リフレイン 02

 中戸さんも、ラギの旧友たちにまで口止めはできなかっただろう。ラギや木曽さんにだって、その場の全員の話の内容にまで気を配る余裕はなかったはずだ。
 中戸さんにご執心の犬飼はさぞがっかりしたことだろうが、俺には特に害はないだろうからまぁいいや、と思っていたら、木曽さんがまた妙に鋭いところを見せた。
「あ、他の人からも漏れてないから安心して。ラギは女癖悪かったから、大学の友達なんて最終的にはグンちゃんくらいしか残ってなかったし。セイの前にうちの正式なヴォーカルだったカイチって奴も、ラギが彼女を寝取ったから出てったんだ。それでラギが繋ぎで連れてきたのがグンちゃんだったんだけどね、当時グンちゃん別の彼氏と同棲してたのに、そのグンちゃんまでラギが寝取っちゃって。グンちゃんの元彼、学校辞めたらしいよ」
「そう、なんですか」
 中戸さんは男ですよ、というツッコミは、おそらく通用しないのだろう。
「あいつのは半分ビョーキ。カイチの前も、ラギの女癖のせいで何人か辞めてるしね。だから昨日も、ほとんど俺の友達とか、あいつの仲間でもグンちゃんのことまでは知らない奴ばっかだったんだ」
 木曽さんは紙ナプキンを一枚トレイに広げると、ざらざらとポテトを出した。一本口に入れ、俺にも勧める。
「もちろん、犬飼さんにも手は出させなかったから安心して。グンちゃんもかなり怖いこと言って脅してたみたいだし」
 またギターを弾けなくしてやるとか言ったのだろうか。俺は苦笑した。
「ありがとうございます」
 気の優しそうな木曽さんに二つも嘘を吐くのは心苦しい気もしたが、俺のためと信じて尽力してくれたであろうことを考えると、犬飼のことなどなんとも思ってないと正直に言うのも気が引けた。
「まぁ、いくらラギでも犬飼さんみたいなガードの堅そうな子を一晩でどうにかってのは無理だから。でも、きみが好きなのは、犬飼さんじゃなくてグンちゃんだよね」
 木曽さんはアイスティーを吸い上げていたストローから口を離すと、あっけらかんと言った。女優やアイドルの話でもしているみたいに。
 この人、実は読心術のエキスパートか何かか?
 俺は動けなくなって彼を凝視した。もともと何の動作もしていなかったので被害は何もなかったが、何かを口に入れていたら、漫画みたいにむせるかこぼすかしていたかもしれない。
「何で分かったのかって? だってきみ、俺がグンちゃんにハグした時、すごい顔して俺のこと睨んでたから」
 そうだっけ? そうかもしれない。というか、そうだった。
 一昨日、久しぶりに中戸さんと再会した木曽さんは、その大きな腕に中戸さんを収めて喜びを表現した。たしかにその時、俺はこの熊のような人を蹴りあげたいと思ったはずだ。ラギが実際に蹴りを入れた時にはスカッとした。
 木曽さんに他意がないのは、そのあとのやり取りですぐに分かったのだが。
「すいません……」
 蹴飛ばしたいと思ったことも見抜かれているかもしれない。俺は申し訳なくなって謝った。
「あはは。素直だね。いいよ別に。ラギで慣れてるし」
 慣れているということは、ラギが怒ることを承知で、毎回やっていたということだろうか。バンド内の人間が男同士で付き合っていても鷹揚に受け入れていたようだし、よく分からない人だ。
「あ、ラギは気付いてないから安心して。あいつ単純だから、グンちゃんの言ったこと信じ切ってるよ」
「そうですか」
「あいつが知ると何するかわかんないしねー」
 木曽さんは、俺が怖気立つようなことを楽しげに言う。
 ラギには一昨日すでに、中戸さんと同居しているというだけで、首のひとつも締めあげてやりたいなどと物騒なことを言われていた。おいしい思いのひとつでもしているならともかく、日夜欲望を押さえて紳士に(?)接している潔白な身で痛い目に遭わされたのでは、割に合わないことこの上ない。
「一応、別れてるんですよね? あの二人」
「うん、そのはずだけど。ラギは今大阪に彼女いるし。でも、あいつそういうのあんま気にしないからなぁ」
 こと女性に関しては、自分のものは自分のもの、他人のものも自分のもの、というジャイアン理論の持ち主だという。
 でも中戸さんは、いくら綺麗な顔してても男ですよというツッコミは、当然ながら通用しないと思われる。
 が、今度はちょっと突っ込んでみた。
「ラギさんには、中戸さんも女の人に見えるんでしょうか」
「うーん。どうだろ。最初の頃、女みたいでキモイって言ってたから、案外そうかも」
「キモイ?」
「うん。ラギの奴、グンちゃんのこと毛嫌いしてたんだ」
 毛嫌いとはまた極端な。中戸さんに対し、所有欲を丸出しにしたような態度を見せる今のラギからは考えられない話だった。
