一直線 03

 階段の方から風が上ってくる。足元からひたひたと冷えが立ち上ってくるようだ。非常口も突き当たりの窓も閉まっているが、暖房のないマンションの通路は寒い。
「なんで俺まで出てなきゃなんねーかな」
 俺は部屋着の袖をめいっぱい伸ばし、両腕をさすった。
「こういう時は二人きりにしてあげるのが礼儀ってもんでしょ!」
「あなた、女の子の告白場面を覗き見しようっていうの?」
 ベージュが説教口調で言い、紺が咎めるような視線を寄越す。
「そんなつもりねーって」
 あの直後、じゃあ俺はと部屋に引き揚げようとした俺は、紺とベージュによって何故か厳寒の、いや玄関の外へと連れ出された。二人曰く、
「これからアズがナカちゃんに告白するから出てなきゃダメ!」
 俺の部屋では会話が漏れ聞こえるのは必至なので、二人と一緒に通路まで出ておけと、そういうことなのだった。
「アズ、うまくいくかな」
「うーん、ナカちゃん、何考えてるかよく分かんないからなー」
「私は三橋君に振られちゃったから、せめてアズにはうまくいって欲しいんだけど」
「そだねー。あたしもナカちゃん狙いだったけど、アズのが一所懸命、ってか本気っぽいし。ちょっと悔しいけど、あの二人ならお似合いのほのぼのカップルになるよね」
「どっちもホワーっとしてるもんね」
「ホワーっていうより、ポーッとしてない? あの二人だったら、三ヶ月経っても手繋ぐのがやっとだったりして」
 紺とベージュは心配そうに、でも楽しそうに勝手な妄想を繰り広げている。
 中戸さんに限って、三ヶ月経っても手を繋ぐだけなんてありえないし、うまくいっても三ヶ月後には別れている可能性が高いが、たしかにあのオフホワイトとなら可愛らしいカップルになるような気もした。
 彼女の前にコーヒーを置いた時の、甲が白くなるほど握り締められた小さな手。ベージュと会話している中戸さんを見る、控えめがならも自分を見て欲しいと訴えるような潤んだ眼差し。それでいて、中戸さんと二人で部屋に残される時の、途方に暮れた泣きそうな顔。手作りしてきたにも関わらず、苦手なら自分の分は食べないでいいと言ったのも彼女だった。
 あの子が中戸さんを好きでいるのは、一時の感情に過ぎない。どんなに一途に彼を想っていても、きっと数年後には別の人を好きになっている。それでも、今だけでも、彼女の全身からは、どうしようもなく中戸さんが好きなのだという気持ちが溢れ出ていた。
 あんな子なら、ひょっとしたら中戸さんを変えることができるかもしれない。あれだけ一直線に好きになることができる子なら。まともに人を好きになることのできない彼を。
 でも、なんとなく俺は、中戸さんにはあの子と付き合って欲しくなかった。
 おそらく中戸さんはオーケーするだろう。好きだと言われれば、まず拒まない人だ。自分の中にある基準に引っ掛かる時を除いて、中戸さんは人を拒むことをしない。その代わり、言葉どおりに受け入れることもない。
 俺は、あの子が傷付くのが嫌なのだろうか。この数十分の間に、あんな宇宙人の仲間みたいな少女に情が湧いてしまったのだろうか。まさか好きになったとか?
