一直線 01

 チョコレートがあまり好きでない俺にとって、バレンタインはちょっと迷惑な行事だ。毎年、たった数個のチョコを片付けるのに苦労する。彼女が手作りチョコなどくれようものなら、それこそ捨てられなくて困ったものだ。
 それで彼女のいない今年は、『義理はいりません』と宣言してみた。すると見事に一つも貰えなくて、それはそれでブルーになった。しかし、『チョコ』ではなく『義理』はいらないと言ってしまったのだから仕方がない。気の利くバイト先の子が、チョコの代わりにくれた缶ビールが、戦線離脱気味な今年の俺の唯一の戦果だった。






 大学が春休みに入り、俺のバイト時間は、時々深夜から昼間にシフトチェンジしている。今日もそんな日で、まだほとんどの家に灯が点いているような時間に帰宅すると、マンションの部屋の前に女の子が三人立っていた。メンズサイズと思われる色違いのカーディガンの下から、この近辺の制服が覗いて見える。階を間違えたかと階段まで戻って階数表示を確認してみたが、どうやら間違ってはいないらしい。女子高生の知り合いなんていないから、間違えているのは向こうだろう。
「うちに何か用?」
 遠まわしにではあるが、間違っていることを指摘するように言ってみる。そこで俺の顔を見た三人は、「あ、違った。すいませーん」とか言って去っていくものと思っていた。ところが。
「え? 違う?」
と紺のカーディガンが目を丸くすれば、
「そんなわけないって。あたしこの前、塾終わってから後尾けて確認したんだから。ここで間違いないよ」
 ベージュのカーディガンが断言。
「もういいよ。今日は帰ろう」
 そうしょげ返ったのは、オフホワイトのカーディガン。そこでまたベージュに返り、
「いいわけないよ! せっかくここまで来たんだから」
「そうだよ。今日渡さなきゃ意味ないって!」
 紺がオフホワイトの肩を抱く。
 つまり、三人は俺を一瞥しただけで、後は完全無視。部屋の前から退くでもなく、そのまま話し込んでいる。俺はだんだんイラついてきて、コートのポケットから鍵を出し、三色おにぎりのような三人を睨んだ。
「中、入りたいんだけど。退いてくれる?」






