器用な指先 01

 ごつい指が、しなやかにギターのネックを駆け上がる。アンプから溢れ出る音は、歪みの中にも透明感を湛えていて。きゅうっと胸を締め付けられるようだ。
「ね、すごいでしょ」
 隣に立つ犬飼が、興奮を含んだ声音で同意を求めてきた。ボディを掻き鳴らす大きな手に釘付けになったまま、俺は素直に頷いた。
 すごい。音の良さはアンプのせいもあるのだろうが、手の動きに魅了される。
 間奏のギターソロでは、館内の冷房が効きすぎているからという理由でなく、鳥肌が立った。あんなごつい指が奏でているとはとても思えないような繊細なメロディライン。そして、直接脳に響いてくるような音。決して完成度は高くないが、圧倒的な存在感。
「また弾きたくなったんじゃない?」
 曲が終わってCD販売が始まると、犬飼が半分放心状態だった俺の腕を小突いてきた。
「んー、たしかにあんな風に弾けたら気持ちいいだろうな。でも、もうコードも覚えてねーよ」
 俺は一時期、ギターにはまっていたことがあるのだ。その時、ギターを買う金のなかった俺にアコースティックギターを譲ってくれたのが、初心者にありがちなFのコードで躓いて音楽をやめたという犬飼の従兄だった。しかし、俺もあっさりと同じ道を辿り、左手の中指を過って包丁で負傷したのを機に、約半年でやめた。Fコードの『六弦全てを人差し指で押さえる』というのがどうしてもできなかったのだ。きっちり押さえているつもりでもどこかが甘くなっていて、まともに音が出なかったのである。
 駅前にあるファッションビルの五階特設ステージ。そこであるインディーズバンドの無料ライブに行こうと高校の同級生だった犬飼にしつこく誘われて、俺は今ここにいる。
「ラギさんていうギターの人がチョーカッコイイんだって! 顔とかじゃなくて、演奏がすごいの! あたし、音とかテクとかよく分かんないけどさ、とにかく演奏してる姿がいいんだって! 蒔田くん、ギター好きだったじゃん。絶対観るべき!」
 ギターを好きだったのはずっと昔の話だと何度も断ったのだが。
「お昼奢ってあげるからさぁ」
 その一言で腰を上げた。久々に食べたモスはやっぱりうまかった。
 ライブは前日もあったらしく、たまたまそこに居合わせて感動した犬飼が、そのラギという人に突撃。彼が、観客が少ないことを嘆いていたので、一人でも客を増やしてやろうと、地元を離れたこちらでは、数少ない知り合いである俺を引っ張ってきたというわけらしい。
 バンドはヴォーカルとギターとベースの三人編成。やはりというかなんというか、少ない観客のほとんどは、ルックスのいいヴォーカル目当ての女性らしく、ステージ前に置かれた長机では、ステージ上でマイクを握っていた青年がほとんど一人で接客している。ベース担当者やラギというギタリストは、CDを袋に入れたりアンケートを配ったりしていた。
「あー、昨日の。彼氏連れてきてくれたんだぁ」
 犬飼に促されるまま長机に並べられたCDを手に取っていると、例のラギという青年が寄ってきた。演奏中の近寄り難い雰囲気は消え、気安い笑顔で話しかけてくる。営業モードなのかもしれない。
「彼氏じゃないですよ。高校の時の同級生。彼もギターやってたから、ラギさんの演奏見せてやろうと思って」
 犬飼が余計なことを言う。ラギは数少ない大切なお客に合わせるためか、興味深そうに俺を見た。
「へぇ、きみもギターやってたの」
「いや、やってたっていうか、ちょっと興味あっただけで。すぐFの壁にぶち当たってやめました」
 この人に比べたら、俺のなんてやってたうちにも入らない。というか、やっていたと言うのさえ恥ずかしい。
 しかし、ラギは馬鹿にする様子もなく、逆にさっきより嬉しそうな表情になった。
「あれ、ギターやってる奴はみんな躓くって言うよな。きみ、アコギで練習してたっしょ?」
「はぁ」
「あれ、エレキ弦張って練習するといいってさ。エレキのは柔らかいから。俺の友達はそれで克服してた。俺はもともとエレキだったせいか、そこまで手こずらなかったけど」
「へぇ」
 意外に気さくな人かもしれない。彼の喋り方は、決して上から目線ではなかった。単純に、ギターに興味のある人間に会えて嬉しいといった様子だ。なれなれし過ぎない程度にフレンドリーな喋り方も、好感が持てなくもない。俺は少し、営業活動に協力しようかという気になった。
「最後の曲のソロ、かっこ良かったですね。あれってどのCDに入ってるんですか?」
 シングルなら買ってもいいかもしれない。
 しかしラギは、少しバツの悪そうな表情になった。
「ああ、これなんだけど、今より数段下手だから、聴かれんのちょっと恥ずかしいかも」
 一番端に置いてあったシングルを指して、バカ正直に言う。その時、彼のレザーパンツの尻ポケットがブブブと震えた。
「ちょお、ごめん」
 ラギは俺たちに手刀を切ると、慌ててポケットから携帯を引きずり出し、他のメンバーから隠れるように身をかがめて中を確認した。一応、仕事中だから、私的なメールや電話は慎まないといけないのかもしれない。
 ラギはごつい指で手早く携帯を操作すると、
「あのヤロー」
 呟いて頭をぐるりと巡らせた。誰かを捜しているらしいその視線は、俺たちの背後の方にあるエスカレーター辺りで止まって。
「こぉら! ちょお待て! 『来たから来るな』って、なんだこのメールは」
 俺たちを置いて駆け出したかと思うと、今にも下りのエスカレーターに乗ろうとしていた人物の腕を掴んで引き戻した。
「おまえが『今日ここに来なかったらマンションに押しかける』なんてメール寄越すからだろ」
 転びそうになりながら振り向いた人物の顔を見て、俺と犬飼は唖然とした。
「だいたいメールに名前くらい入れとけよ。誰だか分かんなくて気味悪いったら」
「おまえこそ、いい加減人のアドレス登録する癖つけろよ。俺はアド変した時、おまえにも連絡したぞ、グン」
 ラギが捜していたらしい人物。それは、俺の同居人である中戸さんだった。












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