一直線 02

 ドアスコープから見えたのは、予想通り中戸さんで。
「中戸さん? 鍵開いてます」
 俺は、鍵を開けようとしているらしい相手に声を掛けた。魚眼レンズの向こうで、ふわりとした笑顔が咲く。
「あ、俊平くん? 今日バイト休みだったんだ?」
「いや、今日は昼のシフトで。中戸さんこそ遅かったですね」
「うん、バイトの後あちこち呼び出されてたから。ついでにコレ、ちょっとでも減らそうと思って人に流してたら遅くなった」
 自分で閉めてしまった鍵を再び開けて入ってきた中戸さんは、洋品店でジャケットを買った時に貰うくらいの紙袋を提げていた。中を見ると、可愛らしい包装紙に包まれたチョコレートらしき物が沢山入っている。二十個は下らないんじゃないだろうか。
「それ、貰ってない人間への嫌味ですか」
「え? 俊平くん、貰ってないの? じゃあ、これ全部あげる」
 そう言って紙袋を俺に押し付けてくる。
「いりませんよ、そんな誰だか分かんない人達の気持ちなんか」
 俺は紙袋を押し返した。すると、中戸さんは袋の口を広げて、一つ一つ指差しながら説明を始めた。
「これが箱辺でー、これはバイト先の向坂さんでー、これは川崎先輩でー、こっちは今度部長になった入江のでー、あれは・・・・・・」
「ちょっとちょっと、川崎先輩と入江先輩って・・・・・・」
 二人とも男じゃないか。
「その二人は、中戸さんから欲しかったんじゃないんですか?」
「んー、あげたよ。二人に会うまでに貰ってたやつの中から好きなの三つずつ取ってもらった」
 つまり、自分が甘いものを好きではないから、二人に三つずつ押し付けたわけだ。きっと、ベージュと紺が話していた朝比奈先生とやらにも、同じ理由であげたのだろう。
 しかし、一つずつ貰ったんじゃあ・・・・・・。
「三歩進んで二歩下がる」
「や、一歩しか下がってないから」
 中戸さんは俺の呟きを正確に把握したらしい。が。
「二人合わせれば二歩でしょ。とにかく、そんな得体の知れない人たちの気持ちなんていりません」
 少々悲しい思いをしてまで、今年は甘いもの地獄を避けたのだ。ここで人のを貰ったのでは、何の為に惨めな思いをしたのか分からない。俺は屁理屈でもって、じりじりとこちらに寄ってきていた紙袋を再び押し返した。しかし、中戸さんも負けてはいない。
「んじゃ、俺からの気持ちってことで」
「俺、今年は義理いらないって宣言してるんで」
「じゃあ本命で。俺からの愛ってことにしといて」
 いくらチョコがいらないからって、サラッとなんてことを言うんだ、この人は。
 俺は上ずりそうになる声を抑えて、極力平然と聞こえるよう返した。もちろん紙袋も一緒に。
「横領した愛なんてもっといりません」
「横領はしてない。裏書譲渡しようとしてるだけ」
 中戸さんは、とりあえずと紙袋を床に置くと、こちらに背を向けて靴を脱ぎ始めた。その飄々とした様子と男にしては華奢な背中を見て、俺は俄かに不安になった。
「中戸さん、まさか川崎先輩達にも同じようなこと言って押し付けたんじゃないでしょうね」
「言ってないよ。なんで?」
「なんでって・・・・・・」
 振り向いて不思議そうに首を傾げる中戸さんに、俺は答えあぐねた。川崎先輩は中戸さんに惚れてるんだから、あんな言い方して渡したら、都合よく勘違いするかもしれないじゃないか。しかし、そんなことを俺が言うのも憚られるような気がして。
 俺が言葉に詰まっている間に靴を脱いだ中戸さんは、さっさと中へ入っていった。
 後を追おうとして、重大なことを言い忘れていることに気付く。が、時すでに遅く。入ってすぐ、ダイニングに差し掛かったところで、中戸さんは素っ頓狂な声を上げた。
「うげっ、なんで堀田さんたちがここにいんの!?」
 玄関の会話が筒抜けだったのだろう。俺がすっかり忘れ去っていた女子高生三人組は、何やら囁きあいながら、こちらを窺っていた。紺とベージュは意味深な笑みを、オフホワイトは泣くのを堪えているかのような強張りを、それぞれ顔に貼り付けて。






