鏡写し 01

 今村昌平監督作品『復讐するは我にあり』は、実在した連続殺人犯をモデルに描かれた小説の映画化だ。
 緒方拳演じる主人公の榎津巌は、敬虔なクリスチャンの家庭で育った。しかし、戦時中の経験から父親や信仰に反発を覚え、犯罪を繰り返す。
 映画の終盤、数多の詐欺容疑と五人の殺害容疑で逮捕された榎津が、彼の人生を狂わせた元凶ともいえる父親と面会する。
 榎津役の緒方と父親役の三國連太郎の気魄が激しくぶつかり合い、俺は息を飲んだ。隣では、栗城が暗い画面に眼を据えていた。
 奴はぽつんと呟いた。
「榎津が本当に殺したかったのって、自分の父親だったんだろうな」






 バイトのツレの栗城と、うちでビデオ鑑賞会をすることになった。最近、彼女とうまくいっていないらしい栗城が「新しい彼女が欲しい」などとほざいていたら、同じバイト仲間の長谷川さんという女性に、「これを見て男の色気を身につけなさい」と三本のビデオテープを渡されたのだ。
 ビデオの内訳は、アラン・ドロン主演の『太陽がいっぱい』に緒方拳の『復讐するは我にあり』、そしてジョニー・デップの『スリーピー・ホロウ』。栗城の部屋にはDVDデッキはあってもビデオデッキはないというので、うちで観ることになった。同居人にも、一応了解は取っている。
 栗城は午後二時頃にやって来た。俺は朝から休みだったが、栗城は午前中に講義が入っていたのだ。
 前日のバイトが深夜帯だったせいもあって疲れているだろうと思っていたら、奴はいつも以上に元気な様子で現れた。なんでも、大学でめちゃくちゃ綺麗な女の子を見たのだそうだ。
「背がスラーっと高くて、髪を後ろでアップっぽく束ねてて、遠目でも瞬きの音がしそうなほど睫毛が長いんだよ。俺より高そうなのが難点だけど、他はモロ好み! 運命だとしか思えない」
 早速彼女を更新しようなどと勝手なことを言っている。
 そんなに綺麗な子ならすでに彼氏がいるんじゃないだろうかと思ったが、どこまで本気か分からない上、今の彼女のことでまいっている風もあったので、「明日から捜すから手伝え」と言う彼に、「分かった分かった」と適当に応じておいた。
「今日中戸先輩いないのか?」
 俺について冷房の効いたダイニングに入って来た栗城は、ぐるりと首をめぐらせた。
「ん。昨日から帰ってないみてえ」
 俺は冷蔵庫からコーラを取り出しながら応えた。
 同居人の中戸さんは最近忙しいらしく、あまり部屋にいない。自分も時間があれば参加したかったと羨ましそうに言っていた。髪を切りに行く暇もないのか、すっかり長くなった髪の毛を暑苦しそうにかきあげながら。
「実物見たかったのになぁ」
 栗城はダイニングテーブルの上に出していたビデオテープを手に取りながら言った。
 初めてうちを訪れることになった栗城は、俺の同居人に会えるかもしれないと楽しみにしていた。中戸さんはまさに才色兼備といった男子学生で、学内ではちょっとした有名人なのだ。
「去年の後期、ドイツ語の講義に女の格好で紛れ込んでたんだろ? 俺もドイツ語とっときゃ良かった」
 ちなみに、変人としても有名だ。
「あんな格好の中戸さん見たって、実物は分かんねーって。化粧で別人だったもん」
 隣に座っていた俺がなかなか気付かなかったくらいなのだ。中戸さんであるということ以前に、男だと気付かなかった。姿かたちはもとより、身のこなしまで違和感がなかったんだから。
 女装はサークルの罰ゲームでさせられているというけれど、あの姿での堂々とした立ち居振る舞いからするに、案外本人も面白がっているのではないだろうか。特に独語の時なんて、周囲が驚嘆しているのを楽しんでいるようにさえ見えた。
 とはいえ、バイでもある中戸さんだが、決して女性視されることを歓迎しているわけではないだろう。その中性的で綺麗な顔立ちのせいで、意外とヘビィな過去も持っている。
 一本目は三本中唯一の邦画にした。緒方拳主演の『復讐するは我にあり』。
