シャケラート 01

 職業、大学生。十九歳の男です。
 半年ほど前から同居している先輩を好きになってしまいました。今の同居人という立場は死守したいのですが、この気持ちに気付かれれば、このまま同居を続けることは難しいと思います。なぜならばその人は、俺がその人に対して絶対にそのような感情を抱くことはないと固く信じていて、そのために同居しているといっても過言ではないからです。
 俺はどうしたらいいのでしょうか。



 たとえばこんな質問をラジオや新聞の人生相談に送ったとする。すると、恋愛至上主義、世界の中心じゃなくても愛を叫ぶ輩を推奨しまくっているこの世の中、十人中八人くらいは告白してしまえとアドバイスしてくるだろう。
「一緒に暮らしているくらいなのだから、相手もあなたのことを嫌ってはいないはず。即恋人とはいかないまでも、なんらかの進展は望めるかもしれないから、気持ちを伝えてみてはどうですか」
「何もしないで後悔するより、して後悔したほうがいいに決まってます! 若いうちは失恋もいっぱい経験するといいよ。もちろん、うまくいくに越したことはないけど。応援してるから頑張って!」
「あなたにとって最優先事項はなんですか? その相手とただ一緒に暮らすこと? そうじゃないなら、早めに手を打った方がいいと思います。どのみち相手に恋人ができてしまったら、今のまま同居は続けられないのでは?」
 こんな感じで。
 しかし、その相手が同性だと付け加えた場合はどうだろう。
 おそらく、十人中九人くらいが「踏みとどまれ、諦めろ、同居を続けたいなら何も言うな(するな)」というアドバイスに変わるのではないだろうか。俺がラジオパーソナリティーかアドバイザーなら、きっとそう言う。
 いくら相手が、バイセクシュアルだったとしても。






