賭麻雀 01

 夜空に咲き誇る、大輪の花。赤や青の光を受けて、隣に立つ犬飼は「きれい」と呟く。ピンク地に蜻蛉が飛び交う浴衣が、童顔の彼女によく似合っている。
「あーあ、こんなに綺麗な花火を、どうしてあたしは蒔田くんなんかと見てるんだろう」
「あのなぁ、花火大会に行こうって誘ってきたのはそっちだろ」
 花火大会に付き合えとメールをしてきたのは、犬飼の方だ。浴衣を買ったので着たいのだが、浴衣を着て一人で花火を観に行くのはさすがに恥ずかしいからと。
「だって、職場の人たちは明日も早いから誘えないし、他にこっちに仲いい知り合いいないんだもん。でも、どうせなら中戸さんと来たかったなぁ」
 中戸さんは俺の同居人だ。どこまで本気か知らないが、犬飼は彼に目がない。
 当の中戸さんは、今日はサークル仲間とどこかで花火を見物しているはずだった。同じサークルに所属している友人の有川の情報だから間違いない。俺も誘われたが、犬飼の誘いに了承の返事をした後だったし、あそこのサークルは変態の集まりなので辞退させてもらった。
「俺だって……」
 どうせなら(変態サークル部員抜きで)中戸さんと来たかった。とは言えるわけがないので、
「もっと大人しくて可愛い子と来たかった」
 そう言ったら、なんと下駄を履いた足で蹴りを入れられた。






 犬飼がトイレに行きたくなったというので、花火客でごった返す海岸通りを離れ、商店街へ入った。花火大会に合わせて、いくつかの店がトイレを解放しているのだ。一人で行ってくるから残って見物していてもいいと言われたのだが、ガラの悪いのも大勢来ているはずだから、一応女性である犬飼を一人で歩かせるわけにもいかない。寂れた商店街には、光の届かないうら淋しい路地も多々存在するから尚更だ。
 『御手洗いお貸しします』と張り紙のある帽子屋の前で、犬飼の釣ったヨーヨーを手に、彼女を待つ。どこにスピーカーがあるのか、商店街には低く童謡らしきものが流れ、正月でもないのに綿玉を模した発泡スチロールの玉がアーケードのあちこちにぶら下がっている。海岸通りにある役所のトイレには長蛇の列ができていたのに、ここは花火が見えないせいか、ほとんど人がいなかった。時折混雑を避けて早めに帰る花火客や商店街の中の喫茶店の客が通る程度で、通りを一つ隔てただけの海岸通りの喧騒が嘘のようだ。
 ドン、ドン、と腹に響く音だけを聞くともなしに聞いていると、ガラの悪そうな男が三人、海岸通りの方から歩いてきた。俺と同じ大学生くらいだろうか。クスリでもやってるんじゃないかと思わせるような、異様な雰囲気を纏っている。
 三人のうち二人は、異様にデカイ。一人は縦が、一人は横が。残る一人は小柄だが、目がイッてる感じだ。向かいから歩いてきた二十代後半から三十代前半と思われるカップルに奇声を浴びせ、驚く二人を嘲笑って唾を吐く。縦にデカイ男に屈みこまれ、「俺にもヤらしてよ」と肩を抱かれた女性は、泣きそうになっていた。
「あーあ、俺らも女とヤリてーよなー」
 気の弱そうな男の方に顔を寄せ、嫌味たらしく横にデカイのが言う。
 意外にも、二人を止めたのは一番凶悪そうな小柄男で。
「やめとけ、男連れなんて。それにこんな年増シュミじゃねー。もっと若いの捜しに行こうぜ」
 そう言うと、一人すたすたと歩き始め、後の二人もそれに追従する。
 やはり犬飼を一人で来させなくて良かったと思いながら、俺は関わり合いにならないよう、奴らから視線を逸らした。
 浴衣に手こずったのか、空いているのに十分近く経ってやっと帽子屋から出てきた犬飼は、そろそろ帰ると言ってきた。
「フィナーレ見ないのか?」
「だって、あたし明日も仕事だもん。お盆企画のせいで四時起きなんだ」
 高校卒業と同時に就職した犬飼は、俺の通う大学の最寄り駅付近にある洋菓子店で働いている。サービス業には盆正月や日曜日はないどころか、却って忙しいらしい。
「蒔田くん、見たかったら残っていいよ。ここの通り空いてるから、あたしこのままここ通って帰るわ」
「いいよ、そんなら俺も帰る」
 さっきの三人組も犬飼の戻る方へ歩いていったから、一人だけ帰すのは危険なように思われた。いくら犬飼が強力な蹴りを持っていても、下駄一足分では二人しか伸せないではないか。って、そういう問題じゃないか。
 とにかく、さっきの三人組は、男連れであれば手は出さない様子だった。多少の嫌がらせは受けても、囲まれたり殴られたりすることはないだろう。その前に追い越さなきゃいいんだと思いながらゆっくりした歩調で進んでいると、早く帰りたいんだけどと犬飼に急かされた。こいつ、全く分かってない。
 仕方なく歩調を元に戻して、やや速めに進んでいると、もう少しで商店街を抜けるというところで、急に犬飼が立ち止まった。
「今、あっちから鈴の音と変な声がしなかった? 大人しくこっち来いとかなんとか」
 薄暗い路地を指して言う。路地の前には案内塔があり、この先は寺に続いているようだった。
「別に聞こえなかったけど?」
 さっきの男達が浮かんだが、急ぐんだろ、早く帰ろうぜと言って、俺はまた歩き出そうとした。しかし。
「絶対聞こえたって。あれ、なんか変だったよ。あたし、ちょっと見てくる」
「見てくるって、おい!」
 下駄の音も高らかに、犬飼は路地へ消えていく。
 本当にやばいことがこの先で起きていたらどうするつもりなんだ。俺は舌打ちをして、彼女の後を追った。






