テレパシー 02

 車から降りると、駐車場を見渡せる窓際の席に二人がいるのが見えた。向かい合って座り、何かテーブルの上を見ながら話し込んでいる。主に箱辺さんが喋り、中戸さんが相槌を打っていた。
 有川が、眉をひそめて舌打ちする。
「グンジ先輩も俺が拾ってくりゃ良かったな」
 俺は黙って有川の後に続いた。黙っていれば大人しそうに見える箱辺さんと、目を引く容姿をしているものの、いささか格好に無頓着な中戸さんの組み合わせは、知らない人が見れば当たり前のカップルだと思われそうだった。
 二人が木目調の黒いテーブルの上に広げていたのは、ただのメニュー表だった。有川とよく来ている箱辺さんがおススメを紹介し、中戸さんが迷いながら聞いていたというだけのことだ。しかし。
「もうちょっと遅くても良かったのに」
 箱辺さんにそう言われた有川は、箱辺さんの隣に腰掛けながらもどーんと落ち込んだ。
「アイちん、それはあんまりじゃない?」
「だって、グンジ先輩と二人でいると、女の子の羨ましい光線がすごくって、ちょっと優越感だったんだもん」
 ずっとだと嫉妬とか怖くて嫌になりそうだけど。
 箱辺さんはフォローになってるんだかなってないんだか分からないようなことを言ったが、有川はそれであっさり浮上した。
「それって彼氏はやっぱり俺がいいってことだよね?」
「そういうことかもね」
 断定されたわけでもないのに有川はすっかり上機嫌になって、メニューを繰る箱辺さんにくっついていっている。箱辺さんも「暑い」と言って押し返してはいるが、満更でもなさそうだ。
 俺と中戸さんはお邪魔虫になったようで、なんとなく顔を見合わせて苦笑した。中戸さんが、自分はもう決めたからと、俺にメニューを向けてくれる。その笑顔に嫌悪の色が見えないことに安堵して、俺はメニューに目を落とした。
 有川の奢りということもあって、俺は手巻き寿司に天ぷらの盛り合わせ、茶碗蒸しまでついたざるうどんのセットを頼んだ。中戸さんはまだ本調子までいかないのか、結びとざるうどんのセット。箱辺さんはもともと俺たちほど食べないので天丼単品でも不思議はなかったが、有川がざるの大盛り単品だったのは、明らかに懐具合と相談してのことだろう。
 店は昼時のせいか、平日とは思えない賑わいを見せていた。俺たちのような夏休み中の学生だけでなく、小さな子どもを連れた家族や、背広姿のサラリーマン、揃いの事務服を纏った女性の集団もいる。
 店員の忙しなさは変わらないが、俺のバイト先のファミレスよりも、客がせかせかしているようだ。長話になると迷惑かな、と少し思った。
 箱辺さんの天丼を皮切りに、次々とざるが運ばれてくると、中戸さんの手が泳いだ。
「七味ならそっちですよ。箸入れの横」
「ありがと」
 俺が教えると、七味を取ってこちらに向ける。
「俊平くんも入れるよね?」
「あ、どうも」
「有川も入れる?」
 中戸さんは、俺がいつもしているようにふた振りつゆに入れてくれてから、じっとこちらを見ている有川に七味の瓶を差し向けた。
「え、俺はいいっす」
 有川が慌てたように手を振る。
 中戸さんは「そ?」と言って自分のに入れようとしたが、急に動きを止めてこちらを見た。この視線には覚えがある。コーヒー禁止令が解けてから初めてコーヒーを飲もうとした時にも、同じような表情で俺を見たはずだ。入れていい? 食べていい? とお伺いを立てている視線。
「入れすぎなきゃいいんじゃないですか?」
 もう何を食ってもいいと、医者から許可が出ているはずだ。
 俺が言うと、中戸さんは、へへっと笑ってざばざばと七味をつゆに落とした。ちょっと入れすぎじゃないですかと思っていたら、また申し訳なさそうに俺を見るから、俺は自分のつゆを少しだけ移して七味だらけの中戸さんのそれを薄めてみた。
「そんなに神経質にならなくても、もう大丈夫だとは思いますけど、一応」
「ありがと」
 俺たちがそんなことをやっている間にも、有川は箱辺さんに天ぷらをくれだの、それを食べさせてくれだのとちょっかいをかけている。箱辺さんは、天ぷらはあげたけれど、断固として食べさせてはやらなかった。
「蒔田くんたちもいるのに何言ってんのよ」
「いーじゃん、俺だっていちゃつきたい」
「子どもか!」
 そんな二人を見て、「箱辺は苦労してんだなー」と中戸さんが笑う。箱辺さんはうまいこと有川を尻に敷いていると思っていたが、案外手も焼いているのかもしれない。
「中戸さんも食います? 天ぷら」
 箱辺さんから次々と天ぷらを巻き上げる有川を見て、俺は中戸さんに言った。この中で天ぷらを食ってないのは中戸さんだけだと思ったら、ちょっと可哀相になったのだ。
「いいの?」
 いいですよと天ぷらの盛り皿を向けると、どれにしようかなと嬉しそうに選び始める。子どもみたいに頬を上気させているのが愛らしくて、俺は「良かったら二つどうぞ」と勧めてしまった。ほとんど食べられなくなっていた中戸さんが、食欲を見せていることも嬉しかった。
「いいの?」
「いいですよ。有川の奢りだし」
「それもあるけど……」
「もう大丈夫でしょう」
 中戸さんが結びだけのセットにしたのは、自分の胃袋や有川の懐具合を慮ってのこともあるだろうが、まだ天ぷらを食うには早いかと危ぶんでいる部分もあったのだろう。中戸さんは「それじゃあ」と喜んで、二尾あるからと俺が勧めた海老と、大葉の天ぷらを攫っていった。