「ねぇね、センセって家ではどんな感じ?」
 ダイニングのテーブルに頬杖をついて、ベージュのカーディガンの少女が訊いてくる。彼女の言う『センセ』とは、俺の同居人である中戸さんのことだ。
「どうって言われても・・・・・・。あんま会うことないし」
 俺は自分の食料棚の中からインスタントのコーヒーを開封しながら答えた。ここに住んでいると、コーヒーはたいてい中戸さんがコーヒーメーカーかろ過器を使って淹れてくれるので、買ったまま飲む機会がなかったのだ。
「寝起きとか見ることないの?」
「それはたまにあるけど」
「どんなどんな? 声とか掠れててセクシーだったりする?」
「そんなのいちいち覚えてねーよ」
 本当は覚えていた。中戸さんはたいてい、寝起きは寝癖のついた髪で顔の大半を隠し、椅子の上に膝を立てて、ぼーっとコーヒーを飲んでいる。コーヒーを飲むのは寝起きに限ったことではないが、寝覚めがいい方ではないのだろう。中戸さんの場合、朝でなくても寝起きだとすぐ分かる。それでも俺を見止めると、髪の隙間から寝起きの潤んだ瞳をふわりと微笑ませ、
「俊平くんも飲む?」
とコーヒーの入ったマグを掲げる。
 声は掠れていることもあればいないこともあるが、今朝はちょっと掠れていたような気がする。眠気を含んだ物言いは、いつも幾分舌足らずになっていて、ちょっとクラッと来ることもないこともないこともないことも・・・・・・・って、何を考えてるんだ、俺は。
 俺は軽く頭を振って、おかしな考えを振り払った。
「えー、じゃあじゃあ、彼女は?」
「いるかどうかも知らない」
 身を乗り出してくるベージュに俺は殊更素っ気無く返し、この部屋に女子高生がいるというのは妙な光景だなと思いつつ、客用のカップに湯を注ぐ。
 この三人、どうやら中戸さんがバイトで講師をしている塾の生徒らしい。中戸さんが家庭教師のバイトをしていたのは知っていたが、塾の講師もやっていたとは知らなかった。
 三人の目的は、中戸さんにバレンタインのチョコレートを渡すこと。中でもオフホワイトの少女はかなり本気のようで、緊張からだろう、顔が強張っている。
 それにしても、つい一年前までこの三人と同じような奴らと机を並べていたというのに、今は宇宙人にすら見える。この娘達限定かもしれないが。三人寄れば・・・・・・は文殊の知恵で、三人集まると強くなるって何だったっけか。たしか毛利元就の。そうそう、三本の矢の訓えだ。しかしあれは、協力すればだったはずだ。この三人は協力せずとも集まっているだけで強力な気がする。
 俺は時々顔が怖いだの、いつも眼が睨んでるみたいだのと言われるが、この女子高生達は俺の眼力なんかには目もくれなかった。玄関先からの退去を命じて睨みつけた時、三人は怯えるどころか興味津々とばかりに瞳を爛々と輝かせたのだ。
「ひょっとして、ナカちゃんセンセと住んでるの!?」
 ナカちゃんというのが中戸さんの中から来ているようだったので、俺が肯定すれば、
「きゃー! ひょっとして、センセってそういう趣味だったとか!?」
と、怪しげな推測が始まり、
「ハマりすぎー!」
「絶対そうだよ! 朝比奈センセにチョコあげてたもん!」
「でも、そうするとこのヒトは?」
「えーっ、浮気!?」
「案外捨てられたのかも。やーん、かわいそー!」
 紺とベージュがひとしきり盛り上がった後、
「ちょっと止めてよ! センセに失礼じゃない!」
 ちょっと待て。俺には失礼じゃないのか。そういう趣味があるのは中戸さんだけで、俺はノーマルだ!
 そんな俺の悲痛な胸の内をよそに、オフホワイトの痛烈な叫びで、当たらずとも遠からずな推測は幕を閉じた。
 そして、一緒に住んでるなら、ナカちゃんセンセ、もとい中戸さんが帰ってくるまで中で待たせろと強制してきたのだ。そう、あれはお願いとか要請なんて可愛いもんじゃなかった。俺はこの三人(特にベージュ)の数十年後に、昔聞いたことのあるオバタリアンという単語を見た気がした。
 緊張で硬直状態に近いオフホワイトはともかく、あとの二人は部屋に入ってからも横柄な態度を崩すことはなかった。まるでどこかのカフェの常連客のように寛いでいる。何も言わずにコーヒーを出すと、紅茶やジュースはないのかとイチャ文までつけられた。
「彼女がいるかどうかも知らないの!? なーんだ、使えないなぁ」
 紺(それぞれ自己紹介はされたが、全くもって覚えられないので色分けで)がコーヒーに砂糖を落としながら言った(この砂糖も、俺や中戸さんは使わないので、新品の封を切った)。俺は少々カチンと来たものの、ここで怒るのも大人気ないので黙って流す。
「案外、彼氏がいたりして」
「いるわけないでしょ!」
 プククと含み笑いをするベージュに、オフホワイトが噛み付く。中戸さんはバイで、男とも平気で付き合うのだが、「いや、いるかもよ?」とはさすがに言えないので、俺はこれも黙って流した。
「でも良かったじゃん、アズ。一緒に住んでるのが女じゃなくて」
 俺に対する辛辣さはどこへやら、紺はオフホワイトを優しく窘める。アズと呼ばれたオフホワイトはフレッシュの代わりに出した牛乳をコーヒーに足しながら、赤くなってコクリと頷いた。大人しいというだけで、少し可愛く思える。
「あたしもホッとしたー! ナカちゃんセンセが小生意気なブリブリ女や気取ったオバサンと住んでたらガッカリだもん。てか、そんなの許せない! できれば朝比奈センセみたいなイケメンと暮らしてて欲しかったけど」
 悪かったな、醜男で。てか、朝比奈って誰よ!?
「でもさ、何でそんなに仲良くもないのに一緒に暮らしてんの?」
 ベージュの勝手な意見にうんうん頷いていた紺が、不意に俺を見上げた。
「何でって・・・・・・成り行き?」
 ここで同棲していた彼女に追い出されたからなんて言った日には、何を言われるか分かったもんじゃない。俺は言葉を濁して逃げた。が、三人はそれでは納得しない。成り行きって何、学年も違うし、友達でもないんでしょと突っ込みが入る。俺は面倒くさくなって、成り行きは成り行きだと突っぱねた。
「それより、キミら帰らなくていいわけ? 塾はとっくに終わってんだから、親に怒られるんじゃねーの?」
 さっさと帰れとばかりに時計を指差す。
「親に怒られるの怖がってて、恋ができるかってのよ! あたし達の恋は一直線なんだから!」
「今時十時前で怒る親なんて、理解なさすぎでしょ。それでも大学生? オッサンくさい」
「怒られそうになったら、塾が長引いたって言えばいいし」
 ベージュが力説し、紺が毒を吐き、オフホワイトがぼそっと呟く。どれもこれも、突っ込みたいような、突っ込むのも馬鹿馬鹿しいような反応で。
「でも、中戸さんが帰ってくるの待つっつったって、いつ帰るか分かんねーし」
 俺は三人が一番諦めそうな理由を述べた。
 が、そこで玄関の方からガチャガチャ音がし始めて。俺は天の助けとばかりに玄関に走った。








数をこなす30題

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