疑惑 その3 01

 太陽は燦々と輝き、外界を清清しく照らしているというのに、俺は薄暗い部屋で電子の光に照らされていた。三限が休講になったので、コンピュータールームで明日提出のレポートの作成をしていたのだ。なにがなんだか分からないままに文字を入力する。作成なんて半分嘘で、実は丸写し。卑怯だと思われるかもしれないが、事は緊急を要する。課題が出たのは一週間前だが、俺は今週、夜は夜勤かマンションに帰らないために泊ったバイト仲間の部屋でウノと花札に興じさせられ、ロクに寝る暇もなかったのだ。一から文章を組み立てる暇なんてもっとなかった。レポートと、飯の種&宿無し及び失恋の危機回避を天秤にかければ、誰だって後者二つが優先されるだろう。ということで、苦境に立たされた気の毒な貧乏学生を助けると思って、ここは目を瞑っていただきたい。
 丸写しとはいえ、色気も素っ気もないワード画面に向かって一言一句違わぬよう文字を刻み続けていると、だんだん疲れが出てきた。頭を使わなくても、動かしているのが指先だけだとしても、身体は疲労する。
 俺はキーボードから手を離して、椅子の背もたれに身体を預けた。ジーンズのポケットに入れていたものを取り出し、パソコンのディスプレイの前に翳す。
 それは薄い銀色の指輪だった。傷だらけな上薄汚れてもいるが、重すぎない質感と一箇所にだけ配された石の輝きが、そこらの露天や雑貨屋で売っている安物ではないぞと主張している。そんな高貴な雰囲気を纏ったものが、なぜうちの植木鉢の土の中に入っていたのか。箱ごとというならまだしも、おくるみよろしくたった一枚の薄布に包まれただけの状態で。
 やっぱ安物なのかなと石の部分を指で弾く。石は当然のことながら、抗議もしてこない代わりに「ガラスですよ」とも「そうじゃないですよ」とも言わなかった。
 横倒しにした晴れの天気記号が等間隔に配され、中心の天気記号にだけ光る石がはめ込んである派手なんだかシンプルなんだかよくわからいデザイン。そして内側には、英語ではなさそうな意味不明の文字列と『 TtoG 』の文字彫。俺はふと思いついて、その文字列を眼の前のパソコンでネット検索にかけてみることにした。
 ディスプレイに IE を起動させて、ホームに設定されていたグーグルの検索バーに文字列をタイプする。傷のせいで読み取りにくいが、たぶん合っているだろう。少し考えて、『日本語訳』と付け加えた。どう考えても日本語じゃないもんな。しかし、検索結果を見ても、意味は分からなかった。
 次に、『透』『植物』で検索をかけてみた。この指輪は、同居人が『透』と呼ぶ観葉植物の鉢の中に埋まっていたのだ。結果、ヒットしたのは『透百合』。すかしゆり、と読むらしい。が、その華やかな姿は、うちの朴訥な『透』とは似てもにつかなかった。そもそも『透』は、花をつけたことがない。
「やっぱこのTが……」
 『透』なのだろうか。 G は十中八九我が同居人、中戸群司。とすると、中戸さんが『透』から貰った指輪を植木鉢の中に埋めたのだろうか。
 もう一度ダメ元で内側の文字列を検索にかけていると、思わぬ人に声をかけられた。
「蒔田くん、何見てるの」
「わ、箱辺さん」
 箱辺さんは有川の彼女だ。有川、及び中戸さんと同じサークルに属し、有川をその一見小さな尻の下に敷いて、思いのままに操っている。最初に会った時は、もっとおくゆかしくか弱い感じだったのに。それもこれも、きっとあのサークルに問題があるのだろう。あそこのサークルは、変態の掃き溜めだ。女の子のいるところじゃないと思う。
「ラムール・サンセール?」
 箱辺さんが画面を見て呪文を唱えた。
「は? 何?」
 横から覗き込んでくる箱辺さんとは反対側に、少し身を引いて訊き返す。今まで有川抜きで彼女と接する機会がなかったので、なんだかどぎまぎしてしまった。
「ラムール・サンセールって、蒔田くんが入力してるんじゃない」
「これ、そう読むの? 何語?」
「フランス語。そんなことも知らないのに検索かけてたの?」
「ああ、どういう意味かと思って。箱辺さん、フランス語分かるの?」
「分かんないけど、第二外国語は仏語にしてるから、少しくらいなら」
「なんて意味?」
 箱辺さんは画面に顔を近づけて、きれいなアーチ型の眉を寄せた。
「ラムールが愛で、サンセールは英語の sincere と同じような意味だったと思うから、心からの愛、とか、誠実な愛。カッコ良く意訳すれば、真実の愛、ってところかな」
「真実の愛……」
 俺が呟くと、箱辺さんが今度は画面から俺へ顔を近づけてきた。
「なになに? まさかそんなこと書かれたラブレターでも貰った?」
「んなんじゃないよ。拾ったものに書かれてて、ちょっと気になっただけ」
 俺はキャスター付きの椅子ごと横へ退いた。有川が見たら泣きながら殴りかかってきそうだからやめてほしい。
「拾った物って? ネックレスとか指輪とか?」
「何でもいいじゃん。ただのがらくただよ」
「意味教えてあげたんだから、教えてくれたっていいじゃない」
 可愛らしくむくれられて、俺はしぶしぶキーボードの陰に隠れていた指輪を指差した。やっぱり指輪じゃない! と箱辺さんが声に喜色を滲ませる。しかし、内側を確認すると残念そうに、
「 TtoG ? ホントに蒔田くんが貰った物じゃないんだ?」
「だから拾ったって言ったじゃん」
「でもこれ、カルティエのラブリングじゃない? あー、でも、偽物かなぁ。本物ならこんな雑な扱いしないよね。一応、ロゴとシリアルナンバーはあるけど。本物なら十万は下らないもん。これダイヤ付いてるからもっとかな」
 箱辺さんは片目を瞑って鑑定でもするように触ったり翳したりした後、俺に返してくれながら言った。
「で、どこで拾ったの?」
「……植木鉢の中」
「植木鉢!? どこの?」
「……バイト先」






