器用な指先 02

 中戸さんとラギは、傍迷惑にもエスカレーター脇で言い合いを始めていた。
「だいたいおまえな、挨拶くらいしていけよ」
「邪魔しちゃ悪いと思って。さっさと仕事戻れば?」
「っかー! おまえ、もうちょっと可愛いこと言えねーの!? 『逢いたかった』とか『心配してた』とかさ」
「『逢いたかった』『心配してた』」
「棒読みかよ」
 そんな二人のもとに、犬飼は俺を引っ張って飛び込んでいった。
「ラギさんと中戸さんて、知り合いだったの!?」
 嬉々として乱入した犬飼と戸惑いつつその場に同伴した俺に、今度は二人が唖然とした。互いに、俺たちと互いを見比べる。結果、俺と視線の合った中戸さんが口を開いた。
「え……っと、この蕪木は、俊平くんの前の前の同居人。うちの大学に在籍してたこともあるから、俊平くんにとっては先輩でもある、かな」
 どうやらラギの本名は蕪木というらしい。うちの大学にいたことがあるとは驚きだ。
「じゃあ、佐渡先輩の前に、あの和室使ってた人なんですか」
 今は眠るだけのためにあるような俺の部屋で、かつてはギターの音がしていたかと思うと、ちょっと感慨深い。あの壁についている傷は、ひょっとしてアンプの角が……なんて考えてしまう。
 しかし、そこで俺はハタと思った。中戸さんは同性とでも平気で付き合う人だ。友人としてはもちろんのこと、恋人としても。俺を除く今までの同居人は、まずただの友人で終わってはいないだろう。いや、ただの友人でなくなったから同居を始めた奴の方が多いはずだ。そういう経緯で同居を始めると長続きしないから、今回はその気のなかった俺に白羽の矢が立ったのだろうから。
 その中戸さんと暮らしていたということは、この人……。
「佐渡? 俺の後は白井だろ?」
「あれ? そっか、白井がいたっけ。じゃあ、前の前の前か。いや、間にもう一人いたかな」
「……おまえ、俺が出てってまだ一年ちょっとだぞ」
「蒔田くんが十ヶ月くらいだから……。そんなに短い周期で同居する人が変わってたんですか?」
 ラギが呆れ、犬飼が驚いて目を丸くする。俺もそこまで頻繁に入れ替わっていたとは思わなかった。そりゃ、いい加減学習して、安全パイの俺にしとこうって気にもなるわな。
 しかし、こういう話を聞くと、何が何でも安全パイでい続けなければならないのだと再認識させられるので、それはそれでちょっと辛い。
「うん。俺、対人関係にちょっと問題があるらしくて」
 中戸さんは悪びれもせず答えた。が。
「ちょっとじゃねーだろ」
 ラギのコメントに、俺は力いっぱい頷きたい気持ちだった。
「で、ひょっとして、この子が今の?」
 ラギの視線が中戸さんから俺に向けられる。さっきと同じように興味深い視線なのだが、先ほどとは違った忌々しさみたいなものを感じて、俺は少し居心地が悪くなった。中戸さんはそれに気付いているのかいないのか、鷹揚に頷いた。
「うん。去年の終わりごろから入ってもらってる蒔田俊平くん」
「だから来るなってか」
「ん。今この子に出てかれると俺、生活に困るし」
「ちっ。俺の演奏褒めてくれた奴じゃなきゃ、首のひとつも絞めてやるんだがな」
「や、俺、そういうんじゃないんで」
 ラギが苦々しく俺を見るので、慌てて否定する。顔の前で手まで振って。
 あんなごつい手で絞められるなんて冗談じゃない。首のひとつもって、俺の首はひとつしかないんだから。
 しかし、やっぱりそうだったのか。そう思うと、なんか、こう……。
「うそだろ。有り得ねー。てか、それならなんで俺が行ったらダメなのよ?」
「おまえ来ると、俊平くんが引いて出てくかもしれないだろ」
「また気持ち良くさ……」
「いらないから」
 ラギの言葉に被せるように、中戸さんが言い放つ。それでも何か続けようとしたラギの言葉はしかし。
「んだよ、あれだッ」
 途中で途切れた。中戸さんがラギの手首を掴んだのだ。たぶん、あの細腕からは考えられないような、ものすごい力で。ラギの苦渋に満ちた表情が、それを証明している。
「そういう言動が引かれる要因だから来んなっつってんの」
「やけにご執心じゃねーか。ほんとに何でもないわけ?」
