待つということ 03

 まだ決まったわけではないと自分に言い聞かせつつも、一人で部屋にいると、よくない考えばかりが浮かんできた。
 昨夜は俺の記憶があるだけでも午前二時過ぎまで起きていたから、中戸さんはろくすっぽ寝ないで、キッチンやダイニングを片づけたのかもしれない。今頃、腹痛を起こしていないだろうか。吐き気に襲われていないだろうか。雑炊の残りももうなかったから、今朝は何も食べずに出たのかもしれない。まだ食欲は湧かないみたいだったけど、腹を空かせてはいないだろうか。そんな状態で実家に行ったら、今度こそ倒れてしまうんじゃないだろうか。
 一緒に暮らしていながら、また、彼の事情を知っていながら、中戸さんが胃炎になるまで気付かなかった自分を不甲斐なく思う。こうやって、あっさり出し抜かれた自分も。
 動けば気も紛れるかと思い、シーツを洗濯機で回す間に、便所を掃除してみた。しかし、気が紛れるどころか、便器を磨きながら思い出すのは、ここでえづいていた中戸さんで。今もどこかで苦しんでいるのではないかと気が気ではなかった。
 洗濯物を干していれば、少し前にベランダで笑っていた中戸さんがチラつくし、鍋を磨いていれば、吐き戻していた頃に、俺の作ったものを美味そうに頬張る姿が思い出されて、何も気づけなかった自分に地団駄を踏みたくなる。けれど、それらはまだいい方で、布団を干してみたら、今頃義兄たちの部屋に連れ込まれているんじゃないかと不安になり、風呂場を掃除していると、行為後、シャワーくらいは使う隙があるのだろうかなどと考えて、どうしようもない怒りと焦燥、それに自己嫌悪に襲われた。
 俺はたぶん、中戸さんが好きだ。
 それは、優しくて人気のある先輩への独占欲とか、特殊な生い立ちを持つ彼への庇護欲かと思うこともある。今まで他人に対してそんな感情を持つことがなかったから、これを恋だと勘違いしているのだろうと。友人の有川に言わせれば、俺は一緒に暮らしている手前、特別中戸さんに可愛がられている節があるようだし、成り行きとはいえ、中戸さんの過去を知っている他人は俺だけのようなのだ。でも俺たちは、親友では断じてないし、友達と言えるかどうかもあやしい。そういったある種微妙な位置づけで、しかも中戸さんがバイセクシャルだから、likeとloveが混同してしまうのだろうと。
 でも、こんな時、思い知らされる。
 中戸さんが誰かと肌を合わせているかと思うと、たまらなくなる。そこに気持ちがあろうとなかろうと、胸が妬け、腸は煮えくりかえって、どうにかなってしまいそうな気がする。それが無理矢理ならば、相手を殺してやりたいと思う。死ぬか死ねないか、ぎりぎりのところまで首を絞め、中戸さんが感じたのと同じだけの屈辱を味あわせてから殺してやりたい。ただし、中戸さん自身が望んでのことだったら、俺自身が死にたくなるかもしれない。
 中戸さんが他人と寝ていると考えるだけで、こんな絶望的な気分になるなんて、これはやっぱりそういう類の独占欲なのだろう。
 ただ、自分が男性体である中戸さんにそれを望んでいるかと問われれば、よく分からない。だから昨夜もおかしなことはしていないと思うのだが。
 家事の合い間にも何度か電話を掛けてみたが、本人が出ることはなかった。電源まで切られた時にはやはり何かやらかしたかと自分を疑ったが、その方がマシなような気もした。
 後を追おうにも、中戸さんの実家がどこにあるのかすら俺は知らない。以前聞いたことのある出身高校名から県名とだいたいの都市名はあたりがついたが、それ以上の住所は調べようがなかった。中戸さんの実家から送られてきた宅配の送り状はいつも俺が見る前に剥がされていたし、今回行くことになって詳しく聞こうとしても、「すごい田舎」としか答えてくれなかったのだ。新幹線から鈍行への乗換駅すら見当がつくかどうかといったところである。
 実家に直接電話をすることも考えた。マンションの電話機にも番号登録はされていなかったが、片っ端から履歴を調べれば分かるだろう。でも、実行することは憚られた。義母の柴森夫人が出てくれればまだいいが、義兄が出た場合、どんな呪詛の言葉を吐いてしまうか分からない。






 マンション備え付けの電話の音に気付いたのは、そろそろ布団を入れようかと掃除機のスイッチを切ったときだった。いつから鳴っていたのかと、深く考えずに慌てて出ると、聞き覚えのある女性の声がした。柴森夫人だ。
「蒔田くん? 良かった家にいた」
「え、あ、はい」
 俺は混乱してしまった。柴森さんから電話があるということは、中戸さんは帰省してないんだろうか。とはいえ、はっきりしたことが分からないと、明日はお邪魔しますとも言えない。
 相手も何か切羽詰まっている様子で、挨拶もそこそこに縋るように訊いてきた。
「今日はこの後出掛けたりしない?」
「予定はありませんけど。どうかしたんですか?」
 やはり中戸さんに何かあったのだろうか。彼女と俺の共通の話題といえば、中戸さんのことくらいしかない。
「あの子が――グンジくんが今日里帰りしてきてるのは知ってる?」
 俺は「はい」と答えた。やはり予想は当たっていたのだ。
 しかし、現実は俺の予想のやや上をいっていた。それも悪い方へ。












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