器用な指先 03

「あん時もう二十七だったもんね。でも、ヴォーカルはいい人見つかったみたいで良かったね」
「うん。なんかやっとって感じ。カイチが抜けてから、なかなか見つからなかったからね。あの時はグンちゃんにも世話になって」
「いえいえ、何の役にも立ちませんで」
「十分役に立ってくれたよ。グンちゃん居てくれるだけで和むし。目の保養になるし」
 木曽さんの言葉に、中戸さんは笑った。
「何それ。和み系は木曽さんでしょ」
「俺は目の保養にはならないから」
「そりゃ、自分で自分は見れないからだよ」
 中戸さんの口調からは、お世辞なのか本気なのか分からない。木曽さんはちょっと照れたようにはにかんだ。ぷっくりとした頬が赤く染まる。その顔はお世辞にも目の保養になるとは言い難かったけれど、和み系という言葉には頷けないでもない。
 それから中戸さんは、ステージの前でファンらしき女性とにこやかに話しているヴォーカルに顔を向けた。
「でも、今度の人かっこいいじゃん。それに俺、歌の良し悪しってよく分かんないけど、あの声は木曽さんたちの曲に合ってる気がする。蕪木が惚れ込んで関西まで追っかけてったのも分かるよ」
「妬ける?」
 そう訊いたのは、エスカレーター脇の柱を利用してサインをしていたラギだ。サインペンを握った手を止め、ちらりと中戸さんを見やる。しかし、中戸さんはステージの方を見たまま、
「別に。俺、歌の才能欲しいと思ったことないし」
「そこじゃねーんだけど」
 ラギはボソリと呟くと、サインをし終えたCDを持って、長机の方へ歩いて行った。
「たしかにセイは才能あると思うよ。ルックスもいいし。あいつだけならメジャーの話もあったんだ、今までも」
「へぇ、すごいね」
 木曽さんの話に、中戸さんが感嘆の声を漏らした。
 セイというのがヴォーカルの名前らしい。歌はほとんど気にしていなかったが、よく通る声はしていた。でも、存在感だけでいけば、あのヴォーカルよりもラギのギターの方が上だと思ったのだが。
 犬飼も俺と同意見だったのだろう。
「あたしにはラギさんのギターの方が印象的だけどな」
 ぽつんと言った。その言葉に、木曽さんが初めて俺たちに気付いたように目を向けてきた。中戸さんが簡単に木曽さんへ俺たちを紹介すると、彼は「昨日も来てくれてた子だよね」と、嬉しそうに犬飼を見た。
「ラギのギターは良くも悪くも野心の塊だからね。今は俺たちの中で一番音が前に出てるかもしれない。でも、セイがその気になったら、俺たちの演奏じゃ勿体無いくらいの歌い手になるよ、きっと」
「そうなんですか?」
「たぶんだけどね」
 まさかと言いたげな犬飼の問いに、木曽さんは少し寂しげに頷いて、ラギやセイのいるステージの方を見遣った。二人はそれぞれに、お客の女性と握手をしている。
「セイにとってバンド活動は、学生時代の思い出作りくらいのものなんだ。それなのにレコード会社がセイにだけ声を掛けて来る。顔が良いせいもあるんだろうけど、見込みあるってことだよ。ま、だから俺らも向こうに拠点移したんだけど」
 どうやらセイというヴォーカルは俺と同い年で、関西の大学に通っているらしい。その彼と組むために、ラギや木曽さんは関西に住まいまで移したというのだ。俺は少なからず驚いたし、木曽さんも多少の躊躇いがあったと語ったが、ラギにはなんでもないことのようだったそうだ。中戸さんとの同居(同棲?)を解消したのも、セイを追って関西に行くためだったらしい。
 中戸さんとラギがどういう関係だったのか、正確なところなんて分からない。でも、ラギの言い回しから推すに、ただの友人だったはずがない。その関係をぱきっと断ち切り、大学まで簡単に辞めてしまえる信念と行動力に、俺は少なからず感嘆した。それくらい本気で、ラギはバンド活動に取り組んでいるのだろう。
 そういう真剣に打ち込めるものを持っているラギは、中戸さんからはどう見えていたのだろう。自分が空っぽだという彼からは。ひょっとしたら、ものすごく眩しく映ったんじゃないだろうか。
 木曽さんはもともとフリーターだったので、学校や会社を辞めることはなかったらしい。それでも、ラギに付き合って関西まで行ったのだから、やはり彼を認めているのだろう。
