リフレイン 03

「えー……っと、」
 俺はどこに誤解する余地があったのだろうと考えながら、失礼になるかもしれないのを承知で訊いてみた。
「それは、木曽さんは中戸さんを好きなので、俺には中戸さんと住んでほしくないと思っているということでしょうか」
 中戸さんに惚れている男であると分かった以上、傍に置いておきたくはないということだろうか。
 しかし。
「あ、あー! そう取られちゃったか!」
 木曽さんはしまったというように額に手を当てた。違うんだ。そうじゃなくて。
「きみのためにもそうした方がいいって話なんだ」
「どういうことですか」
 眉根を寄せる俺に、木曽さんはアイスティーで口を湿してから言った。
「俺たちが向こうに行ったのは、たしかにセイをヴォーカルに迎えるためだったけど、本当はそれだけじゃないんだ」
 木曽さんの口調は一転して、思いつめたような深刻なものになっていて、俺は固い椅子の上で、居住まいを正した。
 ラギが関西在住のセイをヴォーカルに据えるために拠点を変えると言い出した時、現在は脱退しているドラム担当のゾッチさんという人は焦りを感じていたこともあり、一も二もなく賛成したが、木曽さんは決して諸手を挙げて賛成したわけではなかったそうだ。
 セイの声は木曽さんもバンドに欲しいと思った。でも、成功するかどうか分からないバンドのために、ラギに大学中退までさせるわけにはいかない。
「俺は他を探そうって言った。ゾッチには悪いけど、セイを入れたところでゾッチのタイムリミットまでにメジャーデビューが決まるとは思えない。だから、どうしてもセイと演りたいなら、ラギが大学を卒業してからにしようって」
 ゾッチさんは、二十八歳までにメジャーデビューできなければ、家業を継がなければならないことになっていた。
「そうしたらラギが、俺のうちに来て言ったんだ。自分はここにいたらダメになるって」
 ――俺はここにいるわけにいかない。本当はセイのことも口実なんだ。分かってるんだ。このままだと俺は壊れる。俺は……。
「グンちゃんを殺しちゃうかもしれないって、ラギは言った」
 さっきまで悪かったエアコンの効きが、急に良くなったような気がした。
「普通、そんなこと言われたって、冗談と思って聞き流すよね。それこそ学校を辞めたいから言ってるだけじゃないかって」
 でも木曽さんには、ラギの言葉を全面的に信じないまでも、冗談だと流してしまえない経緯があった。その半月ほど前から、ラギが頻繁に泊まりにくるようになっていたのだ。
 ラギは、木曽さんと曲作りをしていてそのまま帰らないこともあれば、夜中に突然やってくることもあったという。夜中に来る時のラギはいつも蒼白になっており、木曽さんがいくらどうかしたのかと訊いても、「何でもない」としか言わなかった。
 ラギの頑固さを知っている木曽さんは、無理に問い質すことはなかったが、何かあるとは思っていた。だからこそ、ラギがこのままでは中戸さんを殺してしまうと言い出した時、笑って流せなかったのだ。
「夜中にうちに来たような時、やっぱり何かあったのかって問い詰めたら、ラギはグンちゃんの首を絞めてたって言ったんだ。喧嘩してたわけでもないのに、ただ一方的に、ラギがグンちゃんの首を絞めてたって」
 俺は自分の喉に閉塞感を覚えた。気道が通っているか確認したくなって、ストローを口に含む。吸い上げられてきたコーラは、咽喉で弾けながら、ゆっくりと食道へ流れていった。
 ラギはいつも、我を失って中戸さんの首を絞め、その喘鳴に正気に返ると、中戸さんが息をしていることを確認して、逃げるように部屋を出てきていたらしい。
 きみは聞きたくないようなこと言うけどごめんね、と間にはさんでから、木曽さんは続けた。
「最中に、どうしても他の男とやったってことがチラつくんだって」
 ――他の奴にもこんな顔見せたのかとか、こんな声聞かせたのかとか考えちまってどうしようもなくなるんだ。だったらやらなきゃいんだけど、あいつといたら我慢なんかできねーし。
 今までこんなことなかったのにと、ラギは木曽さんに泣きついた。
 ――俺と付き合うまで、あいつがいろんな男とやってたのも承知してた。でも、今までは気にしたことなかったのに。
 急に気になり出したのだと、ラギは言った。女に浮気されても、こんな風になったことはないのに、と。
 きっかけは、中戸さんの浮気だった。
 クリスマス頃に帰省していたはずの中戸さんが、イブにはこの街に戻って来ていて、しかもその日だけで何人もの男と関係を持っていたことをラギが知ったのだ。ラギが知った時にはもうイブからひと月以上が経っていたが、彼は激昂し、中戸さんが気絶するまで殴ったらしい。
