。すらりとした長身に大人っぽい顔。仕事の覚えは早いし面倒見もいい、ちょっと姉御肌な女性なのだが、新人ということもあり、時々おっちょこちょいなミスもする。そういうのをバイトの先輩としてフォローしていたら、悪からず思われていたらしい。
 本日、俺のバイトが終わるのに合わせてやってきた有川が、俺が数ヶ月前に女に振られた話を彼女にしていたら、
「それなら、私が蒔田くんの彼女になってあげようか」
 脂肪分を五十パーセントカットしてみました、というくらいの軽さで言われた。
 ええ!? と驚いていたら、明日は二人ともバイトが休みだから、一緒に夕飯を食べようと提案された。その時に返事をちょうだいと。
 そして彼女は軽やかに手を振って去っていき、俺と有川は茫然とそのある種男前な後姿を見送っていたというわけなのである。






 その後、有川はうちのマンションにもついて来た。というか、もともとその予定で、俺をバイト先に迎えに来ていたのだけども。有川の目的は来週提出することになっている課題を写すことなので、俺は、それなら送迎くらいしやがれと要求していたのだ。
 マンションの客用駐車場に有川の車を停め、植え込みを回ってエントランスへと歩いていると、どこか見覚えのある長身が走り出てきた。俺を見止め、笑顔で一礼して去っていく。何か良いことでもあったのか、足取りが軽い。その人物はこの辺りの男子校の制服を着ており、俺は高校生に知り合いなんていたっけかと首を傾げた。
 しかし、疑問に思ったのも束の間、エントランスに入って、さっきの男子高校生が誰だったのか思い出した。
 エントランスには腕組みをした中戸さんが立っており。
「あ、俊平くん、おかえり。有川、いらっしゃい」
「グンジ先輩、お邪魔しまーす」
 有川がへらっと笑って顔を出す。中戸さんと有川は、同じサークルの先輩と後輩なのだ。
 俺は高校生の消えていった方を眺めて口を開いた。
「今の、河瀬……遼太くん、でしたっけ?」
 中戸さんの元教え子だ。教え子と言っても、別に中戸さんは学校の先生とかじゃない。ただの大学生で、家庭教師のバイトをしているのだ。
 河瀬遼太は一ヶ月ほど前に中戸さんに告白したせいで、気まずいだろうからと、中戸さんの方からバイトを辞退していたのだが。
「うん。バイト復帰することになってね」
「それは……おめでとうございます」
「ありがとう」
 河瀬遼太に再び教えるということは、彼を受け入れることにしたのだろうか。
 中戸さんは恋愛に関して、男女の別を気にしない人だ。そしてたぶん、河瀬遼太には特別な感情を抱いている。でも、だからこそ、怖くなって逃げ出したようなことを言っていたのに。
 中戸さんは嬉しそうに微笑んだが、俺は内心、ぎりぎりと歯軋りするような感覚に襲われていた。そんな俺の心中など分かるはずもない有川が、エレベーターに乗り込みながら、弾んだ声を出す。
「めでたいって言えば、こいつもめでたいんすよ。な、俊平」
「へ?」
 思わず訊き返したら、後頭部をスコンとどつかれた。
「おまえは十数分前のことも忘れたのか。長谷川さんだよ、長谷川さん。こいつ、彼女できたんですよ」
「あ、ああ、できたんじゃなくて、まだ、できそうってとこなんですけど」
「それでこいつ、明日の晩さっそくデートなんです」
 有川は、俺の訂正など完璧無視で話を進める。その時返事するのに、デートって言うんだろうか。有川の話では、俺たちはもう付き合っているみたいだ。
 どこまで正確に把握したのかは分からないが、中戸さんもへぇと楽しそうに相槌を打った。
「相手は長谷川さんっつって、一つ年上なんですよ。真衣先輩といい長谷川さんといい、こいつ、不思議と年上の女にモテるんですよね」
「別にモテてないし」
 二人だけじゃん。しかも、長谷川さんのは、あくまで『なってあげようか』という慈善事業的な感があるし。
「こいつのどこが年上に受けるのか、不思議でしょーがないけど」
「あはは。俊平くんて一見怖そうだけど、結構優しかったり面倒見良かったりするから、その辺のギャップがいいんじゃない? 年上に対してもあんま態度変わんないし、堂々と説教するし。年下と思って度外視してたけど、意外に頼れるわー、って」
 褒められてるのか貶されてるのかよく分からない。しかし、堂々と説教って。
「俺がいつ誰に説教なんかしましたか」
「え? 自覚ないの? 俺、しょっ中怒られてるのに」
 中戸さんはかごの隅に身を寄せて大げさに怖がって見せ、有川は信じられないというように俺を覗き込んできた。
「マジ? おまえグンジ先輩に説教たれんの!?」
「たれてない!」
「これが、すげーこえーんだよ。有無を言わさないっていうか、弁解の余地を与えないっていうか」
 今現在、弁解の余地を与えられてないのは俺ではないか。しかし、有川はうんうんと同調している。
「たしかに俊平って横柄なとこありますよね。でもグンジ先輩、なんでそんなのが分かるんすか。まさか先輩まで俊平に落ちたんじゃないでしょーね?」
 横目で見る有川に、中戸さんは握りこんだ両手を自分の頬に押し当てるような格好を取ると、わざと高い声を出して女言葉で答える。
「実はそうなのよー。グンちゃん失恋しちゃったぁ」
 二人とも何て会話をしてるんだと頭を抱えていたら、「なーんてな」と中戸さんが元の調子に戻った。
 それから俺に向き直るとにっこり笑って、
「良かったね、俊平くん。おめでとう」
「ど、うも」
 狭苦しいかごの中。満面の笑みでの祝福を、俺はどこか釈然としない気持ちで受けていた。








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