 そんなはずはないと思いつつも、仲良く寄り添う二人の姿を想像すると、自然と眉間に皺が寄った。微笑ましい光景だと思うのに、中戸さんにはまともな恋愛をして欲しい(でないと、俺が危険な目に遭う可能性が出る)と思うのに、頭が、心が、拒絶する。
 でも、中戸さんの立場になりたいとか、中戸さんに嫉妬しているというのも違うような気がして・・・・・・。
「あの二人がうまくいったらさ、この後は失恋した者同士、パーッとカラオケ行かない?」
「あー、行く行く! 三橋君なんか忘れて歌ってやる!」
 こいつらには門限はないのだろうか。平日だというのに、この後遊びに行く計画など立て始めている。
 高校時代の俺にも門限なんてなかったが、付き合っていた女の子達はたいてい今より早い時間に帰宅していた。例外は塾や部活が長引いた時くらいで、その時だって親に怒られると戦々恐々としていたものだが。
 田舎だったからかなと、ふと思う。ここより田舎で、遊ぶところがなかったから。
「なんだったら、三橋なんかよりいい男呼んだげるよ! この前、一高の子と友達になったから」
「マジで!? お願い、ホッシー!」
「へへへ。任して」
 ベージュが大量にストラップのついた携帯を取り出して操作し始めた時、キィと重い音がして、紺の背後でドアが開いた。俯いたオフホワイトが出てきて、ベージュが重そうな携帯を閉じる。
「どうだった!?」
 二人に詰め寄られた少女は、俯いたままかぶりを振った。
「塾のバイトをクビになるようなことはできないからごめんって」
「何それ!? そんなの黙ってればいいじゃん! 朝比奈センセだって去年生徒と付き合ってたのに」
 俺は、そんなボーダーがあったのかと手を叩きたい気持ちだったが、ベージュは納得がいかないと憤慨した。規則を守るか否かよりも、気持ちはあるのかないのかと言いたいらしい。紺も一緒になって怒り出し、三人の周りだけ、底冷えのする通路がヒートアップし始める。
 俺が近所迷惑を考えて止めに入ろうとしていると、またドアが開いて、ダウンの袖に腕を通しながら中戸さんが出てきた。
「もう遅いから、みんな家まで送るよ。近所の友達に車借りるから、中でちょっと待ってて」
 文句を言われることは予測していたのか、「言いたいことは後で聞くから」と、ベージュと紺の横をすり抜ける。しかし、エレベーターに向かう足は、その手前で止まった。
「三橋?」
 怪訝そうな呼びかけは、エレベーター脇の階段の方へと向けられていて。
 聞き覚えのある名前に、女子高生達はもとより、俺も中に入ろうとした足を止めてそちらを見た。
「三橋だろ? どうした? 家出でもしてきたみたいな顔して」
「三橋君・・・・・・」
 オフホワイトの肩を抱いていた紺が息を飲む。中戸さんの声に応えるように階段の暗がりから出てきたのは、線の細い大人しそうな少年だった。中戸さんの指摘したとおり、とても思い詰めたような表情をしている。
 しかし彼は、家出じゃないとかぶりを振った。
「あ、あの、先生に、用が、あって・・・・・・」
「俺に? 何?」
 どうやら彼も、三人と同じ塾の生徒らしい。俺には、また塾長が教えやがったなという中戸さんの舌打ちが聞こえたような気がしたが、表面上はそんなことはおくびにも出さず、中戸さんは優しげな声で促した。けれど三橋少年は、なかなか用件を口にしない。
「俺、これから堀田さん達送ってくんだけど、歩きで来てるなら三橋も送るよ。用件は車ん中で聞こう。堀田さん達とちょっと待ってて」
 しびれを切らしたらしい中戸さんが、この子お願いと俺を振り返った。三橋という少年が動きそうもないので、俺の方から迎えに行く。俺と入れ替わるように中戸さんが彼に背を向けたその時、少年が叫んだ。
「先生!」
「はいっ」
 普段、そんな大声を出す子ではないのだろう。中戸さんが驚天したように振り向く。その腹に、少年は青い紙で包まれた小さな箱を押し付けた。
「オレ、先生が好きです! 付き合ってください!」
「へ?」
「返事は!?」
「は、はいっ」
 まさに速攻。勢いよく催促され、中戸さんは咄嗟に『返事』した。押し付けられるまま、例の箱も受け取ってしまっている。
「本当に? やった!!」
 少年はガッツポーズを決めると、呆気にとられている俺達を残して階段を駆け下りていく。
 少女達の咎めるような視線を感じ、俺は慌てて呆けている中戸さんのダウンの袖を引っ張った。
「ちょ、ちょっと、いいんですか!?」
「え? あ、よくない! 三橋、違う! 待った!」
 我に返った中戸さんが、少年の後を追って駆け出した。「ごめん! バイト、クビになるからダメー!」という悲痛な叫びと共に、小柄な背中が階下に消えていく。それを見送りながら、あの人は今日、一体何人に誤解をばら撒いてきたんだろうかと、俺は俄かに不安になった。
「三橋君てそうだったんだ・・・・・・」
「クーちゃん、大丈夫?」
「てか、なんで三橋を断る理由がアズのと同じなわけ!?」
 『そういう話』が好きな少女達も、自分達と直接関わりがあるところで実際に事が起きると、喜んでばかりもいられないらしい。一番強力な恋敵は、意想外にも男だったのだから当たり前といえば当たり前かもしれにが。ショックに眉根を寄せる紺に、彼女を心配そうに見遣るオフホワイト。そしてベージュは、腕を組んで怪訝そうに呟いた。








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