 テレビはダイニングにしかなく、テーブルにつくと少々画面の位置が低くなってしまうので、フローリングの床に直接腰をおろして観ることにした。観賞中に食べようと用意していたジュースやスナック菓子も床に並べた。
 最初のうちは、惨殺シーンで騒いだり濡れ場ではしゃいだりしていた栗城だが、やはりバイトと講義で寝不足だったのか、いつの間にか寝てしまっていた。固いフローリングにうずくまり、俺の部屋から出してきた座布団を枕にして。
 一本目でよほどぐっすり眠れたのか、栗城は二本目の『太陽がいっぱい』を観る時には元気になった。眠気が取れたら腹が減ったのか、すっかり気の抜けたコーラをがばがば飲みながら、一人で菓子を平らげていた。
 俺は三本の中でこれが一番気に入ったのだが、この映画の最後の場面の目に沁みるような青い海と空を思い出す時、栗城のおかげで、かっぱえびせんとポテトチップスの匂いがいつもセットで蘇る。
 三本目の『スリーピー・ホロウ』になると、ジュースはビールに移行した。二人ともバイトが休みなのをいいことに、この日のために用意していたのだ。今夜は栗城をここに泊めることにもなっている。
 飲みながら観たせいか、トリックの解読に難儀したけれど、飲みながら観るには三本の中では最適の娯楽作品だった。
 しかし、長谷川さんの趣味って分からない。
 それが、三本を観終わった俺と栗城の共通の感想だった。
 緒方拳の危機迫る演技には圧倒されたし、アラン・ドロンは男の俺たちから見ても文句なくカッコ良かった。でも、二人の役どころはどちらとも殺人犯だ。唯一、『スリーピー・ホロウ』のジョニー・デップは犯人を追う側だったが、極度の怖がりで、幽霊や惨殺体を見るたびに目を回してぶっ倒れる。しかも、顔も妙に白くメイクされていて、ジョニー・デップならもっと格好良い主演作品があっただろうにと思わずにはいられない。
 これで男の色気を学べなんて言われてもなぁ。
 そんなことをぐだぐだ話しながら栗城と飲んでいると、玄関の方で物音がした。中戸さんかなと俺が口に出すより先に、察したらしい栗城が「おっ、」と顔を振り向けた。
「中戸先輩帰って来たんじゃね? 俺ちょっと挨拶してくるわ」
 わざわざ出て行かなくても向こうから入って来るだろうと思ったが、栗城は早く噂の人物を見たくて仕方がないらしい。俺は「おう」と、床にあぐらをかいたまま見送った。
 ところが、ダイニングキッチンと廊下の境にあるガラスドアまで行った栗城は、そこで回れ右をしてかえってきた。何故か顔をこわばらせ、転げるようにして。
「おまっ、あ、あれっ……」
 栗城はあわあわと何か分からないことを言いながら、俺の横に膝をついて、境の扉を指差した。
 窓際にテレビを置いているため、陽射しが反射すると見えにくいので、今日は昼間からカーテンは閉めていたが、外はもうとっくに日が暮れている。とはいえ、ダイニングの時計はまだ十時過ぎを指している。泥棒が来るには早いから、やはりうちに入って来たのは中戸さんだろう。
 俺は栗城を宥めるのもほどほどに立ち上がった。
「中戸さん? 帰って来たんでしょう? こっち冷えてますよ」
 言いながらガラスドアを開けると、トイレや浴室のある方からひょっこり人が出てきた。水洗の音がしているから、帰ってすぐトイレに入っていたのだろう。
 が、出てきたのは、ちょっと見覚えのない人物だった。しかしその人物が着ている白いカットソーもブラックジーンズも、羽織っている七分袖のシャツまで、ここで映画鑑賞会をやると告げた時の中戸さんの服装で。
「ああ、俊平くんただいま。まだやってる?」
 むわっとした暑さも吹き飛ばすような涼やかな笑顔で発せられた声も、たぶん中戸さんのもので。
「な、中戸さん!? なんの嫌がらせですかその顔!」
「かお?」
 これはもしかしたら、本人が寝ている間にでもやられたのかもしれない。
 俺は呆けたように首をかしげる人物を回れ右させ、洗面所に押し込んだ。そのまま洗面台の前に立たせる。
「ほら鏡見て!」
「あ、」
