テレパシー 03

 有川に俺の時のことも訊かれたが、俺は真衣と同棲していたことを家族に話してなんていなかった。うちは父子家庭で、その親父が俺に無断で女を居座らせるような奴だったので、こっちもわざわざ言う必要はないと思っていたのだ。
 もし「親の脛かじってんだから、そういうことはちゃんと報告しろ!」なんて言われることがあったら、その時に話せばいいと思っていたのだが、親父にバレる前に彼女に振られたので、言う機会はなかった。
 今現在、中戸さんが借りているマンションに間借りさせてもらう形で同居していることは話しているが、中戸さんがどういう人かまでは親父は知らない。とはいえ、親父は中戸さんと電話で話したことがあるから、大学の先輩であることくらいは聞いているかもしれない。
 真衣は姉だったか妹だったかには話していたが、親には隠していたらしく、彼女の親が来るという情報が入れば、俺はすぐに荷物をまとめて姿を隠さなければならないということになっていた。幸い、短い同棲期間に、遠方に暮らす真衣の両親がやってくることはなかったが。
「まぁ、『末永く』と思うなら、箱辺さんのご両親の許可は貰っといた方が賢明だろうな」
 俺がそう言うと、中戸さんがはっとしたように有川を見た。
「おまえまさか、部屋借りる時の身元引受人になってとか言うんじゃないだろうな。だからご馳走してくれたとか」
「いやそれはさすがに」
 否定する有川の横で、実は考えてたクセに、と箱辺さんが言う。どうやら箱辺さんが止めてくれたらしい。それを聞いた中戸さんは、そんなことだろうと思った、と頭を抱えた。
「ま、じゃあ、アイちんの両親にどう話すかはまた考えるとして、」
 分が悪くなった有川が、愛想笑いを浮かべて話題を変える。
「長く円満に暮らす秘訣を教えて下さいよ」
 俺たちは、円満にねぇ、と少し考えていたが、お茶を啜っていた中戸さんが、湯呑を置いて口火を切った。
「部屋はあれだな」
 水を向けられたのが分かって、俺も答える。
「できたら別々がいいですよね」
「え、せっかく同棲すんのに別々に寝るってこと!?」
 有川が情けない声を出し、寝るのは好きにすりゃいいんだよ、と中戸さんが笑った。
「寝室は一緒でもいいんだよ。でも、少なくとも1DKにはした方がいいと思うな。人間誰しも一人になりたい時ってあるだろ。それに、1Kだとケンカした時とか厳しいと思う」
「ああ、厳しかったですね」
 1Kで同棲していた俺は思い切りうなずいたが、有川はぶーたれた。
「ケンカすること前提かよ」
「四六時中一緒だと嫌な面も見えてくるし、頭冷やす時間も減るから」
「俺と真衣だって、同棲してからの方がケンカは多かったし、同棲してても自分の部屋があったらしなかったもしれないケンカもあったよ」
 見えなければ腹も立たないということは、往々にしてある。
 それでも有川は不満げだったが、箱辺さんには納得できる部分があったようだ。
「そっかぁ。やっぱり今住んでるようなワンルームマンションじゃ厳しいってことだね」
 そう言ってお茶を啜った。
「それとあの辺も」
 と中戸さんが続ける。
「あの辺?」
 と有川。
「うん、断然別れてる方が良い」
 そう応えたのは俺だ。
「俺は経験ないけど、男女なら尚更かな」
「ですね。そうでなくても被ることあるのに、行きたい時に何十分も行けないって最悪ですよ。女は特に長いし。俺は二階に住んでたし、コンビニ近かったからまだ良かったけど」
「うちだとアウトだね」
「下まで降りるか相手が上がってくるのを待つか、賭けに近いですね」
「ちょっ、ちょっと待った」
 つらつらと話していると、有川が制止に入った。
「あの辺って何なんですか。俊平、おまえも分かって言ってんのか?」
 そんなの決まり切っている。俺はあっさり答えた。
「うん。風呂とトイレと洗面所」
「当たってるんすか、先輩」
「うん。三点ユニットはきついって話」
 他に何があるんだよ? と言われた有川は、それもそうかと口ごもる。
「女は長いっていうのは、お風呂のことね」
 箱辺さんに問いかけられて、俺は軽くうなずいた。
「トイレがお風呂と一緒になってると、相手が入浴中だとトイレ使い辛いし、だからって風呂入ってる時に『トイレ行きたいから早く上がって』って言われるのも嫌でしょ」
「シャワーだけにするとしても、髪洗ってる時なんかだと、すぐには無理だね」
 箱辺さんはセミロングの髪の毛を引っ張った。
「それで俊平は、真衣先輩が入ってる時に行きたくなったら、コンビニまで用を足しに出掛けてたってことか」
「行ったのは二回くらいだけどな」
 俺の場合、夏場だけだったからまだ良かったが、冬場はいくら近くても辛かっただろう。
「だから、風呂に洗面がついてるのは仕方ないとしても、トイレだけは別に設置してあった方がいいと思う」
「ふーん、じゃあ、物件はそういうの中心に探すとして、同棲の心構えってやつ教えて下さいよ」
 テーブルに身を乗り出してくる有川に、同棲じゃなくて同居だけど、と釘を刺してから、中戸さんは言った。
「出費を厭わないこと、相手の生活に口出ししないこと、相手がいる時に恋人を連れこまないこと、かな」
 二人は一瞬ぽかんとしたが、たぶん一番驚いていたのは俺だろう。三番目を除けば、俺の考えと同じだったのだ。金を出し惜しみせず、相手に干渉しないこと。これが俺の同居をする上での心構えである。俺が二番目を実践できているかは怪しいところだけれど。
