賭麻雀 02

 商店街を抜けて一つ目の街灯の下まで来たところで、俺たちはやっと足を止めた。不揃いに立ち並ぶ建物の間を縫うように、チラチラと花火が顔を覗かせている。
「し……信じらんね……。何、……やってん……ですか」
 道端にしゃがみこみ、なかなか整わない呼吸の下、率直な感想を漏らす。
「ごめん。でも助かった。たこ焼きもヤキソバも無事みたい」
 俺に持たせていたビニール袋の中身を確認し、水色の浴衣に蝶の簪を挿した女の子――ではなく中戸さんは、ホッと息を吐いた。俺とは対照的に、息一つ切らしていない。
 フルネームを中戸群司。れっきとした男である。
 が、喋らなければ、今はどう見ても女の子。背は高いが、男にしては華奢な身体。長く上を向いた睫毛が彩る大きな瞳に、柔らかそうな頬。アップにしてある髪(付け毛だと思う)は、喉仏が目立たない程度に垂らしてあり。さっきの三人組が、女と思い込んだのもうなずける。
 しかし、もともと女装には定評のある変人だが、こんなモノまで着こなすとは思わなかった。浴衣でさえ肩幅が目に付かないなんてどうなってるんだ。目に付くどころか、抱きついたのに気付かなかったとは。以前肩を掴んだ時はもっとがっしりしていると思ったのだが。しかも、胸にふくらみまでなかったか!?
「これがパアになったらおしまいだから、なかなか手が出せなかったんだ。ほんと、俊平くん達来てくれて助かった」
 中戸さんは背中から帯に刺していた団扇を抜くと、俺と犬飼を扇いでくれた。どうやらサークルの買い出しだったらしい。しかし、その格好はなんの冗談ですか。まぁ、だいたい見当はつくけど。
「そ、その声……ひょっとして……」
 俺同様、浴衣の肩を激しく上下させて蹲っていた犬飼が、苦しげな顔を上げた。声で気が付いたらしい。それでも信じられないというように、目を見開いて声を絞り出す。
「ほん、とに?」
 中戸さんは一度立ち上がって帯の下の部分(お端折りっていうんだっけ?)を引っ張って襟元を正すと、ビニール袋の中をさぐってりんご飴とべっこう飴を取り出し、浴衣の前を押さえるようにして再び犬飼の前にしゃがんだ。
「大丈夫? さっきはありがとう。巻き込んじゃってごめんね。お詫びにこれ」
 犬飼の息が整うのを待って、二本の飴を差し出す。犬飼は、呆けた表情のまま、それを受け取った。
「いいんですか? それも持って帰らないとまずいんじゃないです?」
 あのサークルのことだ。一つでも買い漏れがあると今度はどんな面倒事を課せられるか分かったもんじゃない。俺が冷めた目で上から見下ろすと、中戸さんはこちらを見返して、にっこり微笑んだ。
「これはお店の人がオマケでくれた分だから」
 その笑顔は、誰もが飴の一つくらいオマケしてやってもいいかなと思う程度には……いや、それよりもうちょっと上をいくくらい可愛くて。
「やーん! かわいー!」
 犬飼の変態スイッチが入ってしまった。
「中戸さん、やっぱりかわいー! 連れて帰っちゃいたい!」
「あ、ありがと」
 これではさっきの男達と同じではないか。中戸さんも引き気味なのか、微妙に笑顔が引きつっている。それに気付いているのかいないのか、犬飼は中戸さんの紫陽花模様の浴衣を指して言った。
「この浴衣、どうしたんですか?」
 水色の地に桃や紫の紫陽花が描かれていて、涼しげな印象を受ける浴衣だ。もともと大柄な人用なのだろう。イラストも大柄で、標準の身長しかない犬飼などが着たら、紫陽花が隠れてしまいそうだった。
「これは有川のお姉さんので。あ、うちのサークルの有川知ってるよね? あいつのお姉さん、身長が百七十五あるんだって。有川より高いの」
 それは初耳だった。有川にお姉さんがいて、看護師をしているというのは知っていたのだが。ということは、去年からの中戸さんの女装時の衣服は、有川が提供していたのだろうか。
 中戸さんは立ち上がって、汚れたり破けたりしなくて良かったと安堵の息を漏らした後、つられるように腰を上げた犬飼に、たおやかな笑みを向けた。
「犬飼さんも可愛いね。ピンクの浴衣、すごく似合ってる」
 街灯に照らされた犬飼の顔が、一瞬で耳まで茹であがった。
 こいつ、自分はノン気だとか言ってたけど、この格好の中戸さん見て真っ赤になるなんて、ノン気じゃないんじゃないのか?






