肉じゃが 01

 生まれて初めて肉じゃがを作ったのは、中学生の時だったか。
「まずくはないが……、うまくもないな」
 そんな感想を漏らした親父にブチ切れ、二度と作ってやるか! と怒鳴って鍋をひっくり返した覚えがある。
 その後、親父が肉じゃががあまり好きではなかったということに思い至り、あの言葉とは裏腹に、俺は事ある毎に肉じゃがを作りまくった。親父が三者面談をすっぽかした時や冷蔵庫のビールを飲んだといちゃもんをつけてきた時。自分の連れ込んだ女の下着まで洗わせられた時や、俺に怒って手を挙げてきた時など、それはもう嫌がらせのように。口臭のきつい女を三日も泊めやがった時には、どでかい圧力鍋にたっぷり作って、一週間毎食肉じゃがを食わせてやった。
 そんな悲しくも下らない過去に、今俺は、とてつもなく感謝している。
 親父が肉じゃが嫌いで良かった。
 何度も俺を怒らせ、肉じゃが作りに励むよう仕向けてくれて良かった。
 全ては今、この時のためにあったんだ。
 きっと。






 「おいしー! 幸せー! 生きてて良かったー!!!」
 生徒のまばらなお昼前の学食に、中戸さんの歓声が上がる。まばらとはいえ、お客は他にもいるわけで。何やらヒソヒソいう声と一緒に、視線が注がれているのを感じる。中戸さんは、そんなこと慣れっこなのか、我関せずと一心不乱に食っている。その食いっぷりたるや見事なもの。そして目尻を下げた幸せそうな笑顔は、彼が二十歳をとっくに過ぎた男性であることをつい忘れてしまいそうなほど愛らしい。
 俺は暇な奴がいるなと思いつつ、これだからこの人は注目を集めてしまうのかと、頬を緩めながらも妙に納得していた。
 涙を流さんばかりの歓喜の表情を浮かべて俺の持ってきた肉じゃがを頬張る中戸さんの姿に、俺について学食にやって来た有川と箱辺さんは呆れ気味だ。
 ちょっと大げさすぎやしませんか。
 顔にそう大書してある。
「グンジ先輩、味覚おかしいんじゃないっすか? こいつの作ったもんでしょ?」
「いや、マジ美味いよ、これ。ていうか、俊平くん料理うまいよ。有川はできないとか言ってたけど」
「だって俺、俊平が料理できるなんて知らなかったっすから。このモノグサ野郎にそんな芸当ができるなんて思わないじゃないっすか」
 有川はなんとも失礼なことをのたまって、中戸さんが抱え込んでいるタッパーに手を伸ばした。その手を、俺と中戸さんで同時に叩く。
「有川にはやんない」
「おまえは食うな」
 ひっでー! と泣き真似をする有川の横で、箱辺さんが「私は私は?」と身を乗り出す。中戸さんは「箱辺ならいいよ」と、テーブルにあった割り箸を渡し、タッパーを差し出した。それから自分は別のタッパーの蓋を開け、目を輝かせて厚焼き卵を口に入れると、これまた幸福そうに顔を綻ばせて。
「おいしー」
 その至福の表情ときたら、もう可愛いなんてもんじゃなく。それを俺の作ったものが引き出しているのだと思うと、これ以上の喜びはないかもなんて半ば本気で思ってしまう。
 俺、人に手料理食わせてこんなに幸せ感じたのって初めてかも。
「ん、ほんとだ。肉じゃがにしてはちょっと辛いけど、イケるわ、これ」
 気持ちいいくらいパクパクとタッパーの中身を平らげていく中戸さんに魅入りそうになっている俺を、箱辺さんの声が現実に引き戻した。
 ちっ。どうせなら、学食なんかじゃなく、マンションで食べてもらえば良かった。
「中戸さん、甘いもん苦手だって言ってたから、辛目にしてみたんだ」
「何おまえ、家でちゃっかり奥さんしてんの?」
