テレパシー 01

 通勤通学時間でもないのに、国道を走る車の流れは緩慢だった。事故でもあったのかと思ったが、電光掲示板に表示されているのは今の殺人的な気温と、この渋滞があと四キロ続くということだけ。
「こりゃ遅刻だな。連絡入れとくか」
 うんざりしたように赤信号を見上げ、友人の有川が携帯を取り出した。
「俺、掛けようか?」
 運転席で携帯を操る有川に、助手席から手を出す。いくら渋滞に巻き込まれている上に、赤信号で停止しているとはいえ、運転中の人間に電話をさせるわけにもいかない。
 俺は今、有川の運転で奴の気に入りのうどん屋に向かっている。なんでも、有川とその彼女の箱辺さんが俺に相談したいことがあるらしいのだ。お礼に昼飯を奢ると言われれば、身構えつつも引き受けてしまう現金な俺である。とはいえ、高いものは奢れないからと、立地は悪くても安価な店を指定され、有川は送迎もしてくれることになった。
 渡された携帯は、すでに箱辺さんの携帯へと電波を発信していた。耳に女性歌手の歌声が流れ込んでくる。ワンフレーズも流れないうちに、箱辺さんが出た。
「あ、俺、蒔田だけど」
 発信元の番号から有川だと思っているだろう箱辺さんに、先に名乗りを上げて、俺は状況を説明した。
「そういうわけだから、ちょっと遅れる。ごめん」
「分かった。グンジ先輩来たら先に店入っとくね」
「は?」
 俺と有川の他は箱辺さんしか来る人はいないと思っていた俺は、箱辺さんの口から同居人の名前が出てきたので混乱した。しかし、そんな俺の疑問符には気付かなかったらしい箱辺さんは、
「ヨウに、焦らなくていいから気を付けて来てって言っておいて」
 自分の彼氏への伝言を述べ、さっさと切ってしまった。
「おい、有川」
 切れた携帯を握りしめて、横の有川を睨む。信号はすでに変わっていて、ノロノロではあるが、車は前進を始めていた。
「何だよ?」
 ハンドル片手に俺から携帯を取り戻しつつ、有川が問う。
「中戸さん来るって、俺聞いてないんだけど」
「言ってなかったっけ?」
 低く言った俺に、有川はあっけらかんと問い返してきた。言ってねーよ、一言も。
「ま、いいじゃん。おまえ、同じ部屋に住んでてもあんまり一緒にいられないとか言ってたし、一食一緒にできてラッキーじゃねーの」
 有川が運転中でなかったら、ニヤニヤと流し目を寄越してくる奴の頭を、一発くらい叩いていただろう。しかし、残念ながら、今それをすると俺の命にも危険が及ぶかもしれないので怒鳴るにとどめた。
「ラッキーじゃねーよ! だいたい中戸さん、今月院試だろ! 何呼び出してんだよ!」
「グンジ先輩がオッケーっつってんだからいいじゃん。そんな怒ることねーだろ。何? おまえ、また『気持ちに気付かれたらどうしよーう』とか言って逃げ回ってんのか」
「気持ち悪い裏声使うな。そうじゃねぇ」
「じゃ何よ?」
「別に……」
 俺はそう言って口をつぐんだが、有川が前方を見ながらも、ルームミラー越しにちらちらと俺の様子をうかがっているのが分かっていたたまれなくなってきた。俺よりも有川の方がそわそわしているのだ。え? 今日ひょっとしてやばい? 俺、マズった? てな感じで。
 言いたくないのは俺の方だし、いつもなら放っておけるのに、こんな密閉空間でそんな視線を送って来られると、訊きたいことがあるならはっきりと言え! と言いたくなってしまう。
「……盆に、中戸さんちょっと体調崩して……」
 結局、沈黙に負けたのは俺の方だった。
「向こうがいいって言ってんのに、世話焼きすぎちまったんだよ、俺。だから、あんま顔合わせないようにしてんだ」
 実際には盆前からだ。
 盆前に中戸さんが胃炎の診断を下されてから、俺はしつこいくらい彼の食事に手と口を出した。絶食明けには重湯を食べさせ、胃が落ち着くまでは暑いのに雑炊やうどんしか与えず、彼の好きな酒もコーヒーも禁止されていたので厳しく見張った。盆明けに休めない合宿があると言うから、それまでにできるだけ体調を戻させたかったのだ。
 そんな時に喉に変調を来たしたと聞いたものだから、俺はよけい神経質になり、軽い夏風邪どころかインフルエンザか肺炎患者かというような扱いをしてしまった。
 拒否するということのできない中戸さんには、かなり窮屈な想いをさせたと思う。
 中戸さんはその後、胃も回復し、医者から出されていたコーヒーやアルコールの禁止令も解けた。それでも今現在、院試に向けて毎日遅くまで勉強している彼の体調が気になって、俺は未だに夜食だのなんだのを作ってしまっている。うざがられているかもしれないと思いつつも、メモを付けてテーブルの上に置いていた物がきれいに食べられていると、やめることができない。『美味しかったです。ありがとう』なんて返事があったりすると尚更だ。
 ただ、うざいと思われているかと考えると、顔を合わせるのは憚られた。断ることのできない彼の性格から、食事を平らげてあるのも、作って貰ったものだから残してはいけないという強迫観念から食べてくれているのではないかという恐れもあったし、顔を見るとまた余計な世話を焼いてしまいそうな自分も嫌だった。
 それもこれも、俺が中戸さんに対して、普通男に抱くはずのない感情を持ち始めてしまったせいだろう。
「おまえがお節介だったなんて、知らなかったなぁ」
 有川が感慨深げに言った。ガラじゃねぇし。
「俺も知らなかった」
 干渉なんて、するのもされるのも嫌いだと思っていた。
「あ、でも、グンジ先輩は前からそんなようなこと言ってたっけ。それに真衣先輩と同棲始めたのも、先輩が風邪ひいたのがきっかけだったよな」
「ヒトのことなのによく覚えてんなぁ」
 真衣は俺の元彼女だ。二つ年上の気丈な女性だったが、あの時は風邪で弱っていたのだろう。見舞いに行った際に「一緒に住まない?」と持ちかけられた。
 もっとも、その同棲がうまくいかなかったから、今現在、やはり二つ先輩の中戸さんと同居しているわけなのだが。
「そりゃ、親友が大人の階段を上ってくのを、俺は隣で指咥えて見てたわけだから」
「大人の階段ねぇ」
 有川には話してなかったかもしれないが、俺は真衣が初めての彼女というわけではなかった。高校の時に二度ほど女の子と付き合い、そのうちの一人とはいくところまでいっていた。世間一般で言う『大人の階段』なら、有川と出会った大学入学時点で、とりあえず今のところまでは上っていたわけで。
 有川がどういう意図で言ったかは分からないが、同棲でもう一段上ったことになるというのなら、俺は見事に転げ落ちたことになる。
「ま、世話焼きならちょうどいいや。俺らの世話も焼いてくれ」
 有川が言って、ハンドルを切った。信号を右折し、国道から逸れる。
「世話焼けって……俺、何かやらされるわけ?」
「ちょこっとアドバイスしてくれりゃいいんだよ。グンジ先輩と」
 その中戸さんに疎まれているかもしれないってのに、どうしろってんだよ。そう思ったが、奢りに目が眩んだのは俺だ。今更逃げるわけにもいかない。
 スムーズに走りだした車のフロントガラスの中、陽射しがまぶしくアスファルトを照りつけていた。












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