 珍しくうちのダイニングの椅子が、全て埋まっている。女子高生三人と中戸さん。中戸さんは俺が入る前から二人暮らしをしていたらしいのに、何故かこの部屋には四人掛けのダイニングセットが置いてあるのだ。
 三人は、中戸さんにテストに関する重要な質問があるからと、塾でこの部屋の住所を聞き出していたらしい。その上で、ベージュが中戸さんのあとを尾けて、間違いないか確かめたというのだから、すごい念の入れようだ。
「塾長がここバラしたなんて。信じらんねぇ・・・・・・」
 個人情報はどうなってるんだと頭を抱える中戸さんにもインスタントのコーヒーを淹れながら、俺は勝手に三人を部屋に上げたことを謝った。
「俊平くんが謝る必要ないよ。堀田さんに強引に押し切られたんでしょ」
「えぇー、なんであたし!?」
 中戸さんの横に座っていたベージュが、そちらを向いて勢いよく椅子から立ち上がる。中戸さんはそんなベージュを座ったまま見上げると、にっこりと極上の笑みを浮かべた。
「さて、なんででしょう」
「これだからナカちゃんセンセには敵わないんだよねー」
 ベージュは気勢を削がれたのか、力が抜けたようにフラフラと椅子に戻った。
「俺は堀田さんに敵わないけどな。その呼び方やめてくんないし。俺、チョコ苦手って言ってんのに、今この場で食べろとか言うし」
 そう言う中戸さんの前では、ベージュの持ってきたロイズの生チョコが封を切られて、食べられるのを待っている。玄関先での俺との会話から、チョコは他の人に流される可能性があると察したらしい。ベージュは中戸さんが席に着くや否や、チョコを彼の前に並べ、すぐに食べるよう要求した。
 生チョコの隣には紺のメリーの詰め合わせと、オフホワイトの手作りトリュフ。どれも甘そうなことこの上ない。中戸さんの外見が、甘いもの好きだと思わせるのだろうけれど。
 俺は中戸さんのマグにスプーンもう一杯分、コーヒー粉を落とした。
「いーじゃん、ナカちゃんて呼び方カワイーじゃん。センセこそ、『俺』って言うのやめなよ。絶対『僕』の方が似合うから!」
「可愛くなくていいし、似合わなくて結構」
「じゃあせめてさぁ、もっとカッコイイ人と住んでよ。朝比奈センセみたいな」
「なんで俺が堀田さんに同居人の指定までされなきゃなんないの」
「可愛い生徒に夢を与えるため」
 ベージュは何を夢想しようとしているのか、うっとりと言った。女の子って、どうしてそういう話が好きなんだろう。いや、嫌いな子もいるけど、少なくとも紺は前者だ。俺が唯一可愛いと思えるオフホワイトはどちらだか分からないが、ベージュと中戸さんのやりとりを羨ましそうに見ている。羨ましくはあるが、自分から発言する勇気はないようだ。
 中戸さんは「どういう理屈だよ」と溜息を吐いた。
「第一、俊平くんいい男だよ? 優しいし働き者だししっかりしてるし。彼女は大事にするけど後腐れないし。おまえら恋人にするならああいうのにしなきゃダメだぞ。ま、多少ドライ過ぎるきらいはあるけど」
「えー、あの人、中途半端に怖い顔してるじゃん。あたしはナカちゃんみたいなキレイ系か、朝比奈センセみたいなカッコイイ系がいいな」
「堀田さん見る目ないなぁ。男はああいうのが将来有望なのに」
 何がどうして有望だというのか。俺は火照りそうになる顔を精一杯しかめ、いつもは俺が使っているカウンター脇の席にいる中戸さんの前に「インスタントですけど」とコーヒーの入ったマグを置いた。有難うと微笑む中戸さんに、しかめ面のまま釘を刺す。
「いくらおだてても、チョコは引き受けませんからね。それに俺、中戸さんほどドライじゃありません」
「そうかな。俺、俊平くんほど人間に諦念抱いてないと思うけど」
「俺だって、中戸さんよりは人に対して誠実だと思います」
「それは認める」
「結局二人、仲良いの? 悪いの?」
 それまで静観を決め込んでいた紺が、呆れたように口を挟んだ。
 中戸さんと二人、なんとなく顔を見合わせる。
「・・・・・・悪くはない、よね」
「・・・・・・良くもない、んでしょうけどね」
 たどたどしく確認するように発せられた言葉に、即同意するのも躊躇われて、俺は他人事のように言った。事実、中戸さんがどんなバイトをしているかだって知らなかったし、どんな生徒や同僚と付き合っているのかも知らないのだ。そんなに仲が良いとは言えないだろう。
「じゃあ、なんで一緒に住んでるわけ? この人は成り行きとか言ってたけど」
 紺がこちらを指差し、観念して生チョコを口に入れていた中戸さんは、チラリと俺を見てから頷いた。
「うん、成り行きで。利害関係が一致したから」
「リガイ関係って何?」
 チョコを飲み込み、マグを掴む中戸さんの袖を引っ張って、ねぇねぇと目を丸くするベージュ。
「分かんなかったら辞書引きなさい」
 中戸さんはベージュの手を払うでもなく、肩を落としてマグに口をつけた。








数をこなす30題

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