 有川のサークルの飲み会は、前に参加したときよりも、幾分静かに感じた。ムードメーカーだった川崎先輩たちが卒業して、まだ緊張感の残る新入生が多いからかもしれない。盛り上がってはいるのだが、どこか上辺だけのような、底を見せないように気を張っているような、妙な必死さが漂っていた。
 有川に誘われてバイトの後で途中参加した俺は、その場の雰囲気に少し異様なものを感じつつ、有川の隣に腰を落ち着けた。すぐにバイトらしき店員がやってきて、突き出しに枝豆を出される。その際、飲み物を訊かれたので、ビールのついでに蟹味噌も頼んでおいた。部外者の俺が今日、途中からでも飲みの誘いに乗った理由はただひとつ。飲み会の場所が、この辺りでは唯一蟹味噌をメニューに入れているこの店だったからなのだ。でなければ、たとえ有川が「お前の分も出してやる」なんて天変地異の起こりそうな申し出をしてきていても、断っていただろう。
 幸い、有川のいる周りには気を遣ってやらなければならないような新入生もいなければ、俺がこの飲み会に参加したくなかった元凶もいない。慣れ親しんだ面々が、いつもどおりバカ話に花を咲かせていた。
 どうやら今日の肴は有川とその彼女の箱辺さんらしい。付き合い始めてかなり経つ二人が、最近やっと名前で呼び合うようになったので、みんなで冷やかしているのだ。
「どういう心境の変化よ?」
「二人きりの時は今までも名前で呼んでたんだろ?」
「まさか、今になってやっと一線越えましたってこたぁないよなぁ」
 んなもんとっくの昔よぉ! と胸を張る有川の後頭部を、横に座った箱辺さんがメニューの冊子で叩く。
「敏也くんが入学して来て、苗字じゃややこしくなったから」
「あー、カズン有川ね。たしかにややこしいよな」
「その呼び方やめてください」
 急に当人が現れて、その場にいた全員が仰け反った。
 敏也というのはこの春うちの大学に入学してきた有川の従弟だ。彼も有川という苗字なのだが、大学だけでなくサークルまで従兄と同じこの変態サークルに入ってしまったので、部員たちは呼び方に苦心しているらしい。
「ヨウだって、俺から見ればカズン有川です」
「まぁ、たしかに」
 ヨウとは有川のこと。敏也くんの冷静な見解に、テーブルの面々がうなる。後追いしてきたテメーが悪いという有川の意見は、正論の前に当然の如く却下された。
「んじゃ、有川はヨッシー、敏也はトッシーで」
 いかにも適当な提案に、みんなが俺の方を注目した。それは、俺の耳元から発せられていたからだ。しかもそこから腕が伸びてきて、俺がちびちびと少しずつ堪能していた蟹味噌をでかいスプーンで半分近くさらっていく。
 俺は振り向いて、息が止まりそうに……いや、一瞬マジで止まった。
「っ、あー! 何すんですか! 俺の蟹味噌ー!」
「一口くらい、いいじゃん」
「今の、俺の一口の十倍くらいありましたよ。好物だからちょっとずつ食べてたのに」
「ごめんごめん。そんなに好きだとは知らなくて。代わりに俺の好物あげるから許して」
 はい、あーん、と、何故か持っていた鳥皮の串を俺の口の前に差し出し、天使のごとくにっこりしている男は、俺の同居人である中戸さん。このサークルに所属する四年生にして、ここが変態サークルになっている要因のような人である。そして、俺がこの飲みにあまり参加したくなかった原因。
「い、りませんよ。俺、こってりしたものあんま好きじゃないし」
 居酒屋特有の絞られた照明の下とはいえ、まだ大して飲んでもいないのに赤くなっているのを周囲に悟られてはまずい。
 そう、この人こそが俺の悩みの種。バイセクシュアルの同居人なのである。
 俺は、怒っているふりをして、テーブルとは逆側に顔を背けた。なのに。
「なんで赤くなるんだ?」
 一番悟られてはいけない人の発したセリフに、背筋に戦慄が奔る。
 しかし、中戸さんが続けた言葉は、
「ヨッシー有川」
 その呼びかけに、テーブルがどっと湧く。有川は、よけい真っ赤になって抗議した。
「だー! その呼び方却下却下! トシはともかく、俺、一文字掠ってるだけじゃないっすか!」
「一文字掠ってりゃ十分だろ」
「十分、不十分です! だいたい、グンジ先輩がTPO考えねーのが悪いんじゃないっすか。『あーん』って、新婚かっての。そういうのは家でやってくださいよ、一緒に住んでんだから」
「えー、最近ダーリンと家で会うことないんですもの。家庭内別居みたいなもんだから、あたしたち」
 なんだ有川か、と息を吐いたのも束の間、二人のふざけたやり取りに、俺は再び顔に血が集中するのを感じた。周囲からは、やっぱり付き合ってたのか! と野次が飛んでくる。少し前ならなんてことなかったそんな野次も、今の俺には凶器に近い。頼むからやめてくれ。ばれたらどうしてくれるんだ。俺の心臓、マジで止まるかも。
「家庭内別居してる人たちが、外で『あーん』なんてやるんですか」
「そこはそこ、それはそれ。つか、普通にやるだろ」
 中戸さんは、おまえ食う? と、今度は有川の口許に串を突き出した。箱辺さんを横目で窺いながら、いりませんと首を横に振る有川を見て、あっそと涼しい顔で串を頬張る。有川は、「罰ゲームの時は隠れるようにしてやってたくせに」と悪態を吐いて、また中戸さんに絡まれそうになっていた。
 そこへこの春から部長になった入江先輩がやってきて、中戸さんの背中をどついた。
「わっ。危ないだろ。串で喉突いたらどうしてくれんだよ」
「おまえが見境なく誘惑してまわってるからだ」
 慌てる中戸さんに、入江先輩は不貞腐れたように返す。有川の話でしか知らなかったが、入江先輩が中戸さんに惚れている(女装した時のみということだったが)のは事実なのかもしれない。
 ほぉら普通じゃない、と茶化す有川をひと睨みして、中戸さんは頬を膨らませた。
「別にしてないし」
「川崎先輩に言うぞ。付き合ってんだろ?」
 入江先輩の爆弾発言に、その場にいた全員が二人の方を注目する。俺はとっくに知っていたが、周囲に倣って中戸さんを振り向いた。中戸さんは大きめの瞳をいつも以上にでかくして、入江先輩を注視している。
「なんで入江が知ってんの」
「この前の飲み会に先輩誘ってみたら、仕事の飲みで行けないって断られて、付き合ってるから、おまえが誰かに持ち帰りされないように見張ってくれって頼まれた」
 そうなのだ。中戸さんは現在、このサークルのOBである川崎先輩と付き合っている。ゴールデンウィーク中帰ってきている様子がないと思っていたら、連休最終日に川崎先輩の運転する車で帰宅してきた。二人で旅行でもしてきたのだろう。中戸さんは、帰省の時と同じスポーツバッグを提げていた。
「サークル仲間とは付き合わないんじゃなかったんですか」
 川崎先輩が帰った後、ついそんな嫌味を口にしてしまった俺に、中戸さんは少し申し訳なさそうな笑顔を見せた。
「卒業したからもうサークル部員じゃないって言われたら、それもそうかって納得しちゃって」
 納得したからって、付き合うか普通!?
「でも、先輩社会人で体裁もあるから人に言いふらすようなことしないし、俊平くんに迷惑かけることもないはずだから」
 中戸さんは、同居人である自分が男と付き合うことで、俺まで変態扱いされる可能性があるから、俺が不機嫌になったと思ったらしい。そんなこと今更だし、俺は周りにどう思われるかなんてどうでもいい。けれど本当のことも言えるわけがないので、ごめんと首をすくめる彼に、別にとだけ答え、それ以降、なるべく顔を合わせないようにしていた。
 それでも、中戸さんが今週もどこかに旅行していたことは知っていた。今朝はまだ帰っていなかったからこの飲み会にも来ないんじゃないかと考えて、有川の誘いにも乗ったのだ。それに、最近では向こうも俺を避けているような雰囲気があったから、もし来たとしても、声をかけられるなんて思ってもみなかった。中戸さんとは学年が違うせいもあり、もともと飲み会の席でそんなに親しく言葉を交わすようなこともない。








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