シャケラート 02

 中戸さんは「持ち帰られるって、女の子じゃあるまいし……」とぶつぶつ言っていたが、「何で黙ってたんだよ?」と入江先輩に詰め寄られて、小さく溜息を吐いた。
「別に公言するようなことでもないだろ。それにもう別れたし」
「はぁ!? いつ?」
「んー、先月末かな」
「なんで!?」
「さて、なんででしょう」
 中戸さんは、たいていの男が持ち帰りたくなるような笑みを浮かべてそう言うと、向きを変えてもとの席に戻ろうとした。その腕を掴んで有川が問う。
「で、グンジ先輩は何しに来たんですか」
「ん? ああ、俊平くん来てるみたいだったから、顔見に来ただけ」
「へ?」
 俺? と自分を指差せば、中戸さんは立ったまま最後の鳥皮をほおばって、無邪気にうんと頷いた。非常に行儀が悪いが、妙に可愛く見えるところが怖い。
「最近ほんとに顔見てなかったからさ、元気かなぁと思って」
 お互いに避けてますからね、とは言えないので、とりあえず「元気です」と答えると、中戸さんは「なら良かった」とにっこりして、今度こそ自分のいた席に帰って行った。






 その後。
「俺たちと入れ替わりに卒業した川崎先輩って、たしか男の人でしたよね……」
 神妙な面持ちで呟いた敏也くんの言葉に、
「川崎先輩って、あの川崎先輩……?」
「でぇー!? 川崎先輩もグンジ先輩狙いだったのか!」
「あの人美人の彼女いたじゃん! うそだろー!?」
 俺たちのテーブルは、今更のように騒然となった。
「別れたってことは、やっぱ彼女の方が良かったのかな」
「でもさ、女としては、元鞘には戻れないよねー、それ」
「いやいや、彼女に振られたからグンジ先輩と付き合ったんじゃね?」
「それって、グンジ先輩から告って付き合い始めたけど、川崎先輩の元カノが縒りを戻してもいいって言ってきたから、川崎先輩が振ったってこと?」
「それはどうかなー。少なくともグンジ先輩が川崎先輩好きだったとは思えない」
「あたしはその逆も考えられないんだけど」
「俺は結構アリだったと思うぜ。ほら、新年会の時……」
 俺は蟹味噌に熱中している振りをして会話をやり過ごしていたが、ふと隣の有川へ目を向けた。勝手な憶測で盛り上がる中、いつもなら一緒になって無責任な持論を展開するはずの奴が黙りこくっているのが気になったのだ。川崎先輩と中戸さんの仲を知っていた俺はともかく(といっても、別れたことまでは知らなかった)、有川はそんなこと知らなかったのだから、周囲と一緒になって大騒ぎして然るべきなのに。
 有川は俺と目が合うと、ちょっといいかと軽く顎をしゃくって見せた。その顔つきが妙にやぶさかに映って、俺は嫌な予感を抱きながら席を立った。
 悪い予感というものは得てして的中するもので、店の外に出るなり「すまん!」と頭を下げた有川に、俺はやっぱりなという感想を述べた。
「やっぱりって、俺がグンジ先輩に言ったこと、気付いてたのか?」
 店から漏れる明かりと店の前の煙草の自販機のそれに、有川のぽかんとした顔が浮かぶ。
「や、何か俺にやましいことがあるんだろうと思っただけ。おまえ、表情に出まくりなんだよ。今日に限って『奢ってやる』とか耳疑うようなこと言うし」
「なんだ、そっか」
 有川はホッとしたように一息つくと、尻ポケットから財布を取り出し、自販機に硬貨を投入してタスポをかざした。四月に誕生日を迎えた奴は、すでに成人認識カードを持てる年齢に達している。
「で、何言ったんだよ、中戸さんに?」
 落ちてきたショートホープを奴より先に取り上げ、白状するまで渡さないとばかりに高く掲げる。すると有川は、弱々しい声で恐るべきことを口にした。
「俺、言っちまったんだよ、おまえの気持ち……」
「へ!?」
 な、なんですと!?
 有川はもう一度、がばりと頭を下げた。
「すまん! この前の飲みの時、グンジ先輩がやたらと絡んできてさぁ、おまえが最近おかしい、心当たりはないかってしつこく訊かれて。先輩、俺が何か知ってるって察しつけてたみたいで、口割らないと箱辺……アイコの前でちゅーしてやるとか言うんだもん」