 洗面台の鏡の中には、フルメイクの女性――ではなく、中戸さんがいた。肩につくほど伸びている髪は、蝶をあしらった青紫の髪留めで上げてある。横に垂れた遅れ毛が、大人びたメイクと相まって色っぽい。
「どうりで今日は首が涼しかったわけだ」
 中戸さん(にイマイチ見えないけど、本人と断定)はうなじに手を遣って呟いた。
「今まで気付かなかったんですか」
 俺は後ろ手で洗面所の戸を閉めながら声を低めて訊いた。今の中戸さんは、声さえ出さなければ完璧な女性に見えるから、見て気持ちが悪いと言う者はいないだろう。でも、同居人のこんな姿、バイトのツレには見られたくない。
「いや、気付かなかったっていうより忘れてた」
 俺につられたのか、中戸さんも小声になっている。
「昨日、部室でやってた徹マンで負けて、今日は一日学校ではこの格好でいることになってたんだけど、鏡なんか見ないから、化粧されてたことすっかり忘れてたんだ」
 どうりで着物や化粧品のキャッチセールスによく声を掛けられると思った、と中戸さんはのん気に笑った。
 そりゃこれだけ化ければセールスも間違えるだろう。妙齢の女性には片っ端から声を掛けているのだろうし。
 それにしても、ここまで違和感がないとは思わなかった。中戸さんは決して背が低い方ではないし、着痩せするから華奢には見えるけれど、そこそこ筋肉もついていたはずだ。少なくとも、薄着になれば絶対に肩幅が目立つと思っていたのに。
「忘れますかフツー。てか、研究室に詰めてたんじゃなくて遊んでたんですね」
 俺は二重に呆れて言った。これでも根を詰めすぎなんじゃないかと心配していたのだ。最近痩せてきてるような気がしていたから。遊んでたんなら心配なんかするんじゃなかった。
「いやぁ、仮眠取ろうと思って部室に行ったら面子が足りないからって引き摺りこまれてさ」
「それにしたって、限度があるでしょ。だいたい、頭良い人って麻雀強いんじゃありませんでしたっけ。一晩で女装させられるほど大敗するなんて」
「だから俺、頭良くないんだってば」
 中戸さんは言いながら羽織っていたシャツを脱ぐと、そのままカットソーも捲りあげようとした。
「ちょっ! 何やってんですか!」
 思わずカットソーの裾を掴んで引き下げた俺に、中戸さんは不思議そうな顔で応えた。
「ん、シャワー浴びようと思って」
「そういうことは先に言ってください。出ますから」
「男同士なんだから別にいいじゃん」
 声はともかく、男とはほど遠い顔で言われても……。しかも、カットソーの上からブラの形が分かるんですけど。(何故、あんなものを着けてることまで忘れられるんだ)
 俺はこめかみを押さえて回れ右をした。とにかく出ようと引き戸を開ける。すると、ダイニングのガラス戸を半開きにしてこちらの様子を窺っていたらしい栗城と目があった。
 げっ、と思った瞬間、栗城はわあわあ言いながら俺に掴みかかって来た。
「お、おま、さっきの……」
 洗面所の戸を閉める暇はなかった。
「待て! 栗城!」
 反射的に叫んだが、それで待つ栗城ではない。奴は俺の肩口から中を覗きこんだ。
「あの女、ひょっとして……」
 もうだめだ。そうだよ、俺の同居人は変態だよ。
 どうせドイツ語の講義に女装で乗り込んできたことも知られているのだ。もうどうにでもなれ、と身体の力を抜いた時だった。
「どーもぉ。俊平くんの彼女候補でぇーす」
 中戸さんが裏声を出して、俺の首に腕を巻きつけてきた。
 俺の肩口で中戸さんのアップと対面した栗城の手から、力が抜けていく。栗城は俺の胸倉を掴んでいた手をだらりと下げ、玄関やダイニングの方向へと後ずさった。そしてそのまま、『スリーピー・ホロウ』の主人公、イカボッドよろしく、その場にひっくり返ってしまった。
 大丈夫か!? と俺が傍らに膝をつくと、栗城はうめき声をあげて呟いた。
「俺の運命……」












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