「今じゃラギの方がべったりに見えるけど、初めはホモなんて気持ち悪いって言って喋ろうともしなかったんだよ。自分が無理矢理連れてきたくせに、バンドの説明なんかは全部俺たち任せで。グンちゃんよく引き受けてくれたと思ったよ」
「それなのにラギさんは……」
 中戸さんを元彼から寝取ったというのだろうか。
「今考えると、グンちゃんに惹かれるのが怖かったんだろうね。ほら、ホモフォビアって、自分がそうなるかもしれないっていう思いが強い人であることも多いっていうし。とはいえ、他の男に興味を示したことはないから、やっぱり女の子に見えてるのかもねー」
 木曽さんはポテトを摘まみながらもふもふと笑った。
「でも、今のヴォーカルの人を追って行くのに大学まで辞めたって……」
 木曽さんたちのバンドは、元々はこの街を拠点にしていたのだが、ラギが現在のヴォーカルを気に入って、彼の住む関西に移住したと聞いていた。
「それはまた別の興味だから。セイの声には間違いなく惚れ込んでると思うけどね」
 しかし中戸さんのことを嫌っていたならば、ラギは何故バンドに引き入れたりしたんだろうという疑問が湧いた。俺はてっきり、中戸さんを傍に置きたいから、無理にでも引き入れたのかと思っていたのだ。それが、バンドに入れてからしばらくは嫌っていたとは。
 一昨日聞いた話では、中戸さんの声質や歌唱力を買っていたわけでもないらしい。
 俺がその疑問を口にすると、木曽さんはあっさりと顔がいいからだと言った。
「ヴォーカルだから顔の良い方がいいだろうってラギが」
 ライブが差し迫っている時期にラギのせいでカイチというヴォーカルが抜けてしまい、困った木曽さんたちは、カイチに謝罪して説得できないなら誰か代わりを連れて来いとラギに迫ったそうだ。そこでラギが連れてきたのが中戸さんだったという。
「心当たりがあるっていうから、てっきり音楽関係のツレかと思ったら、ただの大学の同期で、まともに話したこともなかったっていうからびっくりしたよ」
 ラギについて引っ越しまでしたのだから、木曽さんとラギはさぞや長い付き合いなのかと思っていたら、そうでもないらしい。たまたま郷里が一緒だったので話が盛り上がり、組むようになったのだが、年齢も違うので、お互いの交友関係はほとんど知らないということだった。
「だから、俺は未だにラギに彼女を取られずに済んでるんだ」
 木曽さんは得意気にそう言ったが、彼女は郷里にいるということなので、ラギが帰省でもしたら危険なのではないだろうかと思った。まぁ、余計なお世話だろうから言わないけど。
「きみはどうなの?」
 しばらく黙々とポテトを咀嚼していると、突然木曽さんにそう訊かれた。何がですか? と高い位置にある顔を見上げる。
「グンちゃんのこと、女の子に見える?」
「見えません」
「即答だね」
 木曽さんは、顔の大きさのせいで小さく見える目を丸くして驚いた。
「もしかして生粋の?」
 ゲイなのかということだろうか。
「……や、違います」
 俺は中戸さんと住むまで、真衣という年上の女性と同棲していた。
「でも好きなんだ?」
 二人掛けのソファに窮屈そうに座る木曽さんは、そのガタイに反して不思議なほど威圧感を感じさせない。それでも俺は、強く否定することもできなくて、「たぶん」とうな垂れた。
 中戸さんが木曽さんに抱きつかれたり、ラギに中戸さんとの蜜月を匂わせるような話を聞かされたりすると、胸がむかむかして中戸さんの腕を掴んで帰りたくなった。それはきっと、嫉妬と呼ばれる感情から来るものなのだろう。
 でも正直なところ、俺には男性である中戸さんと、ラギみたいな付き合い方ができるのかどうかはよく分からなかった。
 分かっているのは、中戸さんが俺とそういう付き合いをすることは望んでいないということだけだ。
「それを確かめるために、俺に声を掛けたんですか?」
「ううん。そうじゃないんだけど」
 木曽さんは言い淀むように店内を見渡した。パーティションで区切ってあるので、他の客の顔はあまり見えないが、若い女性客がはしゃいでいるような声はあちこちから聞こえてくる。窓際のカウンター席に座る女子高生らしき後姿は、奥に座る俺たちからも見えた。
 木曽さんの視線を追うと、ガラス戸一枚で隔離された喫煙室を見、窓際のカウンター席とその横のトレイ返却口を見、最後に店の中央辺りにある柱を見てからポテトに戻った。柱には、学校の教室にあるような時計がかけてあった。
「誤解されないように先に言っておくけど」
 やっぱりただ時間を潰したくて俺の肩を叩いたわけではないらしい。俺は木曽さんの言葉を待った。
「俺もグンちゃんは好きだよ」
「はぁ」
「でも、きみはグンちゃんといない方がいいと思う」












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