 中戸さんは有川たちのサークルで微妙な位置にいる。この微妙な位置というのは人間関係とかではなく、男か女かという性別のことで、中戸さんは決して半陰陽でもなければ性同一性障害でもないのだが、時として、男性の身体でありながら、あたかも女性であるかのような扱いを受けている。そして彼は、時折それを逆手に取り、箱辺さんに尻に敷かれ気味である有川への脅しとして利用する。他の先輩諸氏にもやっているのかもしれないが、サークル仲間とは寝ないという彼の信念に則って推測するに、絶対に引くか逃げるかする相手にのみ使う手口だと思われる。
 って、んなこと推測してる場合じゃない!
「なっ、それでおまえ、全部吐いたのか!」
 俺はショートホープを握ったまま、有川の胸倉を掴んで揺さぶった。煙草の箱がめりめりと音をたてて潰れていく。有川はそんな俺の手元に目をやったまま、「はっきり言ったわけじゃない!」と喚いた。
「けど、気付いた、かも……しれない」
 有川の弁解によると、中戸さんは、俺が彼を避けていることに気づいていて、かなり気に病んでいたらしい。最初は脅迫口調で有川の首を締めあげていたのが、しまいには首に抱きついて「俺、なんかやったかなー」と泣きそうな声でくだを巻き始めたという。それにつれて箱辺さんの視線に含まれる棘も増え、入江部長の表情も険しくなってきたので、有川はこのままではやばいと思い、とうとうそれらしいことを言ってしまったというのだ。
「かもしれないじゃねーよ、それ! 絶対気づいてる……」
 最近、中戸さんが俺を避けていたのは、そのせいだったに違いない。今週ずっとマンションにいなかったのだって、俺から逃げるためだったのかもしれない。
 俺は有川に、中戸さんに対する自分の気持ちをはっきり言ったことはない。けれど奴は、俺よりも前に俺の感情を察知していて、それを指摘してきた。その時、勝手に断定される形で話は切れたが、俺は断じて肯定なんてしていない。当時は、自分がそんな目で中戸さんを見ているなんて思いもしなかったのだ。でも、俺は最終的に黙り込んでしまった。有川はあれを肯定と取ったのかもしれない。
「ま、大丈夫だって! グンジ先輩、川崎先輩と別れたって言ってたじゃん。あれ、案外おまえの気持ち知ったからかもしんないぜ? 今日だってわざわざおまえの様子見にきたくらいだし、絶対脈ありだと……」
「んなわけねーだろ!」
 俺は有川のノーテンキな推論に被せるように叫んだ。
「あの人が俺を気にしてんのは同居人だからだよ! そんで俺は、あの人を好きになることないって思われてるから、あそこに置いてもらえてんだ! 今までそういうことで散々同居人変ってるからな。つまり、俺が気に入られてんのは、ホモになる心配がないからなんだよ! 好きだなんてばれたら、俺はその場で失恋だけでなく宿無し決定! どーしてくれんだ!」
「まさか、グンジ先輩に限っていきなり追い出すなんて……」
「ないって言い切れるか? 既に俺、家で避けられてんだぞ」
 もう有川に対して誤魔化そうとか取り繕うとか、そんな余裕はなかった。俺の想いなんて、中戸さんにばれなくても気付いた時点で失恋決定だったが、ばれたとなれば今度は死活問題に発展する。俺はこれからどこに住めばいいんだ。いや、その前に、中戸さんににっこり笑って「出てってくれる?」なんて言われた日には、住処だけでなく、生きる気力も無くしてしまいそうだ。今まで、失恋を理由に自殺する奴なんてとんだ腑抜けだと思っていたが、今ならそいつらの気持ちが分かる。ような気がする。
 ひとしきりまくし立てて怒鳴る気力も失った俺は、有川のTシャツから手を離した。有川は力なく垂れ下った俺の手から、すっかりへしゃげてしまったショートホープを取り返すと、三度頭を下げた。
「悪かった! んなこと知らなかったから」
 そして俺の両肩をがしっと掴み、
「今日は思う存分飲め! そして食え! 蟹味噌もまだ頼んでいいから! でも、俺んちに泊まるのは明日以降にしてくれよな。今日はアイが泊まることになってるから」
 俺の恋は、俺の知らないところで走り出していた。……らしい。








時系列index




inserted by FC2 system