 おかしなことを言わせないためだろう。中戸さんは未だラギの手首を握ったままだ。その手をもう一方の手で外そうとしながら、ラギが中戸さんを睨む。
「ありません! ほんっとに、そういうんじゃないですから!」
 中戸さんに否定されるところを見るのも辛いので、割って入るように否定すると、犬飼が不思議そうに俺らを見上げてきた。
「さっきから、何がそういうんじゃないの?」
「んー、大したことじゃないよ。それより犬飼さんたちは、蕪木とどういう知り合いなの?」
 ギクリとする俺に気付いたのか、中戸さんはいつもの調子で犬飼の疑問をかわすと、話題を変えた。俺が犬飼に変に思われないよう気を遣ってくれたのだろう。犬飼は、中戸さんがバイであることを知らない。
「あたしは昨日、蒔田くんはさっき、ラギさんのファンになったんです」
 ね? と犬飼に見上げられて、本人を前に否定もできず、曖昧に頷く。生演奏に魅了されていた犬飼は、見事にさっきの疑問を忘れた様子で、興奮気味に続けた。
「ラギさんの演奏って、見ててなんかセクシーなんですよね。楽器っていうより、女性を奏でてるみたい」
「ああ、俺、ギターやる前は、吹奏楽部でコントラバスやってたから。コントラバスって女体を模ってんだよ。だから演奏する時は、女を抱くように弾けってよく言われてたわけ。ギター弾く時も、それが頭のどっかに残ってんだな」
「愛撫するように弾くから、ギターからも色っぽい音がするんですね」
「犬飼、おま、女が公衆の面前で愛撫とか言うな!」
 俺は慌てて犬飼の発言を止めようとしたが、ラギは引くどころか嬉しそうに犬飼いに身を乗り出した。
「分かる? いい声で啼くだろ? 俺のギター。最近やっと手に入れたんだよ、ギブソンのレスポール・スタンダード! でも、俺の指が一番いい声で啼かせたのは、やっぱグンのか……痛ッ」
「蕪木はさ、少し口を慎むってことを覚えないと、ギター弾けなくなるよ」
 顔を歪めて捩じられた手首を庇おうとするラギに、中戸さんがにっこりと微笑む。
 そこへ、ベースを担当していた人がCDを持ってやってきた。ステージ上でも群を抜いて大きく見えたが、傍で見るとその大きさがよく分かる。百八十は余裕で超えているだろう。
「ラギ、遊んでないで仕事しろ。ほらこれ、サイン書けよ」
 二枚のシングルと一枚のアルバムをラギの頭にこつんと乗せ、サインペンを渡す。そして、ふとその隣の中戸さんを見止めると、
「あれ、ひょっとしてグンちゃん? 久しぶり。相変わらず可愛いねー」
 言いながら、ぎゅっと抱きしめた。
「わっ、木曽さん、久しぶり」
 巨体にすっぽり包まれて、くぐもった声で中戸さんが返す。どうやらこの人とも知り合いらしい。
「ちょっ! てめ、何やってんだよ!」
 俺の願望を叶えるかのようにラギが木曽という男の背中に蹴りを入れたが、相手は堪える様子もなく、中戸さんを腕の中に収めたまま普通のことのように、「ハグ」と返した。中戸さんは逃げるでもなければハグを返すでもない。されるがままだ。
 木曽さんは一旦中戸さんを解放すると、両肩に手を置いてその顔を覗き込んだ。
「元気だったか? ちょっと痩せたんじゃない?」
 風貌から推しても、中戸さんより年上なのだろう。まるで親戚か近所の子にでも話しかけるような問い方をする。それで俺の中の怒りは少し治まった。
「あー、最近運動してなくて筋肉落ちたから。木曽さんは相変わらずいいガタイしてるね。ガタイがいいっていえば、ドラムのゾッチさんは?」
「あいつ辞めたんだよ。もともと二十八までに芽が出なきゃ、家業継ぐって約束だったから」
 それでバンド編成なのにドラムがいなかったのかと、横で聞きながら合点がいった。
 先程、MCでは、ちょくちょくラジオやCS放送で取り上げられていると言っていたが、彼らはあくまでインディーズだ。製作にも販売にも何の後ろ盾もない。最近はインディーズのままで売れているアーティストもいるが、この人たちは売れているわけでもなさそうだ。やはり、メジャーになるというのが一つの目標なのだろう。
 中戸さんは少し残念そうに「そっか」と頷いた。












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