「で、相談って何だよ」
 箱辺さんをのぞいてほぼ食い終わり、一息つくと、中戸さんが二人に向かって言った。中戸さんも『相談に乗って欲しい』とだけ言われて来たらしい。
 有川と箱辺さんは、ちらちらと視線を交わし、結局箱辺さんが口を開いた。
「相談っていうか、アドバイスが欲しいんです」
「何の?」
 と中戸さん。
 二人はまたちらちらとお互いを見やって、今度は有川が口を開いた。
「実は、俺たち一緒に住もうって言ってるんです。それで、ここは末永く円満にやっていくコツを、同棲の先輩であるお二人にアドバイスしてもらおうと」
 俺と中戸さんは、そろって「はあ?」と唱和した。そんなことでわざわざ、という理由が一つ。それともう一つ。
「同棲の先輩って……」
「俺ら、それに失敗したから同居してんだぞ」
 呆れて言葉に詰まる俺の後を中戸さんが引き取り、俺もうんうんとうなずく。俺は真衣に振られて部屋を追いだされ、同じ頃に同棲相手に出て行かれてルームシェアしてくれる人を募集中だった中戸さんのところに入りこんだのだ。
「でも二人、一年近く仲良くやってるじゃないっすか」
「そりゃ同棲じゃなくて」
 ニヤニヤしながら言ってくる有川に、俺が呆れて溜息を吐けば、
「同居だからだ」
 と中戸さんも同意した。
 正直、中戸さんとの暮らしが同居でなく同棲という名の元で行われているならば、俺はもっと彼にイラついてしまっていると思う。中戸さんが男女問わずモテることを今よりも気にし、彼が男といても女といても、不機嫌な態度を隠そうともしていないかもしれない。
 態度には出さずとも他人の干渉を嫌っている節のある中戸さんは、早々に嫌気が射してしまうのではないだろうか。
 いや、今だって十分、俺の過干渉に辟易しているかもしれない。
「けどさっきなんて、阿吽の呼吸っての? 熟年夫婦みたいに、みなまで言わなくても分かるって感じだったし」
「どこがだよ!?」
 有川のセリフに噛み付いたのは俺だ。中戸さんも「さっき?」と疑問符を飛ばしている。
「グンジ先輩が七味探してるって、先輩何も言ってないのに俊平わかってたじゃん。グンジ先輩も俊平の入れる量まで心得てたみたいだし」
「そりゃたまたまだよ。最近よく俊平くんがうどん作ってくれてたから」
 何のことはない。中戸さんの胃が弱っていたから、消化の良さそうなうどんを俺がよく食わせていたのだ。当然自分の分も作るから、一緒に食べる機会が増える。それで俺が七味を毎回ふた振りしていたから中戸さんがそれを見覚え、中戸さんが七味をかけたがるのを俺が制していたから、普段彼が七味をかけているのだと俺が知った。それだけのことだ。
「だいたい一年未満なんだから、俺らあんまり長くないぞ。まぁ、他人と暮らす上での個人的な心構えくらいなら喋れるけど。でも、本当に俺個人の考えだし、それくらい別に奢ってまで貰わなくても喋るのに」
 中戸さんがそう言うと、有川が「マジで!?」と食いついた。が、中戸さんはすかさず、
「とは言え今日はもう払わないぞ。帰りの交通費くらいしか持ってないからな」
 俺もご馳走してもらうに見合うほどの役立つ知識を披露できるとは思えなかったが、右に同じと手を挙げた。中戸さんは院試前の大変な時期に貴重な時間を割いてやっているわけだし、俺は暇人だが休みの日にカップルのデートに入れ込まれるというあまり嬉しくない呼び出しに応じているわけだし、どうせ口止め料だって入っているのだろう。
 案の定、箱辺さんが最後のひと口を飲み込んでから言った。
「いいんです。まだ他の人たちには言わないでいてもらいたいから、この食事代は口止め料込みってことで」
 箱辺さんは自宅生ではないものの、実家はそう遠くないところにあり、同じ大学に親とも面識のある友人がいる。だから、自分が話すより先に、そういう人たちから家族の耳に同棲話が入るのを恐れているのだった。
「グンジ先輩は、家の人にはどう話したんですか?」
 箱辺さんに真摯な表情で訊かれた中戸さんは、「俺?」と自分を指差した。その顔は間が抜けていたけれど、箱辺さんは構わず続ける。
「最初に同棲した時とか、同棲相手が変わった時とか、どんな風に家の人に切り出したんですか」
「いやいや待て待て」
 真剣に訊いてくる箱辺さんを、中戸さんは両手を振って押し止めた。
「何か勘違いしてないか、箱辺。俺は男だし、同じ男としか暮らしたことないから、普通に先輩とルームシェア始めたとか、先輩が卒業したから同級の友達が住み始めたとか、そんな風に言えば済んだんだよ」
 中戸さんはバイセクシュアルで、俺の前までの同居人はみんな男でもほぼ恋人だったと思われる人だ。女性に間違えられるほどではないにしろ、中性的な容姿をしているし、サークルの罰ゲームで女装させられたりもするので、女性視されている節もある。そんなだから、男からも普通に交際を申し込まれるし、中戸さんが男と付き合えば、周囲は当然のように女役は中戸さんだと考えるので、箱辺さんもそういうノリで訊いたのだろう。
 が。
「そっかぁ。そうですよね。グンジ先輩も家の人には男性で通ってるんですよね」
 箱辺さんは残念そうに溜息を吐いた。
「いや、他の人にも男で通ってるはずなんだけど」
 中戸さんはそう返したが、それは疑問の余地の残るところである。












inserted by FC2 system