 嬉しくないことに、犬飼の予想は当たっていた。路地の先、寺に続く石畳の上から逸れるように、さっきの三人組が女の子を取り囲んでいた。女の子は浴衣を着ている上、大きなビニール袋を抱えていて、思うように動けないらしい。三人の隙間を縫って逃げようとしては、石畳の下の砂利に躓いて、縦にデカイ男に腕を取られている。そのたびに、腕からぶら下がった巾着と、簪についている鈴が鳴った。
「いい加減観念しろって。大人しくしてりゃ優しくしてやっから」
「逃げても無駄だし」
「何そんなに大事そうに抱えてんだよ。ちょっと見せてみろって」
 ノッポの手が、白壁を背に蹲る彼女の胸元に伸びた。その時。
「ちょっと! いい加減にするのはあんたたちよ!」
 石畳の上に仁王立ちした犬飼が、ビシッと三人を指差して声を張り上げた。
「今すぐその子から手を引きなさい! さっき警察呼んだからね! それに、こっちにいる彼は柔道の有段者なんだから!!」
 三人を指差していた手が、今度は俺を指差す。
 柔道の有段者って、ひょっとしなくても俺ですか!?
「ちょっと待て、犬飼……」
 俺はそんなの初耳だぞ。そう言おうとしたら、
「あんた、女の子置いて逃げる気じゃないでしょうね?」
 すごい顔で睨まれた。
「男なら戦ってこーい!」
 犬飼は俺の後ろに回りこむと、俺を石畳から奴らの方へ突き飛ばした。結果、俺は三人組の描く半円の中に突っ込むハメになり。
 なんで俺が……。
「ごめん。大丈夫?」
 突進して転びそうになった俺を支えてくれた女の子に、耳元で謝罪し、体勢を立て直す。女の子は意外に背が高く、突進した俺は、まともに抱きつく形になってしまったのだ。どこか覚えのある香水の匂いに、一瞬ドキっとしたが、今はときめいてる場合じゃない。
「おいおい、俺らの女に手ぇ出してんじゃねーよ」
「金貰うよ、金」
「痛い目見ちゃう?」
 犬飼が警察を呼んだと言ったのに、三人に逃げる気配はない。それどころか、ニヤニヤ笑って間を詰めてくる。俺がどう見ても柔道有段者に見えないから、警察のことも嘘だとバレているのかもしれない。
 くそう。こうなったら仕方ない。喧嘩に自信なんて微塵もないが、こちとら殴られるのには慣れている。やられてやろーじゃねーか。(やってやろーじゃないところが情けないが、その辺りは目をつぶっていただきたい)
「いい? 俺が捕まったら、あっちにいる犬飼って子とすぐ逃げて」
 女の子に背を向け、肩越しに小声で指示を出す。俺が彼女に話しかけたのが気に入らなかったのか、三人が「ああ?」と凄んできた。
 覚悟を決めて半円を崩そうと足を一歩踏み出す。すると、後ろから肩をぐっと掴まれた。それは女の子とは思えないような強い力で。
「これ持ってて」
 俺の手を取り、抱えていたビニール袋のとってを握らせてくる。その声は、たしかに聞きなれたもので。
「え、ちょっと!?」
 俺が止める間もなく、彼女――いや、彼は、最初に襲いかかってきた一番凶悪そうな小柄男を投げ飛ばし、流れるような動作で縦にデカイ男の腹に重い拳をお見舞いすると、最後に横にデカイ男の股間を蹴り上げた。その間、十秒にも満たなかったのではないだろうか。伸びたり蹲ったりしている男達を一瞥し、呆然としている俺の手首を掴んで犬飼の方へ走り出す。
「はやく! 逃げるよ」
「あ、はい」
 俺は引っ張られるがままに走り、犬飼も合流して路地から出ると、商店街も駆け抜けた。












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