鏡写し 03

 中戸さんは幼い頃に両親を亡くしており、親戚の家で育てられた。籍にこそ入れてもらえなかったものの、養母には実の子も同然に接してもらっているそうだ。だが、養父は違った。彼は父親とは別の種類の愛情を養い子に注いだ。注いだというより、強要したのだと俺は思う。
 長年に渡って養父の欲情を受け止め続けていた中戸さんは、大学進学で養父母の家を出てからも、帰省するたびにおかしくなる。戻って来る途中で自失状態になり、誰彼かまわず抱いてくれと縋るのだ。
 栗城が寝てしまい、一人でこの映画を観ている時、俺は途中から榎津が中戸さんに重なって見えて仕方なかった。目的は違っても、俺には二人が同じことをしているように思えたのだ。まるで鏡写しのように。
 一見、金のために人殺しを重ねているような榎津は、実は叶わぬ父親殺害を他人で代用しているのではないか。殺しても殺しても本当に殺したい人は生きている。だから、殺人を重ねてしまう。
 だとしたら、中戸さんが帰省するたびに誰彼となく寝るのは、何人もと身体を重ねようとするのは。中戸さんが本当に抱かれたいのは――。
 そんな考えが、打ち消しても打ち消しても滲み出てきてどうしようもなかった。
 そんなことはあり得ないと思う。思うけれど、一度形になったどす黒い不安は、なかなか消えてくれそうにはない。
 でも、万が一俺の想像が当たっていたとしても、中戸さんはそのことに自分では気付いていない可能性がある。だったら絶対に気付かせたくはなかった。そのためにも、俺は彼にこの映画を見せたくなかったのだ。
 ブラウン管の中で、父親に「あんたを殺せばよかった」と告げる榎津を、中戸さんは缶ビールの飲み口に唇を押しつけるようにして見つめていた。