「ラギって自分も平気で浮気する代わり、彼女が浮気しても割と鷹揚に構えてる奴なんだ。それがどうしても気に障る時は、あっさり別れる。だから、ラギから『グンを殴り殺したかもしれない。どうしよう』って電話をもらった時には珍しいなとは思った」
 ラギはかなり錯乱状態だったようだが、木曽さんは電話越しということもあり、落ち着いていた。彼らの部屋に駆け付け、実際に中戸さんの惨状を見た時には絶句したが。
 ただその時は、ラギはひょっとして、今まで相手が女の子だったから腹を立てても手をあげていなかっただけなのかもしれないと思ったそうだ。気性の激しいラギのことだから、男相手ならこれくらいやっても不思議はないと。
 一緒に住む上で、ラギが中戸さんを女性のように見ていることは木曽さんたちも分かっていたが、だからと言って、ラギが普段から中戸さんを女性扱いしていたわけではない。木曽さんたちの前では、過度なスキンシップや独占欲を垣間見せることはあっても、女性の恋人相手の時とは違い、男友達とそう変わらない態度を取っていた。
 中戸さんもゲイだとは聞いていた――実際はバイだが、ラギはゲイだと思っていたようだ――が、木曽さんたちの想像するゲイとは違い、男に媚びるようなこともなければ女性的な言動が常ということもなかった。
「それまで知り合いにゲイの人なんていなかったから、偏見もあったんだよね」
 隠してるだけって人ならいたかもしれないけど、と木曽さんは付け加えた。
「とにかくグンちゃんは、可愛い顔しててもちゃんと男の子に見えた。だから、ラギも恋人相手っていうより、男相手の喧嘩みたいになっちゃったんだと思ったんだ」
 中戸さんを殴り倒してからしばらくは、ラギもやりすぎたと反省したのか優しくしており、二人はそれなりにうまくいってるように木曽さんには見えた。ラギは蒼い顔をして夜中に訪ねてきても翌朝にはケロリとして帰っていったし、当時はほぼ毎日顔を合わせていた中戸さんにも変わった様子は見られなかった。
 中戸さんはよく分からないが、ラギは元来、ギターの腕を酷評されて落ち込んでも、一晩寝れば忘れるようなあっけらかんとした性格だ。そのせいで腕が上がらない部分もあると思う、とラギが聞けば飛び蹴りされそうなことを木曽さんは言ったが、そんなだからこそ、あの一件がラギの中でずっと尾を引いていたなんて、木曽さんは思ってもみなかった。
「その頃は三日に一度くらいの割合で、ラギがうちに来るようになっててね、俺はラギの言ってることがどこまで本当なのか、グンちゃんの首を見てたしかめることにしたんだ」
 冬場ということもあり、中戸さんはいつもハイネックを着ていたので、首は露出していなかった。もしラギの言うとおりなら正直に見せてくれと言っても無理かもしれないと思った木曽さんは、不意打ちでセーターの襟首を引っ張った。
「ちらっとだけど、それらしい傷が見えた。喉仏のあたりにね、爪が食い込んでついたような痕がいくつか見えたんだ」
 皮膚の色も、薄っすら変わっていたかもしれないという。
 だから一昨日、中戸さんの傷一つない首筋を見て、木曽さんは心の底から安堵したそうだ。
「ラギからグンちゃんはほとんど抵抗しないって聞いてたから、俺はグンちゃんに、どうして抵抗しないんだって問い詰めた。カヴァー曲の練習にってカラオケ屋に連れてってね。そうしたらあの子、そういうプレイかと思ってたって」
 隣の部屋には女子高生らしい三人組がいて、人気女性歌手の曲を歌っているのが聞こえていた。
 ――ラギがその方が気持ち良いんなら、それでいいかって。相手の首絞めないとイけない人、たまにいるでしょ。
 あけっぴろげで年上を年上とも思わないような態度のラギとは違い、可愛い弟分に見えていた中戸さんの生々しい発言に、木曽さんは別人を見る思いがした。中戸さんは成人した大学生だったが、隣であけすけな歌詞の楽曲を歌っている女子高生に言われた方が、まだ驚かなかっただろう。
 ラギは木曽さんのうちに逃げ込むと、無事かどうか必ず連絡しろと中戸さんにメールを送っていたようだ。朝になるとラギがケロッとしていたのは、中戸さんが毎回『大丈夫だ』と返信していたからだった。
 ――それにしたって、グンちゃんだって苦しかっただろ? そんなの許してたらダメだよ。
 木曽さんは動揺しながらも諭すように言い、あれはプレイでも何でもなく、ラギがまだ浮気のことを気にしているのだと教えた。すると中戸さんは、他人事のように笑ったそうだ。
 ――それじゃ苦しくても自業自得だよ。ラギの気の済むようにしてもらうしかないんじゃない?
 首に痣をつけられても笑っていられる神経に、木曽さんは呆れとも畏れともつかない感情を覚えた。さっきから対峙しているこの子は誰だ?












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