一直線 04

 風呂に入ってから、ダイニングでバラエティ番組を肴に貰ったビールをちびちび飲んでいると、中戸さんが帰ってきた。各方面から攻撃を受けてきたのだろう。ぐったりしている。インスタントで良ければコーヒー淹れますよと言うと、ビールがいいという返事だった。
「今日六缶セット買ったの。冷蔵庫に入ってるから」
 オフホワイトが座っていた彼のいつもの席で潰れながら、中戸さんが言った。俺は冷蔵庫からアサヒを一本出してきて、彼の前に嫌味と共に置いてやった。
「本命チョコまで横流しした罰が当たったんじゃないですか?」
 中戸さんはのろのろと頭を上げ、缶のプルトップを引く。
「あの袋の中身のこと言ってんの? あの中に本命チョコがあるとは限らないじゃん」
「あったじゃないですか。川崎先輩のが」
 ビールを口に含んでいた中戸さんが、ごぼっとむせた。嫌そうな顔で俺を斜に見る。
 川崎先輩は中戸さんのサークルの先輩なのだが、俺は一ヶ月ほど前に、中戸さんが彼から告白されているのを目撃してしまったのだ。川崎先輩は、中戸さんが一年の時からずっと気になっていたらしい。
「よく覚えてるね、あんなこと。でも、あれは別に付き合おうとか言われたわけじゃなくて・・・・・・」
「じゃなくて?」
「・・・・・・や、なんでもない」
 中戸さんは俺から視線を外して呟くと、グイとビールを煽った。細い首筋で、喉仏が上下する。
 どうやら付き合うは付き合うでも、一晩の、ということだったらしい。しかし、今日チョコをくれたというのは、別の意味もあるような気がするのだが。
「バレンタインの度に、こんな大騒ぎしてんですか?」
 来年もこうなのかと思うと、ちょっと気が遠くなる。
「いや、去年まではたいてい男と付き合ってたから、義理でも大学の女の子に貰うことはほとんどなかった。高校ん時とかは彼女いたし。こんなにたくさん貰ったのは初めて」
 今はフリーな上、中戸さんはゲイではなくバイだと広まってしまっているので、女の子がこぞってチョコをくれたというわけらしい。それに中戸さんの場合、男からみれば貰うよりもあげる立場と見られることが多そうなのだが、今年は男から渡す逆チョコというのも流行っているというから、よけいに多かったのだろう。
「俺、勢いつけて来られるとどうもダメで、つい受け取っちゃうんだよね」
「まさか、『つい』で、ダブって告白オーケーしたりしてないでしょうね?」
 なにせ中戸さんといえば、『来る者拒まず』で有名な人だ。三橋少年の例から推しても、充分考えられるから怖い。
「それは大丈夫。貰う時、お返しはしないし、食べないと思うけどいいですか? っていちいち訊いたから」
 告白する前、若しくはした後に、返事よりも何よりも、チョコに対してそう言われた女の子の姿が浮かんで、俺は少々気の毒になった。告白する前だった子は好きだという言葉を飲み込んだろうし、した後だった子は『お返しはしない』というのを返事だと受け取っただろう。中戸さん自身、それを狙ったのかもしれないが。
「今度は性格悪いって噂が広まりそうですね」
「いいよ。本当のことだから」
 中戸さんは飄然としてビールを飲み干した。空になった缶を片手に席を立つと、冷蔵庫からパックになった籠ごと出して、チョコの入った紙袋と一緒にダイニングに持ってくる。そして籠から二本ビールを取り出すと、俺に向かってにっこり微笑んだ。何人もの気持ちを平然と流してきた人とは思えない、天使の微笑み。
「裏書じゃないの二本あげるから、コレ食べるの手伝ってくんない?」
 なんとなくその笑顔を見ていられなくて、そっぽを向いて答える。
「捨てればいいじゃないですか」
「捨てるの苦手なんだよ」
「他人に流すよりは誠実だと思いますけど」
「俺、不誠実だもん。何言われててもたいてい上の空だし」
 そういえばそうだった。中戸さんは、誰といても何をしていてもほとんど上の空。あんなに必死なオフホワイトの想いも、思い詰めて突進してきた三橋少年の告白も、中戸さんにとっては、ベージュとの掛け合いや、今俺としている他愛ない会話と同じくらいの重さでしかないのかもしれない。
「中戸さんにかかると、一直線も形無しですね」
「なにそれ?」
 中戸さんは袋からゴディバの包みを取り出しながら首を傾げた。
「ベージュのカーディガンの子、堀田さんでしたっけ? あの子が言ってたんです。自分達の恋は一直線だって」
 規則も立場も性別さえも関係ない。今、この瞬間の気持ちだけが全て。そう言い切って突っ走ってしまえるあの子たちの想いは、たしかに一直線なのかもしれない。俺には到底できないけど。
 しかし、中戸さんは「形無しってことないよ」と箱に掛けてあるリボンを解きながら言った。
「俺、一途というか、一直線な奴を断るのって苦手。自分が空っぽだからだろうね、どうも流されそうになる。後々のこと考えると、無下な断り方もできないし。一直線な奴はたいてい自分の気持ちしか見えてないから、付き合って壊れる方が楽なんだよね」
 すごいヒトデナシ発言だと思っていると、「人非人て言いたいんでしょ」と包装紙を剥いていた手を止め、上目遣いで睨まれた。
「でも俺、俊平くんには開心見誠してる方だと思うけど?」
「カイ・・・・・・?」
「分かんなかったら辞書引いて」
 中戸さんは再び視線を手元に戻し、丁寧に、というより、もたもたと包みを剥いでいく。食べるのが嫌なのだろう。
「ひょっとして、いつもはあんま断らないのも、断るのが苦手だからですか?」
「うーん、それもあるかも」
 だから今日はすごく疲れたと、テーブルに投げた腕を枕に寝そべるようにして、ようやく取り出したチョコを口に放り込む。その姿がひどくしょぼくれて見えて。
「しょうがないなぁ」
 俺は自分の方に押し出されていたビールと一緒に紙袋を引き寄せて、チョコレートを物色しにかかった。開封されたものは入っていないのに、袋の中は俺や中戸さんの苦手なチョコの甘い匂いで満ちている。
 甘いものが苦手、捨てるのが苦手、そして一直線な相手を断るのが苦手。意外にも苦手の多い中戸さんだが、一直線になれない俺には、付け入って何かをさせる隙はなさそうだ。弱点を知っても使いようがない。
「あ、これ甘くない。結構イケるよ」
 え、どれ? と袋から顔を上げると、薄い板状のチョコレートを口に押し込まれた。視線の先には、『カカオ80%オレンジ』と書かれた包み紙と、口の中のチョコよりも甘そうな中戸さんの笑顔。いつの間にか身を起し、ね? と同意を求めるように僅かに小首をかしげている。
 甘いものは目にも毒なのかもしれない。
 そんなことを思いつつ、中戸さんから視線を逸らせて噛んでみると、チョコはたしかに甘くはなく、ほろ苦さが強く感じられた。あと口は少し甘酸っぱいが、オレンジの効果か、柑橘系のさっぱりした余韻の方がより残る。
「やっぱりチョコにはビールよりコーヒーのが合いそうだね」
 指についたチョコを舐めながら席を立つ中戸さんを見て、俺は『甘いもの』で痺れそうになる頭の一部で考えた。




 うまいこと付け入られているのは、俺の方かもしれない。








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