 犬飼を駅に送り届け、俺もサークルの見物会に途中参加すると言って、中戸さんに同行することにした。
 サークルメンバーが見物しているのは、西原クリニックという診療所の屋上。西原という三年生がそこの次男坊で、場所を提供してくれたらしいのだが、これがまた今晩に限っては寂しい場所にあるのだ。屋上に上がれば花火もよく見えるのだろうが、入り口に面した通りに高い建物が並んでいるので、花火客が通ることは皆無に等しい。そんなところを、こんな格好をした中戸さんを一人で歩かせられるわけがない。
「また賭麻雀で負けましたね?」
「さすがは俊平くん。ご名答」
 ひとけのない道路を、ゆっくりと歩く。花火は見えず、音で花火大会の最中なのだなと分かる程度だ。フィナーレが近いのだろうか。先程から絶え間なく花の咲く音がする。今頃、西原病院の屋上にいる連中は、美しい光景に歓声を上げているのかもしれない。
 それでも、急ぐ気にはなれなくて。
「今回はいくらです?」
「五万。でも、この格好でたこ焼きとヤキソバを五個ずつ、男とバレずに買って帰れれば、その代金だけでチャラ」
 だから絡まれても、助けを呼んだり大人しく従ったりはできなかったのだという。
「けど、ああいう場合は例外でしょう! だいたい、選択肢に大人しく従うなんて入れますか、普通!?」
「男と分かりゃやめるでしょ」
 やめなかった奴がいるでしょうが。
 しかも、見張り役の学生は途中で中戸さんを見失っていたようで、あの場でバレたとしても、サークルの連中には分からなかったようなのだ。もっとも、それは逃げた後で気付いたことなのだが。
「そういや、その胸、どうなってんですか?」
「ああこれ、タオル巻いて上から和装ブラで押さえてあるだけ」
 浴衣は身体の凹凸が少ない――つまり、胸やくびれのない人の方が着易いから、衣文を抜くのに襟を後ろに引っ張ったとき、胸が真っ平とバレない程度にしてあるだけだという。
「昔の女の人は胸より背中で勝負してたのかもね。若い人ほど前を詰めて後ろを開けるんだってさ」
 そう言われてから見ると、正面は襟が首元ぎりぎりで合わせてあるのに対し、後ろは大胆に開いている。そこから覗く肌がやたら白くて、俺はすぐに目を逸らせた。
「中戸さん、麻雀強くないんでしょ。いい加減、懲りませんか」
「うーん、何故か人数合わせに呼ばれるんだよね。呼ばれると断れないっていうか」
 それは絶対に、今年就任した変態部長の陰謀だと思うのだが。部長が変わってから、中戸さんの女装率は格段に上がっている気がする。
「ま、たいていこういう罰ゲームで支払い免除してもらってるし。女の格好してると得することもあるからいっかなーと」
 中戸さんはカラカラ笑うと、デートの邪魔してごめんねと謝ってきた。
「いや、デートじゃありませんから。犬飼は中戸さんと見たかったみたいですよ、花火」
「俊平くんは?」
「え?」
「俊平くんは犬飼さんと見たかったんじゃないの? 花火」
「俺は別に。誘われたから来ただけで」
 まさか、あなたと見たかったなんて言えるわけがない。中戸さんは「そう」と言っただけで、それ以上は追求して来なかった。
 なんとなく中戸さんの方を見れなくて、立体駐車場と商店の間の路地に目を遣ると、そこから花火の一部が見えた。どうやら、その路地は海岸通りに繋がっているらしい。
「中戸さん、あそこ。花火見えますよ」
 思わず浴衣の袖を引っ張ると、
「ちょっと見てから戻ろうか」
 中戸さんは悪戯っぽく笑って、路地へ進路変更した。カラコロと涼しげに下駄の音を響かせて、暗い路地に入っていく。俺も急いで後を追い、隣へ並ぶとたこ焼きやヤキソバの袋に手をかけた。
「荷物持ちます」
「え、いいよ。これくらい大したことないし」
 不思議そうな表情をされて、思わず女性扱いしてしまったことを自覚する。
「いや、あっちは混雑してるだろうから、身軽に動ける格好してる俺が持ってる方がいいでしょ」
 慌ててそんな苦しい言い訳をしてみたが、どこまで誤魔化せたかは分からない。むしろ墓穴を掘ったというのが正解で。
「……ありがとう」
「いえ……」
 いつもなら笑顔で返される謝辞の言葉を、目を伏せるようにしてぎこちなく言われ、俺は顔を逸して袋を受け取った。なんなんだ、この空気は。狭い路地にいるからだろうか。空気の密度が濃くなったような……。
 身動きが、取れない。
 しかし。
「あ、今上がってったよ」
 重い空気を払拭するように、中戸さんが細く拓けた空間を指した。同時に、荷物を持っていない方の手首がするりと冷たく柔らかいものに掴まれ、前に引かれる。
 俺たちはいつの間にか、海岸通りの一歩手前まで出てきていて。




 俺の手首を掴んでいた手がすっと離れていく。
 鮮やかな紫陽花が頭上で花開く人ごみの中、俺は自由になった手を、その手に絡めた。












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