 いくら偽物でも、心からの愛とまで彫ってある指輪をファミレスの植木鉢に捨てるなんて許せない! と息巻く箱辺さんと別れて、俺はやんごとなき生まれかもしれない指輪を握ってサークル棟へ向かった。どこのサークルにも所属していない俺が、唯一出入りしている一室へと向かう。扉をノックすると、幸い会いたかった人物の声が返ってきた。
「どんぞー」
 が。
「あ、俊平くん? いらっしゃいー」
 引き戸を細く開けると、煙草を携帯灰皿に押しつけて消している入江先輩の向かいに、両手に紙コップを持った中戸さんが腰かけようとしているところだった。
「あのう、有川は? いないんなら帰ります」
 思わず用もない奴の名をあげ、回れ右して帰ろうとしたのだが。
「今いないけど、そのうち来ると思うからここで待ってれば?」
「そうしろそうしろ。ついでにうちのサークルに入ってしまえ」
 二人に揃って引き留められてしまった。
「中戸さん、学会聞きに行ってるんじゃなかったんですか?」
 中戸さんに勧められるまま彼の隣に腰かけながら問う。予定では、明日まで帰らないのではなかったか。しかし、中戸さんは平然と、
「うん、みんなはまだ残って観光してるけど、俺はバイト先の塾長から呼ばれたのと金ないのとで帰ってきた。これお土産」
 彼が指差す応接机の上には、つくば錦とラベルの貼られた吟醸酒が鎮座ましましている。俊平くんもどうぞと紙コップを渡されたが、俺はこの後まだ授業があるからと断った。しかも俺、日本酒とはあまり相性がよろしくない。
「昼間っから酒盛りですか」
「うちのサークルは、全国各地の酒を飲む、というのが本来の活動内容なのだよ」
 呆れる俺に、入江先輩が手酌で酒を注ぎながら言う。
「マジすか」
 ずっとこのサークルの活動内容が何なのか疑問に思っていたのだ。
 しかし。
「嘘に決まってんじゃん」
 俺にコーヒーを淹れてきてくれた中戸さんに一刀両断された。
「未成年いるのにそんな活動内容認められるわけないでしょ。でも、たしかに設立当初はよく飲んでたけどねー」
「設立当初?」
「俺らが一年の時にできたんだよ、ここ」
「そうだったんですか」
 そんな新しいサークルだったとは。それがたった四年足らずの間に二部屋ぶち抜きの部室に年季の入った高級ソファと応接机を置くまでに至ったのか。さすがは変態サークル。得体の知れない集団だとは思っていたが、どんな汚い手を使ったのか。
「最初のころ酒ばっか飲んでたのは、おまえが酒好きだったからだろ」
 入江先輩が紙コップを持った手で、中戸さんを差した。
「俺?」
「古川先輩がおまえを他のサークルに入れないように作ったようなもんだもんなー、ここ。ま、先輩自体、アルコール好きだったんだろうけど」
「古川先輩って?」
 そういえば、以前野間先輩の口からも聞いたことがあるような気がする。野間先輩の口ぶりでは、その古川という人も、俺たちが住んでいるあの部屋に住んでいたことがあるようだった。
「このサークルの創設者で、あの部屋の元の持ち主だよ」
「んで、グンジの元彼な」
「え、」








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