疑惑 その1

 「蒔田ってさぁ、グンジのこと嫌ってる?」
 友人の有川に、休んだ講義のノートをコピーさせてもらおうと、奴の所属しているサークルの部室を訪ねたら、部長の入江先輩にそんなことを訊かれた。
「え、別にそんなことは……」
 あるわけがない。いっそそうだったら楽なのだが。
 どこから持ち込んだのか、入江先輩はカバーの破れたソファに寝そべっている。破れてはいるが、なかなか高級そうだ。俺は部室のドアを閉めながら訊き返した。
「なんでですか?」
「この前の飲み会で、あいつ酔っ払って、おまえに避けられてるみたいなことこぼしてたしさぁ。年明けくらいにほら、罰ゲームでグンジに女装させて蒔田と写メ撮らせたじゃん。あの写真でもおまえ、すげぇ嫌そうな顔してたし」
「いくら住むとこなくても、そんな前から嫌ってたら同居続けてませんよ」
 入江先輩の言う『グンジ』とは、我が同居人である中戸さんのことだ。入江先輩の言う罰ゲームからは半年近く経っている。
「だよなぁ」
 入江先輩は、ソファから落ちないよう窮屈そうに寝がえりを打って頭を掻いた。
 仰向けになった入江先輩に促されて、向いのソファに腰を下ろす。入江先輩の寝転んでいるものと対のようだが、やはり座り心地が良い。このサークルのどこにそんな金があったんだろうと訝しく思ってしまう。
 俺がソファの座り心地を堪能している間に先輩の口から出た話によると、どうやらこのサークルの先輩たちは一様に、俺が中戸さんを嫌っていると思っているらしかった。昨日も俺を引き合いに出して、野間先輩という女の先輩と入江先輩で、さんざん中戸さんを苛めたのだそうだ。
「グンジの奴、特に傷ついた顔もしなかったけどさ、『そうかもな』なんて肯定するようなこと言うから、おまえらうまくいってないのかと思って」
「や、同居してても、嫌ったりうまくいかなくなったりするほど一緒にいないんで」
 有川がいたら、「こいつがグンジ先輩を嫌うわけないじゃないですか!」なんて茶化してきそうだが、幸い今は用を足しに行っている。つまり、まぁ、事実は先輩たちの憶測とは逆なのだ。だからというかなんというか、俺が嫌っていると聞いても、中戸さんが傷ついた顔ひとつしなかったというのは、ちょっと、いやかなり痛い。そういう人だと理解しているつもりだったが、少し前に直接話した時、俺に嫌われてるんじゃないかと不安だったなんて耳を疑うような嬉しいことを言ってくれていただけに、辛さ倍増だ。
「でも、じゃ、なんで何日も帰ってないんだ?」
「や、帰ってますよ。中戸さんがたまたまいないだけで」
 本当はちょっと嘘だった。自分の感情に気付いてから、なんとなく中戸さんとは顔を合わせ辛いのだ。だから、帰っていないわけではないが、マンションにいる時間は短くしている。
「でも、一昨日は有川にバイトは休みだって話してたのに、マンション帰らなかったんだろ?」
「ああ、その日はバイト先のツレんとこで遊んでたんですよ。今、バイト仲間の間でウノと花札が流行ってて、なんだかんだで明け方まで」
「どういう組み合わせだよ。徹マンしてたってならともかく」
「まったくで」
 思わず、入江先輩と一緒になって天を仰いでしまう。バイト先でウノと花札が流行っているのは本当なのだ。何故ウノなのか、そして何故花札がセットになっているのか、俺は知らない。一昨日泊まった栗城の部屋では、「リバースぅー」「げぇ、ドローかよ」などと言ってる隣で「月見で一杯!」「いのしかちょう!」なんて言葉が飛び交っているという、混沌とした空間ができあがっていた。
「ふーん。じゃあ、まだ同居を止める気はないんだな」
 入江先輩はおもむろにソファから起き上がると、ローテーブルの上に置かれた煙草に手を伸ばした。
「はい」
 吸うか? というようにのぞけられたセブンスターの箱の口を、手で押しとどめるようにして断りながら、口では肯定の返事をする。入江先輩は一本銜えて百円ライターで火をつけると、俺から顔を逸らして紫煙というよりただの白煙を吐き出した。そのままこちらを見ないで言う。
「ま、あいつ、完全ノーマルな蒔田みたいな奴から見れば、多少気持ち悪いかもしれないけどさ、悪い奴じゃないから」
「はぁ」
 中戸さんはバイセクシュアルだ。でも、ゲイだと思っている人も多い。知った時には多少驚きもしたが、別に気持ち悪いとは思わなかったので、同居を始めた。しかし、案外その時点で、俺はすでにノーマルではなかったのかもしれない。
 でも、俺は少しだけ安心した。中戸さんの周囲は一見、気の置けない友人のようでいて、実は虎視眈々と恋人の座を狙っている輩ばかりかと思っていたが、彼にもちゃんとした友人がいたのだ。入江先輩なんて、中戸さんを女装させては喜んでいる変態だとばかり思っていたのに。
 先輩、今まで変態だと思っていてごめんなさい。俺は心の中で目の前で煙草をふかす男に頭を下げた。
 が。
 入江先輩は携帯灰皿を開きながら舌打ちした。
「ちっ、残念。蒔田がグンジ嫌っててあそこ出てくつもりだったら、次は俺入ろうと思ってたのに」
 心の中の前言撤回。顔は合わせ辛くても、あんたみたいな変態がいるから出ていけないんだよ。
 俺は腹の中で暴言を吐きつつ、きっぱりと言い放った。
「すみませんが、今のところそういう予定はないんで」








数をこなす30題

時系列index




inserted by FC2 system