「ラギは見る目だけはあると思う。グンちゃん引っ張って来たのもラギだったし」
 そう言った彼の言葉には、信頼の二文字が見え隠れしていた。
「俺は別だよ。使えなかったじゃん」
「そうそう、グンのヴォーカルは失敗だったよな」
 いつの間に帰ってきたのか、首をすくめる中戸さんの頭を、ラギがわしゃわしゃと掻き混ぜた。
「中戸さん、バンドのヴォーカルやってたんですか!?」
 思わず声を発したのは俺だった。中戸さんがバンドって、意外な気がしたのだ。
「繋ぎにね。蕪木にどうしてもって頼まれて。俺、歌なんてダメだから、次の人が見つかるまでって条件だったんだ」
 好意を断るとか拒否するといったことを苦手としている人だとは思っていたが、まさかそんな依頼まで断れずに受けていたとは。
「失敗って、中戸さんオンチなの?」
「いや、音痴ってわけじゃねーんだけど」
 俺同様、驚きを隠せない様子の犬飼に、ラギは言葉を探すように顔を顰めた。
「自分のスタイルみたいのがないんだよな。こいつ、譜面や伴奏じゃメロディ取れなくて、誰かが一度歌ってやらなきゃ歌えないんだけど、その歌った奴の歌い方そのまんまでしか歌えないんだよ。うまい奴がデモを作ればうまく歌うし、下手な奴が見本を見せれば下手になる。しかも、歌い方の癖までそのまま完コピしちまうんだ」
 CHARAの『Junior Sweet』を歌わせた時はケッサクだったと、ラギと木曽さんは笑いあった。中戸さんは、あの曲に、他にどんな歌い方があるのかとむくれ、犬飼はあの曲を? と大笑いした。俺はそれがどんな曲なのか分からなかったが、CHARAといえば、特徴的な歌い方をする女性歌手だったような気がする。時に叫ぶように、時に囁くように、女性というより女の子らしい甘い声で歌い上げる歌い手ではなかったか。あれを男の声でっていうのは、たしかに笑えるかもしれない。
「こいつには感性ってのが足りないんだよな、きっと。身体は感受性の塊みたいな反応す……って、痛ぇ!」
 ひとしきり笑って、再び中戸さんの頭に手を遣ったラギの言葉は、またしても中戸さんによって途中で断たれた。中戸さんが自分の頭に乗ろうとしていたラギの手を掴んで、軽く捩じったのだ。
「てめ、マジでギター弾けなくなったらどう責任取ってくれんだよ!?」
「自業自得だろ。それより蕪木、今度パソコンのメールアドレス教えろよ。俺の感性の集大成みたいなウィルス送ってやるから」
 捩じられた手首をさすりながら喚くラギに、中戸さんは満面の笑みで返す。そんな二人を一歩下がって眺める木曽さんは、「相変わらずだなぁ」と、また親戚のおじさんが甥っ子達のじゃれ合いを慈しんでいるかのように目を細めた。それから懐かしそうに、
「でもグンちゃん、可愛かったよなぁ。今も可愛いけど。俺、未だに成人式ライブの写真持ってるよ」
「げぇ。さっさと捨ててよ、あんなの」
「いや、あれはラギへの切り札として持っとかないとね。あいつが我がまま言い出したら、あの時のキモイ振袖写真をネットに流すぞって脅すことにしてるから。グンちゃんいなくなって手ぇ焼いてるのよ、うちのラギには。そういう意味でも役に立ってくれてたよ、ホント。グンちゃんの存在の偉大さを、今更ながらに痛感してます」
「あ、役に立ってたって、そっちか」
「どういう意味だよ!?」
 得心したように頷く中戸さんに、ラギが食って掛かる。それに対して、中戸さんと木曽さんは「そういう意味だよ」と声を揃えた。
 たむろす俺たちにチラチラと視線を投げながら、高校生くらいの男の子三人組が向かいの靴売り場に入っていく。「昨日、古典のカワシマがさぁ」「ああ、あの薄らハゲ?」などという会話が、断片的に耳に入る。同じ時間や情報を共有した者だけが分かり合える会話だということに変わりはないのに、俺は中戸さんたちよりもその三人組の方が遥かに近しく思えて。
 振袖写真って何ですか? と興味津々に会話に入っていく犬飼とは対照的に、俺は、彼らのやり取りをアナログ放送のテレビでも見ているような心持ちで眺めていた。












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