 道理であそこの居心地が良いはずだ。根本的なところは、似たような価値観で行動してたんだから。
「出費を厭わないって、それじゃあ一緒に暮らす意味があまりなくないですか? 費用を抑えられるから同居するんじゃないんですか?」
 そう訊いてきたのは箱辺さんだ。
「うーん、それもそうなんだけど」
「自分一人で暮らすわけじゃないんだから、一人で光熱費を削るなんてできないじゃない。だから、相手の生活に介入しないようにしようと思えば、その辺はケチケチ考えない方がいいんだよ」
「え、蒔田くんも同意見なんだ?」
 代わって説明したのが俺だったせいか、箱辺さんは驚いたようにこっちを見た。
「うん。俺も同居は、金を出し惜しみしなきゃたいていのことはなんとかなると思うんだ」
 だよね、と中戸さんもうなずく。
「例えば、うちは今、俊平くんはほとんどバイトでいないのに、俺がずっと部屋でクーラー点けてたりするんだけど、俊平くんは何も言わずに電気代折半してくれてる」
「その前までは、中戸さんの部屋のクーラーが壊れてたり、中戸さんのいない日が多かったりして、俺一人でクーラーも水道もガスも使いまくりでしたけどね」
 最初の頃は俺が真衣と暮らしていた時のように、今月は俺がガス代と水道代、中戸さんが電気代と電話代(マンションに備え付けの電話がある)、翌月は逆、家賃はずっと折半と決めていたのだが、電気代などは月によってかなりムラがでてきたので、今は全部半額ずつということにしている。
 例外として、電話代だけは中戸さんが全額持ってくれている。俺はかかってくるのみなので。
「というふうに、光熱費なんかは、どっちがどれだけ使ったかなんて考えてたら切りがないから、こうしようって決めたら気持ちよく出した方が快適に暮らせると思うんだ。浪費はもっての外だけど、お互い遠慮したり苛々したりしてたら諍いの元だから」
 俺の言葉に、すっかり説明を俺に任せていた感のある中戸さんも、頬杖をついて「そうそう」と合いの手を入れてきた。
「他にもお金で解決することなら出すよ、俺は。正直それが一番楽だし」
「えー! そりゃちょっとドライすぎるっつーか、寂しくないっすか、先輩!」
 あまりにあっさりした中戸さんの発言に、有川が噛み付く。
「一緒に住んでんだから、問題があったらまずは二人で協力して乗り越えようとするもんなんじゃあ……」
「いいんだよそれで」
 中戸さんは頬杖をやめて、有川の抗議を遮るように言った。
「俺らのはあくまで同居で、いつか離れるっていうのが大前提だから。今さえうまくいけばそれでいい」
 それでも有川は食い下がってくる。
「そりゃ今は同居かもしれないけど、今までは同棲だってしてたわけでしょ」
「でも大前提は変わんねーよ。先があるような相手と付き合ってたわけじゃなし。おまえらの場合は、いつかは結婚、とか思ってんだろうけど」
 そう言われた二人は、揃ってうなずくかと思いきや、顔を見合わせて口ごもった。
「あ、や、まだそこまでは……」
「……お、俺はとにかく、もっと一緒にいて、もっとツーカーな仲になりたいの! 先輩と俊平みたいに!」
「んなテレパシーみたいなことできるようになるわけないだろ」
 有川にまくしたてられて、中戸さんがげんなりする。
「さっきやってたじゃないっすか」
「あんなのは、たまたまだ。俺らだって話さなきゃ分かんねーことは山ほどあるよ。つか、そっちのが多いよ。だから長続きさせようと思ったら、相容れないところがあってもお互い我慢して干渉しないか、とことん話し合うかしかないわけだけど、俺らは期限付きみたいなもんだから、ある程度は知らん顔も我慢もできんだよ。ずっと一緒に暮らすわけじゃないから」
 まぁ俊平くんには、のっけから、こたつより先に布団買えとか言っちゃったけど、と中戸さんはちらりと俺を見た。
「でも、おまえらは末永く一緒にいたいんだろ。ツーカーなんて夢みたいなこと期待しないで、ちゃんと口で伝えるようにしないと、いつか箱辺に振られるぞ」
「なっ、なんてことをっ! ちょっと俊平も何か言ってくれよ!」
「あー、悪い。俺、ちょっとカワヤ」
 Tシャツの裾を引こうとする有川を避けて、俺はお手洗いに向かった。尿意はなかったが、少し一人になりたかった。
 入った時には八割がた埋まっていた席は、いつのまにかほとんど客がいなくなっていた。それでも俺たちが入った時に見かけた家族連れは、座敷席でまだのんびり食べている。小さな子どもがいるから、早くは食べられないのだろう。うどんに飽きた子どもが、アイスクリームが食べたいと騒いでいる。
 お手洗いの手前の二人掛けの席では、老夫婦がどんぶりを抱えてゆっくりとうどんをすすっていた。夏場でも熱いのを注文したようだ。
 俺は彼らが羨ましかった。期限などなく一緒に居られる彼らが。
 俺と中戸さんは『いつか離れるっていうのが大前提』で『期限付き』で『ずっと一緒に暮らすわけじゃない』間柄で。
「分かってたはずなんだがなぁ」
 男女兼用の洋式トイレ。俺は個室の戸を後ろ手に閉めながら呟いた。
 期限付きの同居だから、中戸さんは俺のお節介を我慢して受け入れてくれているのだろうか。
 便座ごと蓋を上げると、消臭洗浄剤で青く染まった水が、俺の恐れに色を付けたようにたゆたっていた。












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