「するか! これはこの前の課題の礼」
 ニヤニヤしながら俺の腕を小突いてくる有川に、テーブルの下で蹴りを入れる。中戸さんだけでなく箱辺さんまでいるのに、何を言い出すんだ、こいつは。
 先日、課題のレポートがなかなか終わらず、提出日の前日深夜までマンションのダイニングで悪戦苦闘していたところ、研究室に泊り込んでいたはずの中戸さんがひょいと帰ってきて手伝ってくれたのだ。
 もうだめだ、間に合わないと頭を抱える俺の横で、ざっと資料に目を通し、
「俊平くん、要点はいいとこ押さえてるよ。表はこれ使うつもりなんでしょ? だったらあとは文章組み立てればいいだけだから大丈夫。ここまでできてりゃ楽勝だよ」
 そう言ってにっこり笑った中戸さんは、ものすごく頼もしく、神々しく見えた。正直、この時ばかりは望んでもらえるなら奥さんでもいいかもと思ったほどだ。
 それから文章の添削やら図の作成やらをやってもらい、翌日無事にレポートを提出した俺は、お礼に何かしたいのだけどと申し出たのだ。そこで返ってきた答えが、
「肉じゃがが食べたい」
 ここのところ、ゼミの共同研究で研究室に篭りきりの中戸さんは、まともな食事を摂っていないのだという。だから、これが終わったら肉じゃがを作ってほしいと。
「俺、肉じゃが好きなんだけど、家であんま食卓に上んなかったんだよねー」
 しかし、それならまともに食べれない今こそ差し入れてあげた方がいいのではないかと考えた俺は、弁当にして学校に持って来たのだった。肉じゃがだけでは寂しいので、ご飯や卵焼き、ウィンナーなどの普通の弁当メニューも添えて。
「あーあ、私も料理のできる彼氏が良かったなぁ。蒔田くんに鞍替えしようかな」
 頬杖をついてうそぶく箱辺さんに、ええっ!? と有川が反応する。
「そんな! ダメ! 俊平! 俺に料理教えろ」
「えー、面倒臭い。俺だって基本的なもんしか作れないし。箱辺さんに教えてもらえよ」
「私はダメ。私も食べる専門だから。お菓子なら作るけど」
 そんなやり取りをしている間にも、中戸さんは弁当を食べ終え、行儀良く両手を合わせて「ごちそうさま」とやっている。思わず「いえいえ」と顔を綻ばせてタッパーを回収していると、またもや有川が卑しい笑みを向けてきた。
「じゃあ俺たちはお邪魔だろうから、一足先に失礼するかな」
 そう言って、箱辺さんに席を立つよう促す。俺は慌てて言い返した。
「何言ってんだよ。おまえらにとって、俺らが邪魔なんだろ」
「へへへ。そうかもな」
 ったく、あいつらは何しに来たんだ。俺は溜息を吐いて、箱辺さんの背を押していく有川の後姿を見送った。
「俊平くんは? まだここにいる?」
 そう訊かれて、昼飯まだなんでと答える。すると、中戸さんまでもが欠伸をしながら、
「じゃあ、邪魔者がいなくなったところで」
 なんて言い出したので、俺はちょっとドキッとしてしまった。欠伸のせいか潤んだ瞳に見つめられ、心拍数が上がるのが分かる。
 しかし、中戸さんが可愛らしく小首を傾げて続けたのは、
「俺ちょっと寝るから、三十分後に起こしてくれる?」
 どうやら小首を傾げたのは、睡魔で頭が重たかったせいらしい。俺がいいですよと返事をするや否や、彼は四人掛けのテーブルにゴツッと派手な音を立てて頭部を沈没させ、死んだように眠り始めた。
 腹が一杯になったからなのか、睡眠不足が続いていたのか、のび太もびっくりの入眠だった。








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