 映画が終わって栗城が風呂に入りにダイニングを出て行くと、中戸さんが謝って来た。
「今日はごめん。ふざけすぎた」
 どうやら、まだ抱きついてきたことを気に病んでいるらしい。反応に困るので、忘れてくれてて良かったのだが。
 俺はぶっきら棒に「もういいです」と応えた。中戸さんに顔を見られないよう、テレビ台に取りついて、ビデオデッキを操作しながら続ける。
「もういいっていうか、俺別に怒ってないですから。呆れはしたけど。怒鳴ったのは栗城がぶっ倒れて動転してたからで。……すいません」
「俊平くんが謝ることないよ。栗城が倒れたこと自体、俺があんな化け物顔近づけたのが原因だし」
「その点はおおいに反省してください」
 化け物顔と思っているわけではもちろんない。中戸さんの場合、女装しても化け物に見えないからこそ反省してほしいのだ。男のままでも男女問わず惹きつけてくるのに、あんな格好で男に顔を近づけて歩いてたら、何人の馬の骨をくっつけてくるか分からない。
 テープの巻き戻しが終わったので取り出して振り向くと、中戸さんが手を差し伸べてきた。ビデオのパッケージを持っているから、テープを渡せということだろう。案の定、テープを彼の手に乗せると、パッケージにしまってくれた。
「栗城、何か言ってました?」
 テーブルに移動して残っていたビールで頭を麻痺させながら、それとなく訊いてみる。自分がいない間に二人がどんな会話を交わしたのか、ずっと気になっていたのだ。詮索なんかするもんじゃないとは分かっている。分かっているから、アルコールの力を借りている。
 内心変に思われるんじゃないかとどぎまぎしていたが、中戸さんは都合良く勘違いしてくれたようだ。
「女装のことは何も言われなかった」
 ま、言いにくいよな、と苦笑する。
「でも、面白い子だね」
 中戸さんは自分も新しい缶を持って俺の向かいに腰かけながら、俺の知りたかったことを話してくれた。
「『どうしたら女子にもてるんですか?』って訊いてきたから、『もてるツボがあるんだよ』って言ったら、『蒔田を下僕に差し上げますから教えてください』だって」
「そんなのあるんですか」
「あるわけないじゃん。たとえあったとしても俺は知らない」
「じゃあ、嘘教えたんですか」
「まさか。『もれなく男もついてくるけどいい?』って言ったら『遠慮します』って。でも、俊平くんは下僕にしていいって」
 からからと笑って中戸さんはビールの缶を煽ったけれど、俺は笑うどころじゃなかった。
「あの野郎……」
 何を言ってるんだ、あいつは。たとえ主人が中戸さんでも、下僕なんて嫌だぞ俺は。……いや、まぁ、この人がどうしてもって言うなら考えないこともないこともないこともないかもしれないが。でも、少なくとも栗城が俺のこんな内心を知るはずはない。
 勝手なことをと悪態を吐く俺に、中戸さんは何を思ったのか、「本当に仲良いんだね」と微笑んだ。どこがですかと言おうとして、ここを出て行こうとした時、栗城を紹介すると言っていたことを思い出し、踏みとどまった。
「よく泊まりにも行ってたんでしょう?」
「え、ああ、まぁ」
 中戸さんは楽しそうに訊いてきたが、俺の返事は曖昧になってしまった。
 俺が最近栗城の部屋によく泊まっていたのは本当だ。でもそれは、個人的に中戸さんと顔を合わせ辛かったからだった。
「また、うちにも呼んでいいから」
 そう言われて、どきりとした。
「栗城を、ですか」
 もしかして、中戸さんは栗城を気に入ったのだろうか。俺は一瞬、二人を引き合わせるんじゃなかったと悔悟した。
 しかし、中戸さんはビールをグビリとやって、「栗城に限らず」と続けた。
「栗城じゃなくても、友達呼びたかったら、俺に気兼ねせずに呼べばいいから。俊平くん、今まで有川くらいしかうちに友達連れてきたことないでしょ。俺の知らない子でも、どんどん連れてきていいからね。ここは俊平くんの部屋でもあるんだから」
 飲みすぎたのだろうか。胸のあたりがしびれてくるのを感じて、俺は飲みかけのビールをテーブルに置いた。
「ありがとう……ございます」
「友達泊めていいかって訊かれた時、ちょっと嬉しかったんだ。俊平くん、いつも俺に遠慮してるみたいだったから」
 中戸さんのはにかんだような笑顔は、直視できなかった。
 礼は言ったが、俺は肚の中で、もうこれ以上他の奴を連れてくるのはやめようと考えていた。ここに人を呼んで、そいつにこの笑顔を見せてやる機会を自分で作るなんて、自虐行為も甚だしい。独占できないのだから、せめて自らの手では広めずにおきたい。
 俺はテーブルに置かれた『復讐するは我にあり』のビデオパッケージに目を落として言った。
「別に遠慮なんかしてませんよ。栗城んちに泊まるようになったのは最近で、あいつが彼女とうまくいかなくなってからですから。それまでは、学校やバイトが引けたら、彼女とべったりだったんですよ、あいつ」
 そのべったりが過ぎて、少し前、彼女に「もう少し自由が欲しい」と言われたそうなのだ。共にいることを強制していたつもりなどない栗城とっては心外な一言だった。学校が違い、バイトは同じでもシフトにズレのある二人には一緒にいられるオフの時間は貴重で、彼女もできるだけ一緒にいたいだろうと思い込んでいたらしい。
 それでも、そこまでなら栗城も俺に愚痴ったりはしなかった。もともと彼女とのことはそんなに語らない男だ。惚気ることもあまりない。それでもいつの間にか友人の輪を抜け、彼女との時間を作っていた。
 俺がよくツルんでいる有川などは、しょっ中彼女の話をしているけれど、その実、俺といる時間と彼女といる時間を比べたら、同じくらいのものなんじゃないだろうか。栗城は調子よく友人に合わせつつも、しっかり彼女優先で動いていた。少なくとも、時間的には。
 意思の面でも、彼女を尊重するようにしていたのかもしれない。栗城はその場で反論することもなく、それならしばらくお互い別行動しようと提案した。
 しかしその翌日から、バイト先に男が彼女を迎えに来くるようになった。それも明らかに学生ではない、サラリーマン風の大人の男。
 現場を目撃した俺や長谷川さんも、さすがに自分たちの目を疑った。見間違いでないと分かると、今度は栗城たちの破局を疑った。そして、どうなっているのかと問い詰める長谷川さんに、栗城は「訊きたいのはこっちだ」とこぼしたのだ。
「俺だって分かんねーよ。毎日これ見よがしに男に迎えに来させて、俺と別れたいのかって俺も訊いたさ。そしたらあいつ、あの人は俺たちの仲を壊すような人じゃないとか、俺が嫉妬するような相手じゃないとか、意味不明なこと言うんだもんよ。長谷川さん、同じ女だろ? これってどういうことか分かんね?」
 長谷川さんは「分からない」と答えた。そして後日、彼女にどういうつもりか訊いてくれた。しかし、回答はたったこれだけだった。
「とりあえず、別れる気はないんですって」
 栗城が「彼女を更新したい」などとぼやくようになったのはそれからだ。
 そんな経緯だから、俺も「二股かけたい」とか「乗り換えたい」という栗城の空疎な希望を聞いても、諫言する気にならないのだ。むしろ、そんな生殺しみたいな扱いを受けてもまだ女性と付き合いたいというバイタリティは尊敬に値すると思う。
 長谷川さんは俺たちに言った以上の何かを知っているようだったが、栗城の女の子を軽んじるような発言を聞いても、けん責するようなことはしなかった。ビデオを勧めてきたのは、栗城に無理にでも気晴らしをさせようという、彼女なりの気づかいだったのかもしれない。












inserted by FC2 system